やめるはひるのつき

 

「現世にもこんなとこ、あったんだなあ」

一面の蓮華の花。見渡す限りの薄紅色。
蓮華の花に手をやると、露を含んでいるかのような冷たい肌触り。
春の日差しは穏やかで風もなく暖かいというのに。
俺の仮の身体は汗を滲ませているというのに。

「キレイだろ? ちっちゃい頃、時々来てたんだ」

そう言って一護が突っ立ったまま遠くを見遣る。
子供の頃のことでも思い出しているのだろう。
今より更に子供の一護。
写真を偶然見たことあるけど、明るい顔してた。
あの輝かんばかりの笑顔で、この蓮華畑を両親や妹達と走り回っていたんだろうか。

ゆっくり横になると、背の下で蓮華の花が柔らかく倒れていくのを感じた。
せっかく咲いたのに、すまねえな。
小さな声で謝ると、一護が振り返った。

「なんか言ったか?」

見下ろしてくる顔がどんな表情してるのか、逆光で見えないけど、声は穏やかだ。
思い出して辛いとかそういうのはないらしい。

「なんでもねえ。気持ちいいな」
「だからって寝るなよ?」
「っせえ。俺ァ此処までチャリ漕がされて疲れてんだ、ジャマすんな」

そう言って目を閉じると、視覚以外の感覚が鋭くなる。

無風だと思っていたのに、頬を撫でる微かな風を感じる。
蓮華の匂いだけだと思っていたのに、緑や土の香りも混じっている。
静かだと思っていたのに、麦笛や子供の声、鳥のさえずりなんかが風に運ばれてくる。

そして降り注ぐ春の太陽、嘘みたいに穏やかな時間。

子供の頃は、花なんて愛でるヒマは無かった。
毎日を生き延び、食いつなぐので精一杯。
それでもルキアがキレイだというと、蓮華の花を摘みに行ったりした。
麦笛を作って吹いてみたり、鳥を追ってみたり。
子供らしいことをするということ自体、贅沢すぎる遊びだったけど。

不意に甦ってきた何よりも鮮明な記憶。
二度と戻らない時間。
制御できない感情の塊。
蓮華の花の波に飲まれて息が出来ない。

 

ばさっと顔の上に何か落ちてきた。

「・・・なんだ、これ?」

摘み上げると花冠。
茎の緑が見えないほど密に編み上げられた、蓮華の花飾り。

「巧いもんだろ?」

得意そうに一護が笑う。

「へーえ。意外に器用だよな。妹にでも持って帰ってやるのか?」

指にかけてグルグル回して見せると、一護がむっとした。

ってことはアレか。これは俺にか。いらねーっつーの。

くつくつ笑いながら半身を起して頭にのせてみせると、やっと一護が満足そうな表情を見せる。
単純なこと、この上ない。

「でも赤頭に蓮華ってもうどうしようもないぐらい真っ赤で、なんかマヌケ」
「んだと!」
「いや、似合ってるって、ある意味!」

そういって一護が爆笑する。

テメーがさせたんだろ、このバカ。
つか、こんなデカイ男、しかも死神にせっせと蓮華の花冠作るって正気かよ。
テメー、本当のバカだろ。

おかしすぎて笑いが込み上げてくる。

「別にこんなもん、似合いたかねーっての!」

笑いながら花冠を取ろうとすると、一護が不意にマジメな顔になって俺の手を押さえた。

「似合うっつってんだろ? 取るなよ」

体重を支えていた俺の後手を一護が掬い取った。
どさっと二人分の体重を乗せて勢いよく倒れた。
一護が押しかぶさってくる。

「花冠、落っこちたぜ?」

からかうと、後で拾ってやるからと至極マジメな回答で、更に笑いを誘う。
でも一護はそんなこと、気にしない。
れんじ、と熱っぽく囁きながら、躊躇いなく口唇を落としてくる。

頬に触れる蓮華の花は冷たいのに、こいつの唇はやけに熱い。
その対照に捕らわれて、呼吸も邪魔されて、くらくらと眩暈がする。
だって真昼の日差しを燦々と浴びながら、蓮華畑のど真ん中で口付けだなんて、いくら俺たちでも背徳的すぎないか?
夢中で口付けてくる一護は、もちろんそんなこと、構ってはいないんだろうけど。

眼を閉じると、より鮮明に感じることができる幻想のように美しい世界。
見渡す限りの蓮華の薄紅色、かすかな麦笛、鳥のおしゃべり、そして青い空と真昼の白い月。
遠い思い出と重なり、否応無く過去に連れ戻されそうになる。

眼を開けると、いつもの眉間の皺、閉じた瞼、そして強烈なオレンジ色。
強く明るく輝いて、俺を圧倒する。
まるで太陽。

ならば俺は真昼の月。
所在なさげにぽつんと虚空に浮かぶ、ただ在るだけの病んだあの白い月。

だから縋るように腕の中の一護を強く抱きしめた。

 

「・・・も、いい加減にしろって、」

ようやく俺の言葉に耳を貸した一護が、
ふ、と軽く息を逃しながら、名残惜しそうに唇を離した。
遊びに夢中な子供みたいに、頬が上気してる。

「あー、やばかった惜しかった」

そういってニヤリと悪戯っぽい笑みを漏らして、ゴロンと俺の横に転がった。
ったく。こんなとこでヤル気だったのかよ、このバカ。

「惜しかったじゃねーだろ」

そう言って半端に引き出されたシャツを整えつつ上半身を起すと、
やっぱ最後までやるか?と一護が俺のシャツを強く引いた。

「阿呆かテメ・・・、んっ・・・!!」

重力に抵抗できず、一護の上に倒れこんだせいで、
ガチッと音を立てて俺と一護の歯がぶつかった。

「ってーだろ、このバカッ!!」

起き上がって口元を拭うと、鮮血が手の甲に付いた。
一護も切ったのか、口元を押さえていたけど、また蓮華畑に大の字になって寝っ転がった。
そして俺を見上げて、やっぱり空の方がいいと笑った。
意味が分からず不審気な俺の視線に、

「テメーみたいな派手な赤死神には、蓮華より空の青の方がよく映える。キレイだ」

と照れもせずに言い放ち、思わず動きを止めた俺のことを盛大に笑った。


 


「さて、いい加減帰ろうぜ? 日が落ちるぞ」

そう言って俺が立ち上がると、

「おい、ちょっと手ェ貸せ」
「あ?」
「いいから」

一護が蓮華の茎をぐるぐると指に巻きつけて留めた。

「お、おいっ」
「元気が出るまじない。疲労困憊の年寄りには花冠よりいいだろ」

そう言い捨てて、一護が自転車に向かった。
一瞬垣間見えた、含みを持たせた笑み。
つか俺、知ってるんだけど。薬指に指輪ってモンの意味。

「・・・い、いらねーよっ!」
「じゃー捨てろ」

・・・って捨てられるわけ、ねーだろっ。
つかなんで俺が赤くなんなきゃなんねーんだよ、
なんでテメー、平然としてんだよ、こんなクソ恥ずかしいことしてよ!

一護はチャリの荷台に跨って、俺にひらひらと手を振っている。

「ほら、帰るぜー! 帰りもオマエが漕げよー」
「なんで俺なんだよっ」
「花冠つくってやっただろ?」
「それとこれと何の関係があるんだこの貧弱体型! 鍛錬しろってんだ!」
「んだとぉ?!」

そして俺たちはまたバカ騒ぎしながらチャリに乗って、
指に巻きつけた蓮華一輪だけを土産に、灰色の街並みで待つ現実へと漕ぎ出す。

空にはもう月が明るく輝きだしていた。



甘露 >>

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