Restart 2
 


雪の中、目を瞑って寝転がっている俺の唇にそっと温かいものが触れた。
まさか。
でも確かめるのが怖くて目が開けられない。

今度ははっきりと唇が食まれた。
忘れたことのない柔らかい薄い唇、恋次の息。

「おいテメー、目ェ開けろ」

薄く目を開けると、雪明りに照らされた不機嫌そうな顔。
眉間の皺も絶好調。
後ろで結わえた紅い髪の束が、ばさっと落ちてきて頬を軽く打つ。くすぐったい。

「何すんだ、テメー」

俺の口から漏れたのは不機嫌そうな声で、懐かしい条件反射に心の中で苦笑。
思えばいつも憎まれ口の叩き合いだった。それがまだ残っていたなんて。

「何すんだ、とはご挨拶だな」
「おかげさんで」

くつくつ笑って身を起した恋次につられて、俺も座った。
どういうつもりなんだろう。挨拶、か?
それに期待できるほどガキじゃないってのも辛いもんだ。

恋次が雪の中に後ろ手をついて、空っぽの空を見上げる。

「で、元気してたのか」
「なんだ、さっきからそればっかじゃねーか。元気だっつったろ、もうボケたのか」
「ボケは余計だ、このガキ」
「・・・もう、ガキじゃねーぞ」

そういって恋次に向き直る。

「まだタマゴだけどちゃんと医者になったし働いてるし、ちゃんと大人だ。もう子供じゃねぇ」
「そうだな。もう子供じゃねーか。悪かったな」

薄く笑って恋次がまた空を見上げた。
雪に埋まった手足が冷えて、痺れるようだ。

「悪かったな、本当に。
 ずっと謝りたかった。
 まさかここで会えるとは思わなかったけど、運が良かった」

オマエ、運ってなんだそれ。俺が何でここに住んでるのか、意味を考えろよ。

「お前をガキ扱いして、いつまでもガキのまま居させたのは俺だ。
 オマエに子供のままでいて欲しいって気持ちがどっかあったからだ」

恋次が俺に向き直る。

「あんな別れ方して、悪かった。
 俺も余裕、無かった。ちゃんと離れられる自信がなかった。
 あの機会を逃して別れられる自信がなかったから焦ってた。俺の方こそガキだった」

頭を垂れて、ゴメン、と言った。
俺はといえば、呆然として口をぽかんと開けたまま、何も言えない。

「でも元気にしてるんならよかった、安心した。
 医者にもなれたんだな。仕事は順調か。女、できたか。ちゃんと結婚して子供作れよ。
 てめーならイイ父親になれるだろ。幸せな一生ってやつを送れ」

固まって動けないままで居る俺を残して、恋次は立ち上がった。
体中についた雪をバンバン叩き落しながら、会えてよかった、元気でな、と言って立ち去ろうとする。
なんだよ、それ。
勝手なことベラベラしゃべって、結論付けて、それでおしまいのつもりかよ。
自己完結してんじゃねーよ。

「待てよ、それで満足かよ」

勢いつけて立ち上がり、肩を引き掴んで雪の中に叩き落す。
尻餅をついてこちらを呆然と見上げる姿が、あの山奥の駅で、木から落ちてきたときの様子と重なる。

「なんだよ、勝手じゃねーかよ、いつもいつも。
 子供でいて欲しくて子供扱いした? 勝手なこと言ってんじゃねーよ。
 こっちは、散々悩んだんだよ、それでよ。
 それにテメーが子供扱いしたぐらいで子供でいられるほど、そんな簡単なもんじゃねーんだよ、俺だってよ。
 猿の研究してんだろ? じゃあ人間ぐらいお手のもんじゃねーかよ、そんなこともわかんねーのかよ。
 何謝ってんだよ、思い上がってんじゃねーよ、このクソッタレが!」

胸元を掴み、締め上げて怒鳴り散らす俺。
興奮しきった自分のセリフが、どこか他人事みたいに耳を掠めていく。
また会えたら、会うことが出来たなら、ちゃんと落ち着いて穏やかに、
昔を思い出す親友みたいな感じで話せたらってずっと思ってたのに。

「・・・俺だって、散々頑張ったんだよ、ちゃんと大人になろうってよ。
 でもやっぱり無理だったんだ。甘えてて。あのままだときっといつかメチャクチャになってた。
 だから良かったんだよ、別れて、一人になって」

それが真実。急に勢いを失くす俺の言葉。

「オマエがあんな風に言ってくれてなきゃ、やっぱり俺もオマエから離れられなかった。
 全部ダメにしてた。
 俺の方こそ、ごめん。全部オマエに押し付けた。
 本当に本当に、悪かった」

恋次の手が、胸元を掴んで震える俺の手をそっと外し、俺の頭を引き寄せた。
恋次の肩に顎がぶつかる。
ずいぶん背は伸びたけど、やっぱり追いつかなかった。
体格だって劣ったままだ。しかもやっぱり中身は子供のまま。
恋次にばっかり負担かけて別れて、3年間必死にやって、その結果がコレかよ。
恋次の手が宥めるように、俺の背中をポンポンと軽く叩く。

「・・・・俺は、恋次とずっと一緒にいたかった。でもオマエ、すぐ逃げようとしたから俺、必死だった」
「俺は、オマエがいつも一緒に居たがったから逃げたかった」

顔を上げると、恋次が俺の目を覗き込んでいた。
一瞬だけ見えた、真っ直ぐな子供みたいな目。
恋次は空を見上げる。

「オマエは、ずっと一緒にいたいなんていう夢を見させるから、俺は辛かった。
 俺のこと、馬鹿みたいに大事にして甘やかして、俺のことばっか見て。
 だからいつか終わってしまうのが怖かった。
 永遠なんて無い。約束なんて出来ない。
 話せなかったことだって一杯あった。
 オマエに頼ってる自分を認めるのもイヤだった。
 その壁を軽々と越える子供のオマエが羨ましくて、愛しくて、心底憎かった」

だから、と言って恋次は俺の体に腕をまわした。

「だから俺はオマエが大人になる前に離れたかった」

そう言って、骨が軋むぐらい俺を抱きしめて、オマエに会えてよかった、幸せになれ、と言った。
なんだよ、今更。
幸せって何だよ、それ。 

「そんな理由だったのかよ。なんで言わねーんだよ、ちゃんと出せよ、本音。
 テメーのことで気にかかってることなんて、まだまだ山ほどあんだよ。
 帰るんならちゃんとそれ全部話し終わってから帰れ!」

恋次が目を逸らす。またあの癖。

「目ェ逸らしてんじゃねーよ。俺はオマエがまだ好きなんだよ。
 わかんねーかよ。俺、ここに住んでるだろう?
 気付かない振り、すんじゃねーよ!」

抗って逃げようとする恋次の両肩を強く掴む。
俺を見ろよ。

「・・・忘れてねーよ、終わってねーんだよ、全然。
 オマエが大人、大人ってうるせーからいろいろ試してみたよ。
 女とだって付き合ったし、好きなやつをつくろうともした。
 勉強や仕事に没頭しようともした。悪いことだってそれなりにしたよ。
 でもダメなんだよ。わかんねーかよ、そういうのっ」

ああ、ダメだ。俺、本当に変わってねー。
3年前と言ってること、変わんねー。
言うだけ言って、押し付けるだけ押し付けて。
進歩ねぇじゃねーか。

「・・・・テメー、全然変成長してねえじゃねーかよ。何がちゃんと大人だ、この馬鹿」

怒鳴りつける俺を唖然として見ていた恋次が、その額を俺の肩にコツンと当てた。
くつくつと笑う振動が響いてくる。
それは思いがけないほど温かく柔らかくて、思わず抱きしめてしまう。
昔より小さくなったように感じるその身体。

「オマエまでそんなんだったら、俺達この3年間、何やってたんだよ。意味ねぇじゃねーか。
 あんなにキツい思いして別れたってのによ。俺なんてわざわざ国に帰ったってのに」
「ってなんだよ、それ、国に帰るって何だよ、日本人じゃねーのかよ」

「・・・ソコじゃねーだろ、反応するとこ。何でオマエはそう、鈍いんだ」

そういって恋次は軽くため息をつくと、首を傾げ、俺に口付けてきた。
俺はといえば、何で鈍いといわれたのか、国に帰るってなんなのか、
振られたはずなのに、なんでこんなに気合の入ったキスされてんのか全然わからなくて大混乱。
でも恋次は構うことなく口唇を深く合わせてくる。
俺の後頭部をそのでかい掌で包み、角度を変え、何度も何度も口唇をあわせる。

全部、よく覚えてる。
恋次の唇、かすかに漏れる甘い声、頬にかかる吐息。
その抱きしめてくる腕も、でかい掌も、俺よりちょっと低めの体温も何一つ忘れてなんかいない。
全部全部大好きで、忘れることなんて出来なかった。

「・・・・あー、びしょ濡れだ」

ようやく唇を離した恋次は、不満そうに呟いた。
抱き合ったりしたもんだから、服の隙間まで入り込んだ雪が体温で溶けてもう見る影もない。

「中入って乾かそうぜ。オラ、さっさと開けろ」

3年ぶりのキスだぜ?
もっと他に言うことはないものか。
相変わらず、というよりはひどくなったような気がする横柄さ。
爆発しそうな嬉しさと混乱を、盛大なため息と眉間の皺で隠して玄関へ向かう。

「おー、変わってねーな、このオンボロ家!」
「悪かったな、オンボロで」
「別にけなしてねーだろ。俺の家だぜ?もともとは。お、英語の本なんてあるじゃねーか。
 ちっとは賢くなったか」
「借家だろう、借家! つーか知ってっか? 俺、英語とかも勉強したんだぜ」
「はぁ? オマエがか?」
「うん。オマエの行った国の言葉も勉強した。少しだけど」
「・・・何考えてんだテメーは」
「ポスドクとかちゃんとあるんだ。交換留学みたいなやつとか。テメーんとこの大学で研究できる」
「・・・・信じらんねー」
「あと半年ぐらいだから、待ってろよ」
「やだね」
「なんでだよ! 3年がまんしたんだ、半年ぐらいいいじゃねーかよ!」
「・・・いや、だからダメだって。来んな」
「さっきのは嘘かよ。でも俺、オマエがイヤだっつったって絶対行くからな!」
「ほんっとテメーは全然成長してねーな? 別にいいけど俺、その頃、もういないぜ?」

ニヤリ、と恋次が笑った。

「俺、来月から日本だから。今回はそれのゴアイサツ」

なんなんだよ、それ! 俺の努力はパァかよ!

「いーじゃねーかよ。これで日本だぜ? 生協でメシ食おうぜ?」
「ってなんで生協なんだよ!」
「だって安いし量あるし結構食えるし、薄給には丁度いいんだよ。
 それに俺ァ、醤油と米の飯が好きなんだ」
「つーか、そんな理由かよ、日本帰ってきたのはよ! 俺はどうなってんだ、俺は!」
「・・・やっぱ、ついで?」
「うがーっ、もう、腹が立つっ!!!」

そのままどっか逃げようとする恋次を後ろから首を羽交い絞めにしたら、うげぇと恋次が暴れた。
馬鹿みたいな会話だけど、こんな風に話せるのが、じゃれあえるのがただ楽しくって。
羽交い絞めのはずが、いつの間にかただ抱きついていた俺の腕。
恋次はその腕をポンポンと軽く叩いて振り解くと、久々の古巣をちょっと見てくらぁといって、家の中を歩き始めた。

その後姿を見送りながら、必死に追いかけてたあの頃より恋次が近くなったように感じていた。
恋次が必要以上に横柄で意地悪く振舞うのは、実はあれで結構混乱中だからってことも、今はわかる。
俺は、今すぐにでも恋次に抱きついて、いろんな話したいって思うけど、
恋次はたぶんもうちょっと、ひとりでいたいんだと思う。
アイツらしいな、と思う。

ひとり残された居間。
部屋に響く旧式の時計の音。
古い電灯の下、同じ屋根の下にいる恋次のことを想う。
ちょっとだけ年取ってた。
笑ったときの目尻に小さなシワ。あんなの無かった。
馬鹿っぽい振る舞いの中にも年相応というのか、落ち着いた雰囲気が見え隠れしてた。

恋次は意味がなかったって言った3年以上の時間。
いつだか恋次は、意味なんてもんは本当は無い、でも人間は意味を見つけないでいられないっていったけど、そうじゃない。
意味はつくるものなんだ。

苦しくても寂しくても嬉しくても不安でも、それでも容赦なく時は前へ進む。
辛いこと、無駄なことなんて溢れるほどある。
そのせいで良くなることも悪くなることも山のようにある。
ましてや過去なんてもんを振り返ると、後悔することなんて星の数ほどあるんだ。
そんなとき、意味は見つけるもんじゃない。つくるもんだ。自分の手で。
どんな苦しいことがあっても、悲しいことがあっても、それを手に前へ進むチカラ。
この3年の間に、俺はそれを手に入れたと思う。

また始めることが出来た、短いかもしれないけど俺にとっては永劫に続く未来。
だから俺は願う。
恋次と共にあれるように。
どんな小さな出来事、絶え間ない変化のカケラさえ、意味のあるものに出来るように。
そして俺達の世界をそのカケラで埋め尽くす。

ほら、恋次がなんか喚いてる。
俺の名前を呼んでいる。
ずっと続くかと思った静けさはあっさり壊れて、
夢見ることさえ許されなかった喧しい日常が戻ってきた。

今行くから、ちょっと待ってろ。
俺は、恋次の声のする方に向かってゆっくりと歩いていった。





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