早朝、仁が起きてしまう前にオレは“金星”にいる慶の元へ向かった。何故なら、慶の作ったおにぎりが無性に食べたかったからだ。慶は笑いながらオレを迎え入れ、要望通りおにぎりを作って運んできてくれた。それを食べながら、オレは慶に先日あった出来事の話をしていた。
「実はこの前さ、仁に何が食べたいんだって訊かれたから“みどり●たぬき”って答えたんだよ」
「ムチャ言うなーお前」
慶も朝飯がまだだったらしく、オレと一緒になっておにぎりに食らいついていた。
「そしたら何か鍋が出てきたんだけど、肉は本物らしくて、あとは野菜とか。とりあえず汁も緑だった」
少し興奮気味でまくし立てる様に言うと、慶が食べたのかと訊いてきた。出されたモノは食べないと失礼だろうと、とりあえず食べてみたらそれなりに上手かったのだと答える。
仁にソレを差し出された時、正直あまり口にしたくはなかった。野菜はともかく、肉は…だって肉は、アレだろう? 向こうでだって食べた事ないものを、いきなり出されたら戸惑うじゃないか。言い出したのはオレだけど、初めは本当にそう思っていた。
それでも仁の気遣いを無下にしたくなくて、食べてみたのが先日。肉は肉なんだと改めて思った。その原形であるモノには申し訳ないと思うが。
「良くしてもらってるんだな、光也」
自分の子を愛でるような顔をしながら、慶がオレの頭を撫でてきた。いつもは振り払うが、この時ばかりは振り払えなかった。だって慶は最初、一人だった。オレが皆と笑い合ってる頃、慶は一人でこの場所を彷徨っていたのだ。それを考えると、その優しい手を振り払う事はできなかった。
「そうだな…仁には感謝してる」
軽い罪悪感を覚えたが、謝る事は決してしてはいけない。
複雑な心境になりながらも、撫でるのをやめない慶のおかげでオレの髪はぐしゃぐしゃになりそうだった。
その時、部屋のドアが勢いよく開かれた。音をたてて姿を現したのは、仁だ。少し息を切らしている仁は、目を細めながらオレの頭の上を見ていた。多分慶が手をのせているからだろう。
「あー…よくここってわかったな」
「光也が行く場所なんて高が知れてる」
カチンとくる台詞に思わず口を開きそうになる。けれど、オレが口を開く前に仁が此方に歩み寄り、オレの頭の上にのっている慶の手を音をたてて払いのけた。
「また二人で、いったい何を話していたんだか」
刺々しい口調で仁がオレと慶を睨む。オレは一度慶を見て、それから仁を見直した。
「何って…仁の優しさに感謝してたとこで…」
そう言うと、仁が訝しげな表情になる。
「僕の優しさ?」
「あーほら、前に“みどり●たぬき”って言ったら用意してくれたろ?」
それだよそれ、と笑ってみせると、仁は唇を噛みしめた。どうやら、照れているのを悟られない様にしているようだ。そんな仁に内心笑ってしまったが、顔には出さずにいた。
おにぎりに添えてあった漬け物を口の中に放り込み、パリパリと音を立てて噛む。これでオレの食べたかったものは全て胃の中に収まったわけだ。
「光也。食べたなら、そいつが噴火する前に帰れよ」
お手拭きで手を拭いていると、慶が笑いながらそう言った。今日の慶はよく笑う。その表情にはオレ自身も癒されていた。しかしその言葉に仁は苛立ったのか、余計なお世話だと言い放つなり、オレの腕を掴んで強引に外へと出てしまった。
あまりにも唐突な事だった。慶に挨拶しそびれたと言うと、仁はそんなものはいらないと言ってきた。
「仁、腕いてえよ」
「掴んでないと、お前は直ぐどこかへ行ってしまう」
オレの腕を引っ張りながら言う仁は前の方にいる。だから、仁がどんな表情をしながらそう言っているのかはわからなかった。それは、慶光へ向けた言葉なのだろうか。
仕方がないのでそれ以上は突っ込まず、腕を引かれるまま歩く事にした。多少歩きにくいが。
暫くそのまま進んだあと、仁がオレの腕を放し、此方に振り返った。そして優しい笑みを見せる。
「また何か欲しいのがあったら、用意してやる」
僕にできない事などない。そう言うかの様に胸を張る仁に、少しだけ気持ちが崩れそうになる。
本当に欲しいのは、仁、お前の…。
「…あか●きつね」
ボソリと呟く様に言うと、仁が一瞬不思議そうな顔を見せる。だがそれは直ぐに綻んだ。
「今度はあか? その次はあおか?」
仁が笑いながら訊き返す。それからそれについて独り言を口にしながら歩いていた。
本当に欲しいのは…。
―――仁、お前の心が欲しい。
慶光ではないオレをきちんと区別して、何もかも全てをさらけ出してオレにぶつかってきて欲しい。まだ知らない仁の心の奥そこを、探り当ててみたい。そうすれば、オレはもっと潔くなれるかもしれない。そう言ったら、仁はどんな顔をするだろうか。
本当は、そうするのも少し怖いのかもしれない。仁がオレの中で慶光を捜し続ける限り、オレは素直になる事ができないのかもしれない。
だけどオレは、仁の為に何かをしたい。これはきっと、仁が慶光の為にと想うのと同じなんだろう。
ジィちゃん、オレは仁の為に、何かできるだろうか。
「みつ、おいていくぞ」
今の仁は、やけに楽しそうだ。オレに――オレの中の慶光に――手を差し伸べる。
オレは、その手を取ってもいいのだろうか……?
仁はオレの方を見たまま、差し伸べた手を引こうとはしない。オレはゆっくりと手を伸ばし、仁の手の平に触れそうになった所で叩き落とした。
「一人で歩けるっつーの」
照れている訳ではないが、仁に顔を見られたくなくて彼より先に足を伸ばす。仁は「残念」と言いながらも気分は悪くしていないようで、笑いながら後をついてきた。
いつか、いつか、その手に自分の手を重ねられる時がくるまで、もう少しだけ待って欲しい。そうした時にまだ仁の想いが変わっていなければ、またこうして手の平を差し出して欲しい。いつかその時まで…。
2009.5.19
ギャグに走りたかったんだけどどうして…。