咎められない関係を。

 木の葉が沢山道路に落ちている。踏む度に枯れた音を鳴らすその葉が、今どんな季節かを現してくれている。そんな季節で、吹く風も肌に寒さを感じられる昼前、僕はひきこもりがちな友人・鳥井のマンションへ向けて足を進めていた。

 今朝起きて携帯の画面を見ると、そこには着信アリで鳥井真一と記されていた。
 元々鳥井の番号は登録してあった。たぶん鳥井も僕の番号は登録してあるだろう。何しろ鳥井は電話が大嫌いだから。ディスプレーを見て“坂木司”と表示されないと受話器を手にしない。いつも留守番電話のスイッチを入れていて、本当に――本当に必要最低限のときにしか取らないのだ。
 まぁ、木村さんのようにしつこくも優しく掛けてくれる電話は最終的には取っているようだが。
 鳥井が僕に何か用事があるのかと思って、とりあえずその電話番号に掛けなおした。
 コール二回目で、その電話の主は受話器を取った。
「もしもし鳥井? どうしたの?」
『…坂木?』
「僕の番号と名前が表示されただろ? そんな怯えた声出さなくても、ちゃんと僕だから」
 僕の番号が出ているのにも関わらず、鳥井は僕が坂木だという事を執拗に確認する。それも、以前に僕の携帯で、滝本が鳥井に掛けて驚かせてしまった事があるからだ。滝本は『ちょっと遊びで』と言っていたが、鳥井は相当それに対して怒ってしまい、暫く捻くれてしまっていたのだ。後ほど小宮くんと滝本がよいしょしたことで次第に機嫌は直っていたが、まだ心持疑っているらしい。
「それで? どうしたの?」
『…いや、別に…何でもない』
 掛けておいてそれはないだろ。内心突っ込みたい気持ちでいっぱいだった。けど、鳥井が自ら―いくら僕への携帯とは言え、自ら掛けてきたんだ。何かあるに違いない。
「何かあったんだろう? 昼前には行くようにするから。そっちに行ってからでも大丈夫? 何か買って来て欲しいものとかはあるかい?」
 鳥井の有無も聞かずに、僕が次々と口を開いていると、鳥井がボソボソとものを喋っていた。聞こえないよ、と言ってみると、少しうめいてから弱弱しく口を開いた。
『―――坂木だけでいい』

    ◆

 どこか様子がおかしかった。大丈夫か?と聞くと“大丈夫だ”としか返ってこないので、とりあえずは大丈夫だと思うが、やはり心配になってくる。その所為か、少しばかり行く足が自分の部屋を出てきたときより速くなっていた。
 横断歩道を渡ろうとした時、不意に横から声を掛けられた。
「あれ? 坂木さんじゃん」
「あ、利明くん。おはよう」
 声を掛けてきたのは利明くんだった。今日は日曜日なのに、学校指定と思わしきジャージを身につけていた。襟元を立てて、少し寒そうに首を竦めるその仕草が、大人びている顔立ちや体格とは違い、妙な子供っぽさを醸し出していた。
「おっす。急いで…鳥井のとこでも行くのか?」
「うん。何か様子がおかしくてね。利明くんもお出かけかい? でも、ジャージだから…部活?」
「まぁな。それより…おかしいって? 大丈夫なわけ?」
 珍しく利明くんが鳥井の事を心配している。お互い犬猿の仲のような間柄だったからあまり気にはしないだろうと思っていたから少し意外に思えた。
「うん。本人が大丈夫だって言ってたからね。たぶん大丈夫だと思うよ」
「そっか。ならいいんだ…。じゃ、俺もう行くから。鳥井にもよろしくな」
 利明くんは片手を挙げて挨拶をしながら小走りで走り去っていった。僕も挨拶をしようと思ったが、利明くんの足の方が速くて、挨拶をする間もなく、仕方無しに手だけ振っていた。
 彼の姿が見えなくなってから、僕は渡ろうとしていた横断歩道を渡ると、改めて早々と鳥井の元へ向かった。
 ふと電話に出た時の鳥井の声を思い出してしまった。
 “大丈夫だ”と言い張るには弱弱しい声で、顔も見ていないのに少し可愛かったような気がして顔が緩んでしまう。おまけに最後の発言は可愛いとしか言い様のない、女の吐くようなセリフだった。
 それでも――そこまで本当に僕を一番としてくれる彼が、僕は大好きだった。
 ただの友達同士としての好きじゃなく、恋愛感情と言ってもいい位に。
 例えそれが、世間一般では許される事じゃなくても…。

 鳥井のマンションについて、彼の部屋のチャイムを押す。鳥井は少ししてから出てきた。
「おはよう、鳥井。まさか二度寝してたとか言わないよね?」
「してない」
 少しムスッとした表情で出てきた鳥井は、下はジャージ、上はTシャツと言った軽い姿だった。しかし妙なのはタオルケットを羽織っている事。
 鳥井は一言だけそう言うと、視線で「入れよ」と促がす。そしてくるりと姿勢を変えると、少しだけタオルケットを引きずりながら奥へと歩いていった。僕もそれに続くように中へ入る。
 中は相変わらず小奇麗に片付いてあって、机の上のパソコンが光り、辺りを少し明るくしていた。鳥井はカーテンも開けずにいたのだ。
 僕は少しだけの荷物を床に置き、閉まっているカーテンに手を掛けた。もちろん開けようとして。
 だが、その僕の行動は、鳥井の行動によって制止してしまった。
「鳥井? また寝るの?」
「うるせー。そのパソコンでもいじってればいいだろ」
 鳥井はタオルケットを被りなおしながら、小さなソファーへと寝転がっていた。
「僕を呼んでおいて、僕にはパソコンいじらせて自分は寝るのか?」
 僕が聞き返しても、鳥井は答えなくなってしまった。仕方無しに、鳥井の寝ているソファーへと歩み寄る。そしてそのソファーに片膝をのせ、鳥井の顔を覗き込んでみる。
「鳥井…? もしかしてさ…熱とか、ある?」
 僕がそう思ったのは、鳥井の頬が火照っていたからだ。ちらっと僕のほうを見る目も潤んでいて、少しだけ苦しいように見えた。
「…わかんない。でも大丈夫だから」
 そう言うと、鳥井はまたタオルケットに顔を埋めてしまった。
 あぁ、一人だと不安だったんだな。だから僕に電話をして、一緒にいて欲しかったんだ。どこまでも面白くも可愛い行動をとる鳥井。そんな鳥井を見て、僕は思わず苦笑してしまった。
 その声が鳥井にも聞こえたのか、鳥井は眉を寄せながらまた顔を覗かせた。だから、僕はいい事を思いついた。僕は外から来たばかりだから、手袋もしない、ポケットにも突っ込まなかった手は冷えている。今もまだ熱を持たずにいた。
「鳥井、ちょっと顔をあげて」
 僕の言う通りに、鳥井は少し顔をあげてみせた。そしてひきこもりがちな為か、割かし白めな彼の頬を両手で包み込んでみる。予想通り鳥井の頬は熱かった。鳥井もその熱さと僕の手の冷たさの間に快楽を覚えたかのように、ゆっくりと瞳を閉じた。
 鳥井の乾いた唇が、呼吸をしようとうっすらと開く。その中で、赤く潤っている舌が覗いた。
 ほんの一瞬。本当に一瞬だった。僕の理性が飛んで、鳥井に顔を近づけていた。その赤く潤う舌に、誘い込まれるように――吸い込まれるように、彼に口付けをした。
 軽く触れるだけ触れて、直ぐに顔を上げる。鳥井は一瞬で何が起きたか分からないような顔をしていた。
 それでも僕の瞳の奥をじっと見つめてくる。鳥井の頬も僕の手のおかげで冷えるかと思っていたのに、次第に始めよりも熱を持つようになってしまった。
「さ…か、き…?」
「…ごめん」
 罪悪感が欠片でもあったのか、思わず咄嗟に謝ってしまった。酔っている訳でもない、言い逃れの出来ない行為だ。その行為の意味を改めて深く知ったのか、鳥井の熱は一気に上昇した。目を見開いて僕を見ている。少し、体が震えているように感じられた。それは熱風邪の所為なのか、それともキスをされた事に対しての嫌悪感か。今このまま言いたい事を言って、事を続けたら、僕は鳥井に嫌われるだろうか。鳥井はますますひきこもりになってしまうだろうか。
 そんな考えが頭をよぎったのに、どうもコントロールがきかなかった。見れば放心状態ともいえる鳥井の唇に、僕は二度目の口付けをする。軽くじゃなくて、お互いにお互いの熱を確かめるような感じに深い口付けを。
「…んっ…!」
 鼻に掛かった声がもれる。鳥井の手は、どうすればいいのかもわからないまま、結局タオルを握り締めていた。体格差では頭一つ分と言うほど僕の方が上だ。腕を突っ張らせたところで敵うわけはないと、鳥井は確信をもっていたのだろう。
 濡れた音を立てて唇を離すと、鳥井は眉を寄せて肩で息をしていた。
 そして小さく口を開く。
「さかき…これだと、本当に…矢崎の言った通りに…」
 矢崎さんが言った事。それは、彼女の初めて僕らを見た感じ、僕らが“ホモ”だと言う事だ。今は“ゲイ”と言うのが真正らしいが…。いや、そんなことはどうでも良い。
 確かにそうなってしまうのはわかっている。それでも手をだそうとしているんだ。きっと僕は、そこまで鳥井の事が大切だし、好きなんだと思う。
 大切ならこんなことはしないんじゃないかって、そんな善意の気もあるけど、少し弱っている彼を目の前にして、この衝動を抑えられるわけがなかった。
 鳥井は、どこか魅力的なのだ。
 僕は「そうだね」とそれだけ言って鳥井の掴み絡まっているタオルケットをそっと剥がした。
 そしてか細く、それでも筋肉のついている彼の脇腹や胸に、服の上から自分の手を滑らせた。そしてスッと撫で下ろしてみた。
 その感触にビクッと反応し、鳥井はぎゅっと唇を噛み締めた。
 静まり返る部屋には、外から聞こえてくる小鳥の声が聞こえていた。

2004.09.19+2009.05.19-改訂