あの男から電話が掛かってきた後、予め他のメンバーには連絡を入れておいた。場所は告げず、ただ、赤井に会いに行くと。それが、最後の賭けになると。
賑わっている喫茶店の方が気が紛れるだろう。俺は電話で皆をとある喫茶店に呼び集めた。
話すことは一つしかない。赤井に会った事。賭けには負け、別れを告げた事。自分なりにまとめてきたつもりだった。だが、仲間の深刻そうな顔を見た途端、色んな事が頭から吹っ飛んだ。
其々飲み物だけ注文し、それからは沈黙が続く。誰もが、俺の次の言葉を待ってるんだろう。どこからどこまでを話せばいいか。改めてまとめようとしても、無意味なものとなった。
「……端的に言う」
小さく口を開き、息を深く吸う。相手を落ち着かせるように。自分を落ち着かせるように。
「赤井はもう、帰ってこない」
俺のその一言に、佐倉と栗栖が動揺する気配を見せた。後の二人は、覚悟していたかのような反応だ。拳に力をこめ、どうすることもできないまま、握り締めている。殴りたければ殴ればいいものを、余計な気遣いが俺を苛立たせた。
「それだけだ」
「ちょ、…っと、待ってよ、藤堂くん」
端的に済ませて立ち上がった俺の服の裾を、佐倉がしっかりと掴み、引き戻そうとする。
「どういうこと? 帰ってこないって、何で?」
佐倉は明らかに不安な表情を見せている。隣に座る栗栖もだ。多分、頭では理解していても、本当の理由を聞かない限り、真っ当に信じはしない、と言ったところか。
「言葉通りだ。帰ってこない。あいつは…あいつは、向こうにいる事を選んだ」
栗栖が物言いたげに俺を見る。言いたければ言えばいい。何で連れ戻してくれなかったのかと。やりきれない思いで満ちているのは、俺だけではない。それは分かっている。
佐倉に掴まれた裾を軽く払い、項垂れるように座りなおしては顔を伏せる。限界だった。これ以上、口を開いていたくなかった。それを静かに悟っていたのか、黙っていた森本が口を開いた。
「赤井が…選んだんだな…」
確認するように俺の顔を見る。俺は一度だけ視線を森本へと配ると、また伏せて小さく頷いた。
「そんな…」
それ以上言葉が出てこないのか、佐倉は青ざめた顔を両手で覆った。一番突っかかってくると思っていた蒼山は、ただただ静かに目を伏せて何かを必死に堪えていた。
誰もが戻ってくると、帰ってくると信じていたのだ。それを、裏切ったと言っても、過言ではない。俺は、連れ戻すことができなかった。時間切れになった時、俺は自分の無力さに怒りを覚えた。同時に、自分の愚かさに呆れていた。それでも今こうして改めてみると、別の部分で落ち着いているのかもしれないと思う。
“残る”とは言わずとも、あいつが選んだ道だ。あいつがあの男の元にいて、幸せとまでは行かなくても、この世に生を残してきちんと暮らしていけるなら、それでいいと思っている自分もいる。戻ってこなくても、同じ世の中で生きている、そう感じれるだけでいいと思う自分が…。
未だ賑わいを切らさない店内で、ここだけが酷く凍り付いている。
もう誰も俺を見ていない。皆が視線を落とし、肩を落としている。佐倉と栗栖の頬には、静かに涙が伝っていた。涙を流せない俺は、心の中で舌打ちをした。
これから先は、各々が決めていくことだろう。俺にできたのは、赤井に会いに行って、俺の気持ちを伝え、そして赤井の本心を探るだけだった。
テーブルの端から伝票を取り出し、メンバーはそのままにレジへと向かう。会計を済ませ、もう一度テーブルへと視線をやる。せめて最後だけは、皆の笑顔を見たかったかもしれない…。そんな俺の思いは、単なる我が儘なんだろうか。
そんな情を頭からかき消し、誰も顔をあげないうちに、俺は喫茶店を後にした。
◆
あの島に船で着く前、赤井に一つのライターを貰ったことがあった。俺が懐からライターを取り出そうとしてそれがない事に気づき、自然と出た舌打ちに、あいつが叱りながら声をかけてきた。自分は使わないからやると言われて。使わないのをなぜ持ち歩いてるのかと聞けば、誰かの役に立てたら嬉しいからと言っていた。他にもカバンには小さい救急箱や小道具が沢山入ってるそうだ。
俺はその貰ったライターを、あれ以来使わずに持ち歩いている。自分でも馬鹿げてるとは思っていても、なかなか手放せなかった一つの代物だ。いなくなった赤井の、唯一俺に残した物だった。
だが、それも今日で終わりだ。
あの男には、赤井の事を忘れろと言われた。綺麗さっぱり忘れろと。確かに、その方が今の俺の為でもある事はわかっている。だがこのライターを捨てたところで、きっと忘れることはできない。俺が始めて本気になった相手だ。忘れることは、できない。
せめてもの償いだ。形だけの別れを告げよう。
「あー…なんつったか…フランス語の……ああ、“オ・ルヴォワール”…だったか…」
独りごちてまたその言葉を脳内で繰り返す。
赤井はあの時、あの最後の時、言葉は一つもくれなかった。それが、全ての答えとなっていた事に、あいつは気づいていただろうか。
「俺は…」
気づいていたから答えなかったのか、それとも…。
「俺は生涯、結婚はしない。恋人もつくらない。お前だけを愛すると誓うよ、赤井」
我ながらクサい台詞を吐くものだなと思いながらも、言わずにはいられなかった。
割り切れていない自分に、形だけの終わりを告げる
これから先、お前を愛し忘れない事で、俺は一生涯の罰を受け入れよう
もう二度と会うことはない
これが、最後だ
―――オ・ルヴォワール
まだオイルの減りが少ない赤いライターは、夕陽を背に一度光り、そして静かに闇へと沈む
愛した人への誓いと、自分への戒めを込めて、それはやがて、揺らめく波の中に姿を消していった
2007.02.23
※ライターを川や海に投げ捨ててはいけません!