Restart
さく、さく、さく。
足首まで埋まるほどの雪道を、家に向かって歩いていた。
12月ももう終わりで、この地方には珍しく大雪が降った。
乗ってきた電車は除雪待ちであの無人駅に止まっているけど、他に乗客もいなかったしこの天気。
あまり支障はないだろう。
公共機関が災害に弱いってのは覆ることのない定説で、
ヒトは過去の過ちから学ぶことが少ないってのは本当らしい。
先刻まで降りしきっていた雪もやんで、空はぽっかりと蒼い暗闇。星が瞬き、雲が流れる。
月は細って弱々しい光しか放っていないけど、雪のせいか外灯がないこの畦道も明るい。
さく、さく、さく。
雪を踏みしめる足音が白い闇に溶けて消えていく。
世界に一人きり。
そう思えるような静謐。
雪が全ての音を吸い取っていく。
インターン生活は厳しくて、疲れているときは、この長い畦道が結構しんどかったりする。
でも、こういう雪の日は歩くのが楽しい。子供の頃に帰ったみたいな、そんな気がする。
それにしても、すごい雪だ。
遠くに見える家の屋根も、後ろの竹藪も雪の帽子をかぶっている。
蛇行しながら続く畦道は雪にすっかり覆われて、田んぼとの境がわかりにくい。
溝に落ちないように、気をつけて歩かないと。
ふと気がつくと一面の真白の上、俺の前に真っ直ぐに続く足跡。
確信めいた歩き方の、でかい靴の跡。
この先には俺の家しかない。客など来るはずない。
誰にも教えていない、俺だけの隠れ家。
・・・まさか。
雪の中を走った。転げるように。
庭に続く足跡を追っていくと、白い闇に浮かび上がる鴉のような漆黒の人影。
軽く後ろで結わえられたその髪は、間違えようもないあの紅。
雪の照り返しで、淡く輝いている。
「恋次っ」
思わず、叫んだ。
恋次はゆっくりと振り返り、少し眼を見開いて、
「よぉ」
とだけ言った。
急に走ったから息が切れて、白く煙る息が視界を邪魔する。
顔が良く見えない。
本当に恋次なのか。
何でこんな時間、こんなところにいるんだ?
あれからどうしてた。
今、何してる。
元気でいるのか。
矢継ぎ早に浮かぶ質問は一言も口から出てこない。
そんな俺の戸惑いを見透かしたのか、恋次があきれたように話しかけてきた。
「何してるんだテメーはこんなところで」
「つーかそれ、俺のセリフだ。なんで日本にいるんだよ、クビになったのか?」
「まさか。学会だ、学会。で、テメーは?」
「・・・・俺、ここ住んでるんだ。休みの時だけ」
恋次の眼が、大きく見開かれた。
そして、ここも変わんねーなぁ、と、昔住んでいた家に視線を戻して呟いた。
訊きたいことも言いたいことも一杯あったのに、
なんか恋次がまた此処にいるってだけで胸が一杯になって、俺は馬鹿みたいに突っ立っていた。
恋次はそんな俺に一瞥をくれると、竹薮のほうへ歩いていく。
少し距離を置いて後を追う。
さくさくと雪を踏みしめる足音が二人分響く。
竹藪の下、恋次が空を見上げた。つられて俺も見上げる。
そこには雪明りに照らされた竹の暗い緑と降り積もった雪、うっすらと雲をかぶって輪のかかった三日月。
ゆっくりと流れる雲が夜空に文様を描き、刻々とその形を変えていく。
三年以上の月日が流れた。
いろんなことがあって、あの雲みたいに全てその形を変えてしまった。
世界を構成する要素は変わらないというのに、変わり続ける相互関係が、描き出す未来をも変えてしまった。
「・・・・で、テメーは元気にしてるのか」
恋次の静かな低い声が心地いい。
幾度も幾度も心の中で再生して、ついには擦り切れてしまったその声、独特の揶揄するような口調。
「ああ、おかげさんで。恋次は」
「ああ、悪かねぇ」
「そっか」
「そうだ」
なんか、涙が出てきそうだったから、上を向いていて丁度よかった。
と、恋次がザクザクと足音も高く竹やぶに近づいていく。
ガスッ。
ドザザザザァ。
「うおお! テメー何しやがるっ」
恋次が思いっきり竹を蹴ったせいで、積もっていた雪が全部落ちてきやがった。
クソッ。雪塗れじゃねーか、冷てー!
「しみったれた顔してやがっからだ、このくそガキが」
そういう恋次も雪まみれで、あーチクショウ冷てぇと、襟首に入った雪を必死に掻き出している。
「アホかテメー! ホントは相当アタマ悪いだろ?」
「うっせー、テメーに言われたかねー!」
あろうことか、雪玉を作って投げてきた。
ガキかテメーは!
もちろん俺だって投げ返す。
特大だ。顔のど真ん中にクリーンヒット。ざまぁみやがれ!
でもこうなったらもう止まらない。
こめかみに青筋浮かべた恋次は、物凄い勢いで雪玉を作り、それを両手に襲い掛かってくる。
接近戦かよ?! 雪合戦じゃねーのかよ?!
あーチクショウ!こうなったらヤケだ、受けて立つぜ!
いつの間にか真剣勝負から雪だるま競争になってしまって、一体どれぐらいそんなことしてたんだろう。
いー加減やめようぜと、どちらからともなく止めた時には、二人して汗だくで雪まみれになっていた。
なんか馬鹿みたいに必死でやったから、疲れた。
期せずして二人とも雪の中に大の字に寝転がる。
空が広い。
白く立ち上る息が一瞬の後、空気に溶け込んで消えてしまう。
それがなんか妙に切なくて、目を閉じた。
恋次が視界から消え去る。
音も雪に消されて、静けさが染み渡る。
ほら、本当に今ここに恋次が存在するかどうかなんて誰にも証明できない。
恋次がここにいてもいなくても、結局俺は一人なんだ。
自分で立つしかない。それがやっとわかったんだ。
一人で立ってられないんだったら、あとは縋るしかない。
そうやって俺、恋次から奪う一方だったんだ。
ぶつけるだけぶつけて、あとは恋次の判断待ち。
俺はやるだけやってるんだから、あとは恋次の受け入れ次第って開き直ってた。
ガキだから、では済まされなかったあの甘え。
あれから3年。俺は大人になれているんだろうか。
今、恋次の前にちゃんと一人の男として立っていられてるんだろうか。
せめて昔の友人として。
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