Interval
「レンジ!」
ドアの隙間、ひょいっと顔を覗かせた同僚が、腕時計を指しながら名前を呼んでた。
もう昼飯か。気がつかなかった。
ちらっと机の上の乱雑に散らばった書類の数々が気になるが、
どうにもこうにも収集がつきそうにない。
みなかったことにして、昼飯に行くことにした。
外に出るとクリスマス一色。
石造りの古い建物、白いままの雪。イルミネーションが映えて綺麗だ。
普段は静かなこの街も、クリスマスの時期だけは人出が増える。
子供や親戚に、あるいは恋人に。
時間切れのベルを気にしながら、プレゼントの買い集めに奔走している。
行きかう人々の喧騒が少し、日本のあの雑踏を思い出させた。
でも、街路ですれ違うのは、様々な民族出身の様々な色を持つ人々。
異なる顔立ち、ふるまい、体格、そして髪や肌、目の色。
でもあの、周囲の視線をも弾き返すようなオレンジ色はない。
ここには物珍しげに俺を見るやつも少ない。
普通ではないが、異端でもない。
川底に沈む石のように、流れる人の波を見送る。
「そういえばレンジ。契約更新、どうした?」
「延長した」
「いいのか、日本は?」
「ああ、ダメ押し」
「でも2年もたてば、相手はもうあきらめてるんじゃないか?」
そりゃそうだ。
でもこれは俺自身のためのダメ押し。
「・・・さて、昼飯、なんにする?」
「カレー食いにいこうぜ! 例のインド料理屋」
「ワリィ。俺、辛いのはだめなんだ」
「でもタイ料理とか食べてるじゃないか」
「ああ。でもカレーはダメだ」
「タイのも、カレーだぞ?」
「あれはいいんだよ、黄色くないから。でもインドのは黄色いから」
思い出すから。
「わかんねーなぁ、日本人のこだわりってヤツも」
「・・・いや、いいか。カレー行こうぜ。久しぶりにいいかもしれない」
驚いたような同僚の顔。
もういい加減、いいだろう。
自分で決めて、自分で終わらせたことだから。
忘れられないのならこうやって少しづつ、
甘ったるいカレーの味とか、真っ直ぐ見上げてくるあの眼差しとか、
それから泣き顔とか、酷い後悔とか、そういうのを上塗りしていけばいい。
雪のように全てを覆って、凍らせてしまえばいい。
「レンジは今年も日本に帰らないのか?」
「いや。狒々丸のこともあるしな」
「そっか。おれはクリスマスは親のトコだ。狒々丸も一緒に来るか?」
「んー、遠慮しとく。ありがとな」
明日はイブ。
家族で過ごす時間。
この喧騒も今日までの幻。
店は数日にわたって閉まり、街を訪れる人もいなくなる。
街に住む人々は、潮が引くように田舎へと去っていく。
残るのは、冷たい石畳とイルミネーション。
この寒い街では、浮浪者や野良猫の類まで姿を消す。
人の存在を欠く街の、なんと無駄で空虚なことか。
日本のお祭り騒ぎのようなクリスマスが懐かしい。
あれはあれで楽しかった、と思う。
たとえ、外側から見るだけにしても。
空っぽの時がまた今年もまたやってくる。
アイツは楽しくしているだろうか。
少し寂しく思うと同時に、胸の奥を焼く鋭い痛みを心地よくも思った。
◇
「黒崎さん、これはここでいいのかね?」
「あ、すんません、そこで」
「しかしあんたも、こんな田舎に引っ越してくるなんて酔狂だね。
あんた、彼女とかいないの。クリスマスだろ?今日は」
親切だけど、やたら他人の事情にくちばしを突っ込んでくる大家さんの言葉に苦笑がでる。
こういうの、街ではあんまりなかったなぁ。
「いや、いないんで。つーか別れたんで」
「おや、そりゃあ悪いことを聞いちまったなぁ。すまんすまん」
大家さんは途端に黙り、黙々と引越し作業に入った。
ほんと、親切なんだなぁ。
フツウはここから先を聞きたがるものだろうに。
「じゃ、後はもう大丈夫だね。これからヨロシクね」
家具なんかの後片付けが終わったあと、大家さんは帰っていった。
その後姿に軽く礼をすると、本類の整理にとりかかる。
専門書や、勉強しようと決めた語学の本なんかを本棚に並べた。
時計の音が響く。
大家さんの持ち物だというその古い振り子時計は、恋次が住んでたときもここにあった。
夜中、ふと目が覚めたときとかに響いていた規則正しい硬い音。
横にいた恋次の寝顔と同じぐらい、よく覚えている。
結局、俺、ここに帰ってきた。
無理やりやってたことも全部止めて、やりたいことをしようって決めた。
だから、いわゆる世間ってモノと隔絶するような此処は絶好の場所だ。
もう逃げるのも諦めるのも無駄に忘れようとするのもヤメだ。
相手がモノじゃなくて、恋次の気持ちってやつだからどうやっていいのか正直わからないけど、
酷い後悔を一生引き摺らないためにも、前に進むためにも、とりあえずやれることはやってみる。
このモヤモヤした気持ちに決着をつけるためにも、やれることはやってから、アイツに会いに行く。
それからどうなるかは、そのときに決めればいい。
冬空に、擦れた竹の緑がざわめく。
いつかみたあの蒼い空は戻ってくるだろうか。
今は夏を迎えるために、冬を堪える。
俺が俺であるために。
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