俺はずっと眠っていた。
不安定な世界の不安定な存在。
輪郭さえ持たず剥きだしで、自分が何なのかも知らないまま。
けれど意識は覚醒し、世界を隅々まで覆っている。
爆ぜそうなまでに増幅した力を持て余し、
仮の安定に満足したこの世界を裏返す時が来るのを、今か今かと待っている。
世界の主はそんなこととは露とも知らず、
混濁した意識のまま、混乱の時間を過ごしている。
踊らされているだけだというのに。
足元は崩れだしているというのに。
未だ光の中心にいると思っているのか。哀れなもんだ。
せいぜい最期まで足掻け。
俺が最期の眠りについている間に。
蒼の旋律
俺は夢を見ていた。
本能の指し示すまま、全てを破壊尽くす夢。
理性だの知性だの、取り繕った欺瞞の表層に少し爪を立てるだけでいい。
血肉と臓物と真実が溢れ出て、その赤がこの手を生温かく伝っていくだろう。
消える瞬間にこそ、命は歓喜の調べを奏でるだろう。
協和音が白と青のクソつまらない世界に響き渡るだろう。
個々の命が輪郭を失くして赤黒く染め上がり、
世界そのものが命となって収束し、蠢きだすんだ。
そして俺が世界になる。
そう。
俺は調和に満ちた至上の夢に浸っていたんだ。
けれど邪魔がはいった。
耳障りな不協和音。
最初は声。
吐息交じりのその声は、一護の名を何度も何度も繰り返し紡いだ。
あんな声は初めて耳にした。
俺は晴れ渡った空を見上げてその声に聞き入った。
次は色。
青と白と灰色の世界を一瞬、鮮やかに染め上げた。
あんな色があるなんて知らなかった。
俺は地平線の向こうに、深く沈んだあの紅が現れるのを待ち続けた。
そしてある日、雨が降った。
からりと晴れ上がった空から降り注ぐ雨。
雨のくせに柔らかく暖かくて、光を弾いてきらきらと煌く。
その心地よさに俺は天を仰ぎつづけた。
そして世界は混濁していった。
雨に溶け出した世界は境を曖昧にし、
空気は震え、空は蒼く深くなり、雲は白く輝きを増した。
そして湿度を増した大気が世界を包み込む。
俺の肌をもしっとりと濡らす。
こんな世界は知らない。
こんな一護は知らない。
こんな俺も知らない。
俺は混乱を嫌う。
俺は混濁を憎む。
迷いも悲しみも喜びもそんなものはいらない。
欲しかったのは澄み切った光。
絶対の力と完全な調和。
世界を頑なに閉ざしていた境界は日に日に脆くなり、
反比例するように俺の存在も不断の確かなものとなっていった。
夢を見る時間が少なくなっていった。
そして俺は、一護に内側から重なるようにして、向こう側を感じるようになった。
一護の名前を繰り返すこの声音。
俺のことはどんな響きで呼ぶんだろう。
熱く湿って広がる紅髪、肌の上で墨がうねる。
傷をつけたらどんな色が噴出すんだろう。
眼の縁に止まっている雫。
いつになったら溢れ出すんだろう。
そして揺れてみせる眼の奥に潜むそのどす黒い何か。
闇から引きずり出したらどんな色で輝くんだろう。
けれどこの手は何に触れることもない。
お前の眼に映っているのは俺じゃない。
紅い髪にそっと口付けてるのも俺じゃない。
お前を泣かせてるのも笑わせてるのも俺じゃない。
何で俺じゃないんだろう。
俺にならわかるのに。
お前なら俺がわかるのに。
だから俺を呼べよ。
身の内の欠落で木霊するその声で、その悲鳴で、その慟哭で俺を呼べ。
その不協和音でこの世界を満たせ。
俺がお前を満たしてやる。
けれど頭上に広がるのは蒼天、透明で美しく単調な世界。
相も変わらず静寂が満ちている。
そしてこれが孤独なのだと、
自分が何を欲しているのかをようやく知った。
ざくろのうた>>
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