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12月24日、夕方。 いくら親しい友人とはいえ、互いの身分を考えれば自宅での出迎えなど出来ようはずもなく、伊達はとある外資系ホテルのロビーでJを待つ。目立たずには居れぬ頬の六条傷から目を反らせるような、さりげなく目隠しが出来、かつ周囲のざわめきに紛れられる席で、しかし完全に気配を殺したまま男を待った。 「……待たせたか」 伊達の周囲にある空気が微かに動き、嗅ぎ覚えのある香りを運んでくる。伊達は閉じていた瞼をそっと開き、傍らに立つ長身の男を見上げた。 鍛え上げられた鋼のような身体を、仕立ての良いチャコールグレーのスーツで包み、首には濃いグリーンのマフラーを無造作にかけ、薄い金色をした短い髪をきちんとセットしている。「これから何処そこのパーティに行くのだ」と言われれば、成る程と頷ける出で立ちだったが、それが違和感なく周りに溶け込む程の自然な姿で、伊達のもとに現れた。 「多少な。……だが、思ったより早かった」 待っているくせに自らは近寄ろうとせず、必ず相手に自分を探し出すことを言外に要求する伊達の姿。それはむしろ景品として自らを差し出すが如き、身を削るような駆け引きさえ楽しんでいるようで。 (……まるで擬態のようだな) 「俺を探し出せないような野郎になど用は無い」と、笑いながら己の気配を殺す伊達とJの、互いを探り合う見えない戦いから二人の逢瀬は始まる。 見つからないように。 見つけ出して欲しそうに。 伊達が消した気配の中から僅かに見え隠れする正反対の感情の波動を、己が感覚の糸を張り巡らせて、Jは少しずつ少しずつ、伊達のいる範囲を突き止め、その逃げ場を狭めて行く。決して表立って人に見えることはない、互いの感覚だけで楽しむゲーム。 (見つけてみせる……必ず) 置物さながらの姿で周囲へ溶け込んで居る相手を探し出すのは非常な苦労を要する筈が、それは探しびとの卓越した勘と能力によるものか、Jは唯一人自分を待つ伊達を見つけ出し―――密やかに、だが確実に、そのパーソナル・スペースへと入り込み、捕らえるのだ。 (もしかしたら、これが俺の執着なのかも知れん) 伊達に対する執着。普段のJが言われるストイックさや冷静さなど忘れたかのように、その地位も栄光も、背負っている何もかもかなぐり捨て、完全なるプライベートで年に一日だけ、伊達一人を追うために日本を訪れる。 たった一つ、護りたいもの。 たった一つ、失くせないもの。 それが例え他の天体に輝く星であっても―――唯そこに「在る」だけで満足していられる。 年に一度だけこの手の中に降りる、そのひと時の為に。 「……J?」 「ああ、少し考え事をしていた。済まんな。……行こうか」 訝しそうに、微かに眉を顰めながら、伊達がソファから立ち上がる。 「美味いものを喰わせてくれるんだろう?」 「そうだな。その後もっと美味くお前を喰わせて貰わねばならんからな」 「フン」 ふいと横を向くその表情が、あの頃と変わらぬ愛しさをJに呼び覚ます。 ―――嘗て、本当の意味で彼を知る全てが戦くほど、この存在が危うい光を放ったことがあった。 彼にとっての唯一、自我の存在価値全てを懸けた存在が失われかけた時―――その光は暴力的なほどに強まり、そして今にも消えてしまいそうなほどにも弱く、妖しい明滅を続けていた頃。当時「彼」とその「唯一」がそういう関係であったことを知るものは少なく、当人達以外では塾総代とJ、それに彼の身辺の面倒を見ていた美貌の男くらいであったろうと思う。……その後、彼に強い執着と関心を見せる上級生数名が加わりはしたが。 一見しただけではそうと解らぬ「彼」の放つ危うさが、事情を知る者たち全てにとって恐怖の前兆でしか無く、このまま行けばいつ最後の輝きを見せることになってもおかしくない―――そう思い始めた矢先の出来事だった。 『J、相談があるんだ。ちょっと来てくれないか』 いつもの人懐こい……けれどいつも以上に剣呑な光をその眼差しに秘めた総代が、ある日突然自分を呼び止め、それ以外にも「彼」の事情全てを知る7名を集め、一堂に会した。 『手前勝手な事とは重々承知し、また総代としての身分を悪用する自覚もある上で、皆に頼みがある。……伊達のことだ』 面倒な挨拶など一切省いて、桃は単刀直入に本題へ入る。 『現状の伊達は、皆も知っての通り、非常に危険な精神状態にある。本人はそれを全く無自覚のまま、先輩を忘れている……というか、「自分にとっての先輩の存在を無かったこと」として、日常を過ごしている。思い出すのは唯一閨の時、精根尽き果てるほど追いつめた最後だけだ』 己で話しながら桃はその瞬間を思い出したのか、寂しげな眼差しで微笑んだ後、言葉を続けた。 『俺にとって伊達は必要不可欠な人間で、多分それはこの中の数名も同じように思ってる事だろう。だから“失えない”という意味では同じ立場にある。……それぞれのスタンスは違ったとしても。 ……だがこのままでは、遅かれ早かれ伊達は死ぬ。本人に自覚もないまま―――しかも伊達自身が一番恐れていた、戦いの場以外での、緩やかな精神の死というかたちで』 桃の言葉に、その場へ居た7名全員が、現状の全てに対する執着を失ったような、どこか投げやりな雰囲気さえ纏った伊達の、感情が消えた眼差しを―――それへ点る僅かな光さえ失われた姿が見えたようで、それぞれが眉間に皺を寄せ、小さな怒りの言葉や、言葉に出来ぬ溜息など、微かな悼みの表情を顕す。 『……だから、協力して欲しい。俺が一人で支えられるならそれが一番だろうけど、俺にだってあのひとを失ったダメージが無い訳じゃない。伊達と同じように大切な存在を無くしたことは事実で、同病相憐れむにも限界がある。……事実、俺もあいつに引き擦られてかなり危険な状況だ。このままではこの7人以外をも巻き込みかねないし、巻き込まれれば最後、邪鬼先輩が居ない現状では、事態収拾を図れる人間が居なくなる。そうなったら、最後だ』 ほんの少し面を伏せ、唇を僅かに噛み締めた桃は、やがて振り切るように最後の決断を口にした。 『だから、悔しいけど助けて欲しい。……「元の伊達に」とは言わない。現状維持で構わないから、伊達に先輩のことを忘れさせないように、そして、これ以上壊れて失うまえに、伊達を引き留め、護って欲しい。……どんな手段でも構わないから。 そして、伊達と直接の接触を持てない者に関しては、持てる者と伊達がそうなることを許し、見守っていて欲しいんだ。……言うなれば非常措置として。俺の我が儘勝手なのは解っている。でも、失えない。……もうこれ以上、俺から誰も奪わせない。その為に皆の協力が必要だから……。だから、助けて、下さい』 何に置いても人並み以上の能力を持ち、謎に包まれた部分も多く持つ自分たちの大将が、自分にとって大切な存在を失いたくないために、涙さえ流して頼むその姿は、既に彼自身がかなり限界に近づいていることを知らせていて。 「……どんな手段でも、つったな。つまり身体の関係を強いてでも、と思って良いワケか?」 その特徴ある髪型で人目を引く、伊達に強い執着を見せている男が、一番言いづらい部分をあっさり問う。 『そうです。別にセックスだけに限らない。戦って、瀕死の状態に陥らせたって構やしない。……それで、あいつが生きるための根源たる闘争心に火をつけ、自ら生きようとさえ思ってくれるのなら』 「要はこの場にいる7名全員が共犯で奴を飼おうと……そういう事なのだろう?」 その輝く金髪と同じように怜悧な美しさを持つ先輩が、核心に触れることをずばりと言ってのけた。 『そういう、事です。……俺があのひとを失って、もう一度きちんと立ち上がり、伊達を全部受け止められるようになるまで……あのひとの代わりには決してなれないけど、俺が俺として、伊達に必要とされる存在に成り得るまでの間、皆で面倒を見て欲しいと、図々しいことをお願いしているんです』 「もしお前がその存在たり得なかった場合は、この共同関係は永遠に続くわけだな。……つまり、お前が赤石と同等かそれ以上になれるかどうか、お前の器量一つに掛かっていると」 それまで黙り込んでいた、かの帝王を一番傍で支え、見つめてきた男が言い放つ。 『影慶先輩には、恐らく伊達の苦しみが一番解るかと思います。……先輩にとって邪鬼先輩がそうであったように、誰もあのひとたちの代わりになんかなれない。俺にだってそれくらい解ります……解ってるつもりです。 でも、俺にとって伊達は赤石先輩と同じくらい大切な存在だから―――これ以上伊達まで失ったら、多分俺がもう……生きて行けない』 そう言ってうっすら微笑む桃の姿が、どれほどの悲しみに染められていただろうか。 冠する者の孤独。それは同じ立場に立ったことのある者にしか決して解らない苦しみであり、それを分け合える存在などそう居はしないことが、この道を極めてきた男達には解るのだろう。そしてその言葉で、現在の桃がどれほどの苦境に立たされているのか、狂気と正気の境目でどんなに辛い思いを抱いて伊達を見守ってきたのか、他の6名へ全て知れてしまうくらいに。 「……解った、飲もう。生憎と俺は見守るしか出来ぬ無骨者だが、余計な口を差し挟むほど野暮でもないつもりなのでな、塾内での多少の出来事には目を瞑ることとしよう。……影慶、飛燕、俺たちはそれで良いな?」 「俺も、ああまで言われては流石にこれ以上突っかかれんな。 この身体ではセンクウや卍丸のように直接接触が出来る訳でなし、本当に見守る以外の術は持たぬが……協力しよう」 「羅刹先輩、影慶先輩がそう仰るのであれば、私に異存はありません。完全に、伊達のフォローに回りましょう……今までと同じように」 「成る程、オレと卍丸は伊達との直接対峙組か。……J、お前にもそっちを頼むが、良いか」 「俺で、力になれるなら」 ―――己があの男の生きる糧となり、あの輝きを保たせられるのなら。 |