|
―――あの日の密約から、もう幾歳経つだろう。 久しぶりに乗せるBMWの助手席で、普段よりも優れない顔色のまま目を閉じる伊達の横顔を眺めやって、Jはこれまで共にしてきた年月を思う。あれから以降、まず優先されるべきは伊達の都合であるものの、所有権が自らにあると信じて疑わぬ桃と、強い執着と興味を寄せる二人の先輩にあっては、Jの入れる隙などほんの僅かでしかなくて。そんな中、時折舞い込む伊達自身からの直接依頼によってJが動くことはあっても、Jから動いて伊達と共にした時間など、片手に満たぬ程の回数しか無かった。 (だが、それで良かったんだろう) 自分が「伊達と彼のひととの関係を知っている」という事実を、伊達本人だけでなく、他の人間に知られたことが良かったのだとJは考えている。だからこそ、こういう機会が巡ってきたのだとも。 だから、あれで良かったのだと。 その存在が表から消えて6年、数名は恐らく当初から気付いていたのだろう―――赤石が生存していたことが知れ、共犯者達が当座のお役御免となって間もないある秋の日、偶然日本に居たJは、突如赤石本人からの呼び出しを受けた。 「元気そうだな」 「お陰様で。先輩もお元気で何よりでした」 「表向き死んでた人間に、元気もクソもあるか」と笑いながら赤石が言い、この男には珍しい機嫌の良さで迎えられた。その後は不在だった間の事情や、赤石の知らぬ仲間の消息などの世間話を語るうち、小半時ほどが過ぎた頃だった。 「ところで先輩、失礼ですが……今日わざわざ俺を呼び出した理由は何でしょうか」 「そうだな、世間話はこれくらいにして、そろそろ本題に入るか」 それまで赤石が纏っていた穏やかな雰囲気が突如消えて、以前のJが知る、闘神が如き気迫がその身を覆う。 「俺の居ぬ間、あれが随分世話になった。……礼を言う」 「いえ、それは……」 「嫌味で言ってる訳じゃねえ、気にするな。―――俺としても多少予想外だっただけだ」 「……はい」 「それでだ。俺の家業についてはさっきも言ったが、傍から見ればあれと大差ない代物だ。だが、極道と一番違うのは、年に数回どうしても表に出ずばならぬ日があるということ。……解るか」 「年末から年始にかけて……ですか」 「その通り。物分かりの良い米国人で助かる」 にやりと口の端を上げて笑い、赤石が「ここからが本題だ」とでも言うように、椅子へきちんと座り直した。 「そこでJ、貴様に頼みがある。俺が出張らねばならぬ年末、お前等の神が生まれた日の辺りだけでいい。……一日か二日、あれの面倒を見て貰いたい」 「先輩、それは……!」 己がどんなに望もうと、彼が求める唯一の存在が戻った限り二度とないと思っていた関係。悔やんだわけでは無く、ただ「もうあのような時間は無いのだ」と諦観すら覚えたその関係を、彼の唯一から自分に強いてくるなどと言うことが、果たしてあるのか、と。 「俺たちにとっての神が末裔(すえ)となる方のお生まれになった日に、俺たちが御姿を拝見しに行かぬ法はない。だが、お前たちの神は、何処に居ようとその存在を感じられる……そうだろう?」 「……」 「貴様の信ずる神に、望んで禁忌を犯せと俺が唆すもさらに許されまじき事だろうが……この日に関してばかりは、あれの守りをこの国人には頼めん。……第一に休めず、連れ出せる理由もない」 赤石の言葉に、Jが頬に薄く血を昇らせて顔を上げる。 「それは、俺が米国人だからですか」 自分が「ガイジン」だから。この国の祀りごとに関わらず、自由に身動きのとれる人間だから己が選ばれたというのか。ならばこれ程までに、自分を、そして伊達を馬鹿にした言葉もあるまい……! 「それもある。だが、国籍以上に貴様が、俺の信に足る人間だからだ」 「何故?」 「理由などいらん。一度剣と拳を合わせた、それ以上何の疑問がある?」 「それを、伊達が了承するのですか。……あの時のような極限下でならいざ知らず、こうしてあなたが生きて戻り、存在を確認出来るというのに―――それをあなた自らの手で、他人に貸し出すような真似をされて」 「在る意味ではあれが望み、俺もそれを認めた。……それでは不満か?」 「伊達が―――望んだ?」 赤石の言葉が理解できず、Jが呆然と目を見開く。 「そうだ。……俺が戻って未だ間もなく、もう一人あれの支えに足る桃の野郎は、貴様も知っての通り海外へ出てしまった。この状況で、今更一人にはなれねえと。もう、一人闇に残されるのは嫌だ、と……あれの性格ゆえ言葉には出さんが、態度がそう言った。目の色がまた、危うくなりはじめてもいる。甘いようだが、流石にこれ以上壊れてもらうわけにはいかん。 ……あれ以上の俺の気に入りが、この先そう上手く見つかるとも思えんからな」 赤石の放つ表面のみ捕らえれば、どれほど伊達を踏み躙る言葉かと思う。だが、それがこのひとの声で音として響いたとき、この二人がどれほど惹かれ合っているのか―――互いに失えない存在なのか、嫌と言うほど思い知らされるくらいに二人の想いは深く、Jの心に響く。 「誰か傍らに居て欲しいが、俺は身体が空かぬ。桃は不在。……となれば、信用に値する人間は数えるほどしかない。この状況下で『共に過ごしたい者がいるなら己で選べ』と言ったら、黙りに黙った最後、漸く貴様の名が出た」 「伊達が、俺を……」 「あれが直接貴様に依頼できるほど素直ならばもっと可愛げがあるものを、自分で言ったことを認めたがらねえ。故に、俺が直接会おうと決めた。貴様の眼が欲に曇っては居ないか、確認したくもあったからな」 「それで、俺が伊達を受け止めても良いと」 「ああ。可能ならば頼みたい。……できるか」 「押忍。……この任務、喜んで」 「では頼んだ。日時も都合も、お前の望む通りに」 それだけ告げて、赤石が椅子から立ち上がる。大きく寛い背中と、力強い腕。この腕が伊達を捕らえ―――あの光を生み出し、輝かせたのだ。 「確かに、お預かりします。あなたと……そして俺の唯一(ひかり)を」 我が神の子が、生まれた日に。 Jがリザーブしておいた個室式のレストランで二人きりの食事を終えて、味に満足したのか、はたまた2本空けたワインのせいなのか、先程よりも大分血色の良くなった伊達を連れ、在日時にJが使っているマンションへ向かう。その途中、華やかなイルミネーションを飾る町並みからすこし外れたあたり、宵闇に沈む一画にある場所へ近づくに従って、Jはクルマの速度を少し落とした。 「……いつものか」 速度が落ちたのを感じたのか、助手席で眼を閉じたまま伊達が言い、Jは口元でちいさく笑う。 「ああ。……済まんが少しだけ待ってくれ」 「勝手にしろ」 上質な生地で出来た着物が皺になるのも厭わず、伊達は目を瞑ったままクルマのシートに深く身体を預ける。憎まれ口は性格故のことと知っているし、敢えて言葉に出さずともこの空間を心地よいと思っているのが解るから、Jは余計な言葉を吐くことはなかった。 目指す場所へついて、街灯の光も届かぬ薄暗い場所にクルマを停めると、Jはエンジンを掛けたまま車外へ出て行き、僅かに数メートルの距離を歩く。辿り着いた先には、白い十字架を頭に頂いた神の家が、柔らかな明かりを点してそこに在った。 来るものを決して拒むことなく、開かれたままの門扉には近寄らず、Jは己が目の前にある建物を―――その上に宿る十字を暫し見上げた後、祈るように目を閉じた。 手を組むわけではなく、祈りの言葉が呟かれるわけでもない。まるで自らその家に入ることを禁じたかのように、敷地内へは一歩も足を踏み入れず、ただただ門前へ立ちつくし、目を閉じて頭を垂れる。……この光景をもし見るものがあらば、その胸が痛まずには居れないくらい真摯で敬虔な、魂の祈りだった。 この哀しいほどに美しい光が、自分へ預けられたこと。その光の存在そのものが罪であるとするならば、その罪を抱いてなお、自分のため―――それ以上にも彼のために―――救いの祈りを捧げずには居れない、矮小な自分を。 責めるでも悔やむでもなく、ただただそこに「在る」ことに赦しを求めようとする、祈りの姿。 (あなたの存在が授けられたことを知らせたあの明星のように―――自分にとって失えないほど大切なこの星を、その輝きをどうか……愛し、赦して下さい) 「……amen」 最後の一言だけ声に出して、Jは深く頭を垂れる。ほんの僅か静止したままでいたJの背中へ、ふと暖かいものが触れる。 「……遅ぇ」 見れば、クルマの中で一人待っていたはずの伊達が、いつの間にか背後へ―――しかもまるでJの背へ頭をもたせかけるようにして立っていた。 「すまん、遅くなった」 「あんまりてめぇが遅ぇから、そのまま寝ちまうところだった……眠気覚ましに降りてきて見りゃ、まだつっ立ってやがるしよ」 不意にこみ上げる、暖かな想い。本当に自分が遅かったわけでも、痺れをきらした訳でもないけれど、唯一人クルマの中で、屋外にて祈り続けるJの姿を見ているのが何故か心に障って―――J自身のための祈りでなく、何か別のものの為に祈っている姿が歯がゆくて。 「悪かったな、待たせて。もう済んだから、行こう」 Jの声を聞いて、踵を返す伊達の背中が薄寒く―――そう、この寒空に着物と羽織だけの出で立ちでいる伊達のうなじがやけに寒そうに見えて、Jは後ろから追いつつ、自分の首に巻いたカシミアを抜き取る。 「伊達」 「ん?」 立ち止まり、怪訝そうに振り返る伊達の首へ、Jは己のマフラーをそっと巻き、そのまま抱き締めた。 「I wish your Merry Christmas…」 「……こんなトコでんンな真似して良いのかよ。教会の目と鼻の先だぜ」 「いいんだ、もう赦しは乞うた。赦されないなら、お前がこうしてクルマを降りて来はしない」 「都合の良い言い訳だな」 「そうだな。だが、いいのさ。……お前がここに居てくれるのなら」 「……言ってろ」 抱き締めていた腕を緩めて体勢を変えると、Jは伊達の首に巻いたマフラーの裾を、羽織の中へ織り込むように仕舞う。 「クリスマスカラーの緑は永遠を表す。……その深い緑が、お前に永遠の喜びをもたらすように」 「気障な渡し方しやがって、コレだからアメリカ人ってのは……」 巻かれたマフラーから微かに覗く耳元を赤く染めて、伊達は憮然としたように黙り込んだ。 「誰彼構わずしてる訳じゃない。伊達、お前にだからするんだ」 年に一度、この時期にだけ見せるJの柔らかな微笑みを向けられて、伊達の躰の奥に、小さな情欲の火が点る。 「……J」 「どうした?」 「寒い」 「そうか、では行こう。……全身で暖めてやる」 ちいさく、そして熱く。その火は伊達の指先からJへ伝染り、互いの体内をすこしずつ侵して行く。 「―――っ、ア!」 アンティークらしい、時代がかった蝋燭立てに点された3本のキャンドルが、広いベッドルームの一隅だけをほの明るく照らしていた。 「焦らすな……、J…っ……」 堪えきれず漏れる、責めるような甘い喘ぎ。 「お前が冷えてしまわないように、暖めてるんだ」 部屋の中の気配に、ちいさく踊るように火影が揺らめく。 「……もう、寒くな……っ、ア、あぁ!」 組み敷かれ、皮膚の厚い暖かなこの男の掌で全身余すところ無く触れられ、愛撫されて―――この男が恭しく、自分をさも「一番大切なもの」のように触れてくるのが、堪らないほど伊達の感覚を揺さぶる。 「いや、つま先がまだ冷たい……」 気配を読むことに長けている故、人一倍感覚も鋭敏な伊達の身体の中でも、相当に敏感な部類に入る部位。普段は厚地の足袋へ包まれているその場所に、Jはそっと口付け、舌先で指を一本ずつ解しては口中に含んでゆく。 「っァ、止め、ア、あァッ!」 びくりと全身を震わせ、伊達が小さく極みに達する。 「……伊達? 達ったのか」 Jの言葉に、伊達の全身がカァっと朱に染まる。 「五月蠅ぇ! ……テメェがいつまでもしつっこく脚なんか舐めて……っ」 感じて、昂ったまま達したせいか、潤んだ目元で睨み上げてくるその眼差しすら、Jにとっては誘惑されているようにしか見えない。 「感じているお前があまりに愛しいから……つい、な」 Jの放つ言葉に、音にさえ鼓膜を愛撫されるようで。 「……っ!!」 身体の最奥から、身震いするほどの熱が熾る。 「伊達」 正面から見つめられ、抱き締められて。 「……早く、来い…っ…」 この男の普段秘めた熱が、年に一度だけ、この輝きの糧となるために放たれる。 「伊達……、 My Only Star……」 既にどれだけ数えれば良いのか解らないほど、幾度も幾度も求めて抱かれ、啼かされ貫かれて。最後には気を失うようにして眠りについた伊達が、漸く重いまぶたを開いたのは、翌日の昼近くのことだった。 重い身体を引きずるようにして起きあがり、何とか歩けるまでに回復して支度をし、家路につく。 「……少しは手加減しろ、全く……」 それでも思う存分甘やかされ、暖められて満更でもなかったのか、昨夜贈られた濃い緑色のカシミアにすっぽり口まで埋もれながら、ブツブツと伊達が零した。 「すまないな、毎回手加減できなくて」 言葉ほども済まないと思ってなど居ないJが、嬉しそうに運転席で笑う。 「じゃあ、行くぜ」 Jが伊達の自宅最寄り駅まで送って、伊達はここで待っている内藤の車で戻ることになっている。 「そうだな、そろそろ行かねばな」 視界の端に内藤の運転するジャガーが見えて、Jは名残惜しそうに伊達を見つめた。 「じゃあな、J。……また」 言いながら、伊達が助手席のドアを開ける。 「ああ、又来年のイヴに。……近くなったら、連絡を入れる」 周囲に見えぬよう、身体を支えながら、Jが伊達に微笑みかける。 「……連絡、しなくてもいい」 「伊達!?」 驚愕で思わず動きの止まったJを置いて、伊達はさっさと車外に出る。勢いをつけて扉を閉める直前、微かに空いたウィンドウの隙間から、伊達の声がJの耳に届いた。 「俺の方から、時間と大まかな場所だけ知らせてやるから、テメェは黙って見つけに来い」 小さく笑いながら告げたその声は、いつまでもJの耳へ残り、なかなか消えることがなかった。 <You're the Only,You're My Only Star 了> |