Iceberg 2



「・・・よかったー」

閉まる寸前のドアに滑り込む。乗り継ぎに乗り継いで、やっと目的地に向かう電車にギリギリで間に合った。
金曜日の午後一番。まだ混雑の時間には早くて、向かい合わせの席がたくさん残っている。
その中のひとつに乱暴に腰を下ろした恋次は、早速購入したばっかりの弁当を開けだした。

「よかったなー。弁当も買えたし」
「つーか、別にどこの弁当でもいーだろうよ? 何で弁当のためにあちこちの駅、走り回らなきゃなんねーんだよ?」
「何言ってんだ。弁当は大事だぞ!それにホラ」
「・・・ああ、そっちね。ソレが目的だったわけか」

恋次が弁当と一緒に買った甘味を大威張りで見せる。
何でも評判のうまい鯛焼きだか今川焼きだか、とにかく恋次の好きな餡子モノだ。

「でも電車、間に合ってなかったらどーすんだよ。次の、2時間後だぞ?!」
「あー? 別に駅でメシ喰えばいーことじゃねーか。問題ねーだろ」

大有りだよっ。遅れればその分、温泉での時間が減るんだよっ。

「ほらほら、ブスッたれてねーでメシ喰え!」

恋次が俺の分の弁当も開けて、箸を差し出した。
こんな風に世話を焼いてくるの、結構珍しい。鼻歌まで歌ってる。
甘味が買えて機嫌がいいのかな。温泉行けるのが嬉しいのかな。
そんならもう甘味だろうが弁当だろうがどーでもいーや。

プシッと高い音を立てて恋次がビール缶を開けた。
弁当はそれぞれ二個づつ。
とっくに昼飯の時間が過ぎてる上、走り回ったんで腹がグーグー鳴っている。

「俺はまだ成長期だけど、てめーもそんなに喰うのかよ?」
「タリめーだ。サイズ違うだろうが?」
「維持費だけだろ?燃費ワリィ。無駄飯だ、無駄飯。だからソレ寄越せ」

恋次の弁当から旨そうな唐揚げを奪い取ると、

「テメー、自分の食え、自分の!」

青筋立てて俺の弁当から肉の固まりを2つも取って自分の口に放り込みやがった。
てめー、自分はオトナだっていつも威張ってんじゃねーかよ!
で、後はもう大混乱。
自分の弁当の防御はともかく、隙を見ては相手の弁当からもっとも高価と思われるものを奪い取る。
取られちゃあなんねーとガツガツ喰ったから、結局せっかくの弁当の味なんかわかりゃしねー。
挙句の果てにゃビールまで奪い合いになって二人してジーンズも濡れた。
もう収集がつかねー。
ガキの遠足か、俺達は。

でも本当はわかってる。俺も恋次もちょっとはしゃぎ過ぎてんだってこと。
こんな風に旅行するのは初めてで、恋次に至っては温泉に入るのだって初めてで。
刺青が入ってるから温泉とかプールとか、そういうとこ行けないんだ。
自分で入れたんだから別に、って言ってたけど本当は行ってみたいのかと思った。
だからバイトして金貯めて、部屋それぞれに風呂がある温泉探して、なるべくさりげない風装って訊いてみたんだ。
てめーも入れる温泉あるけど、行ってみないかって。
そしたらやっぱりなんでもない風に、別にいーけど、って応えた。
でも本当はすっげー嬉しかったみたいで、後でやっぱり鼻歌歌ってた。
わかりやすくて、わかりにくいヤツ。
淡々としてるように見えて凄い努力家だし、負けず嫌いだし、オトナぶってるかと思うと、いきなりガキ臭くなる。
辛いこととか悲しいこととかは滅多に表面に出さないくせに、愚にもつかないような小さなことをすげー喜ぶ。
その辺のギャップっていうかズレみたいなのがスゲー気になる。
何でオマエはそうなんだろう?
俺はそれが知りたい。

大混乱と化した飯の後片付けもなんとか済んで、恋次は緑茶と甘味の袋を窓際の小さなテーブルに載せた。

「・・・てめーにゃやらねーぞ」
「いらねーよ、そんなもん・・・ってそれ、何だ」
「これか」

恋次がカバンの中から取り出した紙の束をヒラヒラさせる。

「さっきのセンセーに渡されたんだ。目を通しといてくれって。猿のコトだからな」

そういって今川焼き片手に読み出した。
覗き込むと、英語でびっしりと書きこまれている。
恋次はそれを苦もなく読んでるようで、ところどころに赤で書き込んでいく。
俺の視線に気がついたのか、恋次が目を上げた。

「どうした?」
「英語も読めるんだな」
「たりめーだろ。猿の飼育も楽じゃねーんだぜ? うちのセクションは海外との連絡も密だしな」
「へーへー、ご苦労なこって」

恋次はまた書類に視線を戻した。
俺の方の座席に足を乗せ、腰を思いっきりずらして、いつもの偉そうでだらしない座り方。

構う相手もいなくなって、なんとなく外を見る。
電車はいつの間にか郊外の住宅地も通り過ぎてた。
秋の初め独特の突き抜けるような蒼い空。少し黄みを増してきた木々の緑。
やっぱり紅葉にはまだ少し早いみたいだ。
こんな時期だから目当ての宿も予約できたんだけど、紅葉が見れないのは少し残念だ。
恋次はまだ書類を読み続けている。窓を少し開けると、進行方向に向かって座っている恋次に風が吹き付けた。
顔を覆っていた紅い髪がひらりと舞い上がる。
バサっと音を立てて手をすり抜けようとした書類を慌てて掴みなおした恋次は、閉めろ、と言った。
でも風になびく髪がきれいで、もうちょっと見ていたい。
そう思って恋次の言葉を無視してたら、ため息をひとつついた恋次が俺の横に移ってきた。

「邪魔すんなよ?」

その一言だけでまた書類に戻る。
外を見るのも飽きたし、恋次の髪もまた顔を覆ってしまったし、腹も一杯だし、なんか眠くなってきた。
これから温泉だー、寝てる場合じゃねーぞー。
そう自分にハッパかけて目を必死で開けようとするんだけど、時々意思に反して頭がガクッと垂れる。
ここんとこ、バイト続きでろくに寝てなかったからしんどい。
本格的に頭がぐらぐらと揺れだしてコントロールを失ってもうダメだ寝ちまうと感じた瞬間、
でっかい手が俺の頭を掴んで引っ張った。
こつんとぶつかった先。ぼんやりと目を開けると、そこは恋次の肩。
シャツの下、筋肉がふかふかで、恋次の匂いがして気持ちいい。
恋次のでかい手がヨシヨシと俺の頭を叩いて、また書類に戻る。
ちくしょー、また子ども扱いしやがって。
節くれだった長い指。
飼育係なんて重労働をしてるから、指先が荒れたり爪の周りが黒くなったりしてる。
しかも古傷だらけだけどキレイだと思う。触りたいけど、今は邪魔できないから後にしよう。
どうせ一晩たっぷりあるんだ。思いっきりその手にもその指にも触れよう。

紙をめくる乾いた音が、電車と風の音に混じる。意識が薄れていく。
その指の先が辿るアルファベットの羅列の中、
確かにR. Abaraiという名前を見たような気がするんだけど、強烈な眠気は俺の意識を容赦なく奪い去ってしまった。





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