人は誰だって海上に突き出た氷山の一角の下、凄まじい大きさの本体を持っている。
本人でさえ気がついていない、その巨大さ、深遠。
ましてや他人が見誤って近づくと衝突する。
このときの俺はまさに、ソレ。
理解してると油断して、うかうかと許容範囲を超えて近づいて、ぶつかってあえなく難破、沈没。
それで失ったものなんて、計り知れない。
Iceberg
「おい黒崎。遅れんなよ、今日!」
講義後、急いで教室を出る俺に同級生が声をかけて来た。誰だっけ?
「え? 今日って何だ?」
「お前、あんだけ念押ししただろう? 今日は学部親睦会という名の素晴らしいパーティだ!」
「・・・・パーティ?」
「本当に忘れてたのか? 信じらんねー! 飲みだろ、飲み、コンパ!!」
・・・やべ。すっかり忘れてた。
「ワリィ。今日、無理だ。」
「なんだよソレ! お前がOK出したからオンナたち、出席率高いんじゃねーかよ?」
「でもホントだめなんだ。今日これから旅行に行く約束してて」
「ってどこのオンナだよ、誰だよ、何しに行くんだよ、どこへ!!!」
オトコで恋次で、そりゃーもーやりまくりに温泉に大旅行(でも電車で一時間、一拍二日)、なんてことは絶対言えない。
「すまねー。ずいぶん前からの約束で。それにオンナじゃねーし」
「そっか。なんか、複雑な気分。
お前がオンナとくっついてくれりゃー俺達にも分け前廻ってくるかもしれないし。
かといってオンナと旅行って言われたら悔しくて殴り飛ばしたくなるし。
まーでも仕様がねぇな。とにかく欠席のこと、黙っててくれ。
オンナ達をどう騙して会場まで連れて行くかが肝心だからな! うん、行ったら行ったでコッチのもんだ」
無駄に前向きなコイツのノリ、誰かを思い出すなぁ。でも仮にも医学生、それなりにもてるだろうに。
「聞こえたわよぉ。黒崎くん、欠席なの?」
背後から降って湧く黄色い声。
恐る恐る振り向いて見ると、同級生及び上級生のお姉さま方。
・・・コワ。軽く会釈して丁寧に応答する。
「すんません」
「そーなんだぁ。ざーんねん。じゃー、あたし達も欠席しちゃおうっかなぁ?」
「で、誰とどこ行くの?」
「本当は女の子なんでしょ? どこの人? かわいい? 教えてよぉ」
こ、怖い。目が真剣だ。般若だ。
「いえ、ダチとなんで。オトコです。田舎の方にちょっと用事があって」
途端、オンナどもの目が光る、煌めく。
「え? お友達っていつもあの校門で待ってるあの人?」
「やだ、あの赤い髪の人?」
「今日も来てるの? うそ!」
・・・・コイツら、揃いも揃って恋次が目当てだったのかよ、当て馬かよ俺は。
別に支障はないけど、なんか腹立つ。
「よぉ!」
そこへタイミング悪く恋次登場。
先日短くなった髪は、まだ結えるほど長くなくて下ろしてる。
唯でさえその容貌で長身、そしてその無駄に派手な服のセンス。すげぇ目立つ。
ちらっと横を見ると、コレがハートになった目か、と思わせるような少女漫画張りのオンナどもの熱い視線。
ため息が出るぜ。
「すみません、そういうわけなんで。失礼します」
と逃げ出そうとした俺の襟首、上級生の一人がしっかりと掴んでいて、俺に囁いてきた。
「ねぇ。旅行代、立て替えるから、あの人も連れてコンパおいでよ。悪くはしないわよ?」
いえ、目一杯悪いんですけど!
そんな毒牙の餌食にだけはしたくないんですけど!!
つーか、俺のなんですけど!!!
嗚呼、公言できないこの辛さ。
襟、放して下さい、耳元に囁かないでください、恋人の目の前で!
つーか、恋人だったら少しぐらい嫉妬しろ、大口開けて笑ってないで助けろ、バカ恋次!
が、そんなドタバタを繰り広げる学生組を横目に、どっかのオヤジが恋次に親しげに声を掛けて来た。
やあ、阿散井くんじゃないかね、で始まった会話は、こちらをチラリと見て背を向けた恋次のせいで聞こえてこない。
大騒ぎしてたオンナどももいつのまにか静かになって会話に耳を澄ましているが、
オヤジと恋次の二人組みは真剣に話しながらどんどん向こうに歩いていく。
ナンなんだ、一体?
「・・・ちょっとねぇ、今の社会生態学の?」
「そうよ、こないだ確かScienceに論文掲載された教授じゃない?」
上級生達が騒いでいる。
社会生態学? Science?
恋次のこと、なんで知ってる? あまりにも結びつかない。
「ねぇ、黒崎くんのお友達。あの人誰なの、研究者?」
・・・そんなの、俺のほうが知りたい。
「いや、飼育係って聞いてるけど」
「ふーん、そうなんだ・・・」
「・・・にしては、ねぇ?」
顔を見合わせるオンナども。
俺はひたすら恋次に焦点をあわせる。
何を話してる?
風に乗って微かに聞こえるその口調、横顔。俺はそんなオマエ、知らない。
「よぉ、またせたな」
教授に向かって軽く会釈した後、恋次が戻ってきた。
その飄々とした態度。
不安になってる俺がバカみたいじゃねーか。
「誰だよ、今の」
「あ? センセーだろ、この大学の。ちょっとした知り合いなんだ。社会生態学って行ったら霊長類もよく扱うからな。」
へー、そうか。そんなんじゃ納得しねーけどな。
だってテメー、また視線がどっか漂ってる。嘘ついたりごまかしたりしてるときのクセ。
でも周りのオンナどもは納得した様子で、またあの意味ありげな視線を送り出しているけどな。
どうせ遊びに丁度イイとかそんな感じだろ。
生憎だな。そんな簡単なヤツじゃねーよ、恋次は。
「じゃ、すんません、もう電車の時間なんで」
きゃあきゃあ騒ぐオンナどもの声を後ろにして、恋次の腕を取ってガンガン歩く。
「オイ、なんだよ? なんで怒ってるんだよ?」
「・・・つーか、なんで俺が怒ってないと思えるのかわかんねー。
うちの大学の教授だろ? あんなに親しいのに何でテメー一言も言わねーんだよ、不自然だろうよ?」
「そうか? 分野違うだろ? あのセンセー、理学部じゃねーか。医者じゃねーぞ」
それもそうか。少し足を緩める。
「そんなこと言ったら俺、そのへんの猿研究のセンセーたち、ほとんど知ってるぜ?」
足を止めて斜め後ろを見上げると、恋次の穏やかな視線が見下ろしてくる。
会った頃と変わらないデカイ手が俺の髪をくしゃっと掻き回す。
「ほら、急ごうぜ。間に合わねーぞ?」
今度は恋次が俺の腕を引いて走る。
でっかい荷物が邪魔くさい。
これさえなければ今すぐ抱きつけるのに。
でもとにかく電車を逃すわけには行かないので、俺達は汗だくになって走りに走った。
Iceberg 2 >>
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