通い道。

 僕と僕の親友、鳥井真一は、本日久々のお出かけをしている。最も久々なのは僕の方じゃなく、鳥井の方である。ただでさえ普段外にでないのに、鳥井は昨日まで風邪を引いていたのもあったので、さらに外に出る機会が減っていた。病院へ行こうと行っても聞かない。やっと熱が下がったと思い、気晴らしに外へ出ようと誘っても、駄々をこねて出ようとしない。
 そんなちょっとした格闘が続いた数日後、鳥井はやっと外に出る事になった。
 理由は中川さん夫妻のお招き。
 昨日僕の携帯にとし子さんから電話があった。新しい料理を作ったんだがあまり自信を持てず、よければ試食をしてほしいと。鳥井も誘っていらして下さいと、僕らを招いてくれたのだ。
 中川さん夫妻の開く店の料理の味がどれだけ確かな腕かを、僕も鳥井もよく知っている。鳥井に話したら、直ぐに食いついてきてくれた。
 そうして今、この道を歩いているのだった。
 道中、鳥井はあまり口を開かなかった。僕の問いかけにも曖昧に返事をするだけで、少し俯き加減で足を進めていた。それは周りに、僕ら以外の人がいたからだ。大勢とまではいかないけど、鳥井はまだそういった人混みが苦手だった。
 会話も弾まないまま、目的地の「なか川」へと到着した。鳥井は僕が先に入るのを待っているのか、入り口の横に立ったまま進もうとしなかった。それを見て小首を傾げ、俺は先に中へと足を踏み入れた。
「こんにちは、とし子さん、丈太郎さん」
 入ると同時に声を掛けると、中から二人顔を出して笑顔になる。
「坂木さん。いらっしゃい。鳥井さんも、早くいらっしゃいな」
 ニコニコしたとし子さんは、僕の後ろに隠れていた鳥井を手招きする。すると、鳥井は軽くお辞儀をしてから手招きされたカウンターの方へと向かった。僕もそれに続いてカウンターの席に着く。
「改めていらっしゃい。今日はとし子の為にわざわざ来てくれて、嬉しいよ」
 おしぼりとお茶を出しながら、丈太郎さんが声をかけてくる。
「此方こそ、お招き下さって有難うございます。ほら、鳥井」
「…ありがとう」
 ぶっきらぼうに答えると、鳥井は上着を脱いで隣の椅子に掛けた。
「鳥井さんが来てくれないんじゃないかって、この人ってば迎えに行こうなんて、張り切っていたんですよ」
 とし子さんが可笑しそうに笑うと、丈太郎さんは「よせ」と言いながらとし子さんを小突いていた。そのやり取りは、見ているだけで暖かくなる。
「で、今日は何を作ったんだ?」
 そんな雰囲気も、僕の思考も、全てをばっさり切り捨てるのは鳥井の台詞。切り捨てると言うより、切り捨てられるのは、と言った方がいいかもしれない。
 鳥井が本題に入ろうとかけた声を聞き、とし子さんは僕らに少し待つようにと言った。とし子さんがそれを作っている間、僕らは丈太郎さんと軽い会話をした。今は店を開く前なので、客は僕ら以外にはいない。丈太郎さんはとても気さくな良い人で、最近あった出来事を色々と話してくれた。鳥井も外にいた時より口数は多く、時折笑顔も見せていた。
「お待たせしました。さあ、これですよ」
 そう言って、とし子さんが奥からお盆にお椀を二つ乗せてやってきた。僕と鳥井、それぞれの目の前にそれをゆっくりと置く。お椀からは静かに温かい湯気がたっていた。
「これは…?」
「名前すらまだ決めてないんですの。元は主人が作ったのなんですよ。それをちょこっとばかり、わたくしが改良してみたの」
 なるほど、と僕は頷いた。見た目はお吸い物に近い感じがする。中身もそんなに具が入っているわけではなく、綺麗に象られた人参とかまぼこ、小さな鶏肉に、細長く切られたネギ、そして飾りとしての三つ葉。改めて、本当にお吸い物のような気がしてきた。
 隣で同じようにお椀の中身を見ていた鳥井は、少しだけ傾け、汁を口に含んでいた。僕も同じようにお椀を傾ける。そして普通のお吸い物と、汁の味が違うことに気がついた。鳥井もそれに気づいたようで、一度とし子さんの方を見た。が、直ぐに視線をお椀に戻し、今度は中身を食べ始めた。また同じように、僕も中身に箸をつける。
「どうかしら、合わないかしら?」
 慌てるように眉を下げたとし子さんが僕らに尋ねてくる。でも言うことは一つしかない。
「とし子さん、これ、凄く美味しいですよ。普通のお吸い物とは汁が少し違うみたいで…さっぱりしてるところとか、中身は変わりないのに…」
 僕の隣の鳥井も、少し抑えた声で「美味い」と呟く。
 何よりもその汁が美味しかった。最近食べていた中では、一番とも言えるかもしれない。
「まあ、本当ですか? 良かった」
 安堵するように肩を落とすと、とし子さんは笑顔になった。
 鳥井はなにやら先ほどからお椀を両手で包み、その中をじっと見つめている。具はもう食べてしまって汁しか残っていないだろうに、何故だんまりしてしまってるのだろうと思い、僕が鳥井に手を伸ばそうとした瞬間だった。鳥井は急に俯けていた顔を上げ、カウンター越しにとし子さんを見た。
「とし子。これのだしは何を使ってるんだ? にぼしでも昆布でもないだろう?」
「あら、よく気づきましたね。流石鳥井さん」
 鳥井に質問され、とし子さんは嬉しそうに微笑む。両手をポンと合わせ、鳥井を褒めた。
「もったいぶってないで教えろよ」
「ふふ、企業秘密に決まってるじゃありませんか。知りたいのでしたら、じゃんじゃん通って下さいな」
 そう言ってコロコロ笑うとし子さんはとても楽しそうにしていた。その奥の方で、丈太郎さんも小さく笑っている。鳥井は少し唇を尖らせるようにしてまたじっとお椀の中を見つめた。そしてまた急に顔をあげると、今度は僕の方に向きなおった。
「よし坂木、また明日も来るぞ」
「え? え、ちょっと、鳥井?」
 僕の言葉も無視するように、鳥井は持っていたお椀を置くと、隣の椅子にかけていたジャンパーを羽織った。そして急かすように僕の服の裾をぐいぐいと引っ張る。
「こら坂木、何のんびりしてるんだ。帰るぞ」
「ええ?」
「また来る。ご馳走様でした」
 丁寧にお辞儀をすると、微笑みながら手を振るとし子さんと丈太郎さんを背に、鳥井は僕と店を後にした。
 そして一人何かをブツブツ呟きながら、競歩並みの早さで家路へと急ぐ。
「鳥井? どうしたの」
「絶対何か当ててやる」
 僕はその一言で鳥井のしたかった事がやっと理解できた。鳥井は、今日とし子さんに作ってもらった料理のだしを何か当て、自分でも作れるようにしたいんだ。そんな一生懸命な鳥井に、自然と頬が緩む。そして同時に、今までの体験談が思い浮かんできた。
 鳥井は、やるとなったら徹底的に遣り通す。そう、例え毎日が同じメニューだろうが、他人は気にせず自分の味を、研究を貫こうとする。
 自然と緩んだ頬は次第に苦笑に変わる。これから先、当分は鳥井の味見係になるんだろうなと場面を想像しながら、それでも外に出る機会が増えることは嬉しく、未だに何か呟いてる鳥井の頭を見下ろしながら、僕の心は暖かくなっていった。

    ◆

 それからと言うもの、鳥井は自分に暇ができると自らすすんで中川夫妻の開いている「なか川」へ通うようになっていた。もちろん一人で、ではないが。
「ほら坂木、何ぐずぐずしてるんだ。早くしないと混むだろう?」
 自ら出歩くようになったのに、やはり混んでいる時間帯に行くのは嫌なんだろう。少しばかりモタモタしてしまっている僕にお叱りが入る。もちろん本気で怒っている訳ではないので気分が悪くなったりはしない。
「わかってるよ、鳥井。でも、靴下を履く時間位くれてもいいじゃないか」
 そして帽子を目深に被るのも変わらない。
 変わったのは、前よりも少しずつ、外に出るようになってくれた事。今回ばかりは僕の力じゃない。丈太郎さんととし子さんに、深く感謝し、僕は上着を羽織って玄関に出た。
「遅いぞ」
「ごめんごめん。今行くよ」
 再度受けたお叱りに軽く手を挙げ謝り、僕は鳥井とマンションを後にする。ほんの少しずつ強くなっていく鳥井を見守りながら、この通い慣れた道を、これからも歩み続けるのだった。

2007.04.15