Crossing
血塗られた手を見るたびに、思う。
なぜ、死神なのだと。
死を司るというのなら、なぜこのような姿に生まれついたのかと。
月の光を受けて、窓ガラスに反射するのは死そのものを纏ったような己の姿。
紅の色さえ失った影、まさに幽鬼。
現世の夜の明るさは聞きしに勝るものではあるけれど、丑三つ時ともなれば街灯と月光だけ。
半端な暗闇に浮かび上がる半端な存在は、所在無さげに揺れている。
属する世界を離れ、役目を離れ、何のために俺は此処にいる。
何のために俺は死神だ。
何故俺たちは今更、人の形を取る。
掌を見遣ると、沁み込んだ血の跡が見える気がする。
色を失い、黒く乾いて皮膚の下、深く沈み、既に落とすことも敵わない。
昇華と称して幾百もの虚を屠り、鍛錬と偽って同胞たちをも血に染めた。
血を清水で落とし、忘却の彼方に押しやることはできても、刻まれた罪は消えることが無い。
魂の奥に息を潜めて機会を伺っているのは、原始の欲望。
屍であったことさえ夢のように遠いというのに、なぜ今更、人の心と体を模す。
俺は、一体、何だ。
俺が人であったとき、俺がただの魂魄であったとき、俺は何だったんだ。
止まらぬ流れ、深くなる罪、果てを知らぬ欲望、澱む想い。
袋小路のような我々の存在。
背後から髪の先を引かれた。
「何、見てんだ。何か面白いものでも見えるか?」
一護が背後から腕をまわしてきた。
情事の後だから、触れる肌が湿って冷たい。
「・・・・・生憎、何にも見えねえなあ」
一護は俺の背中に抱きつき、肩に顎を乗せてきた。
ガラス窓に映る薄ぼんやりした俺の横に、一護の顔が加わる。
「見えるじゃねーかよ。テメーがいるぜ?」
何がおかしいのかくつくつとくぐもった音を立てて一護が笑う。
くすぐるような振動が、柔らかく伝わってくる。
「別に自分なんか見ても楽しくねーだろ」
嘘をつけ。
先刻まで自分で自分を見ていただろう。
虚偽と自己満足と自虐心が綯交ぜになった、過剰な自意識。
「そっか?」
棘のある俺の言葉など気にもとめず、一護は俺の首筋に顔を埋める。
窓ガラスに薄い色の髪が映り、俺の眼と髪はより一層暗く見える。
首筋を齧られ、顎が上がる。
眼を閉じ、首筋の甘い痛みに無理やり集中すると、脳の芯が痺れてくる。
この身体は、快楽とか痛みとか、無遠慮なものに酷く弱いのだ。
普段は意固地なまでに拒絶するくせに、ある一線を超えて求められるとあっさりと陥落する。
まるで待っていたように。
元からそうなのか、あるいは学習したものなのか、もうよくわからないけれど。
「恋次」
俺を求め呼ぶ声に思考の果てから呼び戻された。
ガラスに映るのは空ろな眼。
横の一護も眼は同じように空ろで、闇を映している。
「俺たち、」
何だ?
「・・・・・何でもない」
「何だ、気持ちわりい、最後まで言えよ」
一護は応えず、ガラスの中の虚像を見る。
視線は固定したまま、ゆっくりと顔を動かし、俺の耳を舐め、齧る。
その感覚に、一護の視線に、酔いがまわる。
瞼が重くなる、眼を閉じる、息が漏れる。
「気持ち良さそう」
言うに事欠いて、何を。
「俺も恋次の耳、旨い」
首筋を辿られると、身体は震えるばかり。
抵抗なんてできやしない。
口からは出るのはため息ばかりで、文句一つ言う気概もありはしない。
後ろから抱えられ、揺さぶられ、窓枠を必死で握って身体を支える。
呻きとも強請りともつかない声が漏れる。
響く水音はどこから聞こえるのかわからない。
全てが曖昧でやるせない。
確かなのは、繋がっているというその事実だけ。
その意味さえ不明瞭。
属する世界を離れ、役目を離れ、何のために俺は此処にいる。
何のために俺は死神だ。
何故俺たちは今更人の形を取る。
答はみつからない。
ただ。
此処にいて、役目を離れ、この子供といるときは、俺は俺になる。
死神でもない。
人でもない。
俺というモノ。
俺が求めたお前という存在。
お前が求める俺という在り方。
交錯する。
抱きかかえてくるその腕を取りきつく噛んで血を味わうと、少しだけ何かが鮮明になったような気がした。
けれど高ぶる熱と共に消え去り、しっかり掴んでいたはずの一護の腕もいつの間にか消え去っている。
後に残ったのは混乱の記憶、芯に残る熱。
やがてそれも、汗と共に冷え切って消えた。
はやてのごとく >>
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