簡単なこと

「鎌倉、お台場、浅草、その他適当に遠い所、もしくは近所の公園。俺としては、近所でなく、遠いところがいいんだが」
 テーブルの上に様々な資料をドサドサと重ね置きながら、藤堂は俺にそう訪ねてきた。そしてどかりとソファーに腰を下ろすと、朝から吸い忘れたまま灰皿に置かれていた煙草に火を点け吸い始めた。
 急に何事かと思い、俺は暫く呆気に取られていたが、ハッとして口を開いた。
「何…これ…」
「旅行でもドライブでもいい、少し遠出しようぜ。どうせ明日休みだろ」
 言いながら背もたれに背を預け、目を伏せる。この光景は、何度か見覚えがある。少なくとも、それなりに長い事藤堂と一緒にいる俺にはわかる。
 藤堂がこういった突発的な行動を取る時は、いつも疲れているときだった。だから俺は、深く追求する事もせず、素直にそれを受け入れる事にしている。藤堂もきっと、俺がそうであろうと察している事に気づいている。それでも、少しでも気休めになるのならば、俺はそれでいいと思っている。
「藤堂は? どこか行きたい所とか…」
「赤井の行きたいとこ」
 元より考えるつもりがないのか、変わらず目を伏せながらダルそうにそう答えてきた。これでは益々反抗できない。俺は仕方なく手元の資料をかき集め、改めて目を通した。
 疲れているなら、どこか静かなところがいいだろう。でも何故か藤堂の集めてきた資料はそれほど静かと言える場所はなかった。近所の公園なら静かではあるが、それは最初に藤堂が拒んでいる。
 俺は少しだけ唸った後、中から一枚だけ引き抜いて藤堂に見せた。
「ここかな…」
「ん…湘南か…なら、海辺のレストランを予約しとくか。そこらに公園もあるだろうしな」
「うん」
 結局は公園で休みたかったのだろう。お台場でも良かったが、あえて少しだけ遠い所にしてみた。
「よし、じゃあ俺はまた暫く篭る。先に寝てろよ」
 額に小さく優しいキスが落とされる。
「わかった。無理するなよ」
 心配したつもりで言ったが、藤堂は笑いながら手を上げ、仕事部屋へと入っていった。
 既に風呂上りの俺は、藤堂が持ってきた資料を片付け、部屋内を見回してから、寝室へと戻った。電気を一番弱い光にし、ベッドに入る。一日の間で暫く使われていないベッドは冷たく、熱った身体を少しずつ和らげていく。それが過ぎると、訪れるのは少しの寒さ。
「………」
 隣にいる人が少しいないだけで、こんなに寒いものなんだと、改めて思い知らされた気がした。
 俺は布団をぎゅっと掴んで、ゆっくりと瞳を閉じ、闇の世界へと身を委ねた。

  ◆

 少しゆったりめの、10時過ぎにマンションを出た。
 車内には物静かなクラシックの曲が流れている。藤堂の好きな曲だ。そして俺も、いつの間にか好きになっていた曲だった。
 そんな中、特に言葉を交わすこともなく、俺と藤堂は湘南ビーチ近辺までやってきた。夕飯を食べるレストラン兼ホテルの駐車場に車を止め、まずは公園へと向かった。
 流石に土曜日なためか、家族連れの客がいたが、そう多いとはいえない数だった。ここならあまり煩いわけでもなく、心休めるだろうと、俺たちは木陰のベンチに座った。そして直ぐに藤堂は寝ると言って俺の膝枕で寝てしまった。ベンチで、しかも男の膝枕でなんて、そう簡単に眠る事はできないだろうが、横になる事に意味があるのだろうと思うことにした。
 耳に聞こえる子供の楽しそうな笑い声。小さい女の子、男の子、そしてその両親。皆幸せそうな顔で笑いあいながら遊んでいた。
 そんな光景をぼんやりと見つめていたら、ふいに下から声をかけられた。
「羨ましいか? 子供がいる事」
 唐突な質問に一瞬躊躇ったが、男ならではの答えとして、俺は苦笑しながら無理だよと答えた。そしてまた視線を子供たちへ移す。それから何気なく口を開いた。
「藤堂は……子供、欲しい?」
 俺の質問に、藤堂は目を丸くした。少しの間考え込むようにし、手が伸びる。その手は静かに俺の頬を撫であげた。
「…そうだな…ガキは嫌いだが、お前との子なら欲しいかもな」
 あまりにも優しげなその微笑に、俺は少しだけ心が痛くなった。俺が女だったら、きっと藤堂との間に子供も出来ただろうに…世間からも距離を置かれる事はないだろうに…。距離を置かれる事が怖いわけではない。寧ろ今では藤堂といれる事が幸せなくらいだ。ただ、藤堂の望みを叶えてあげられない。それだけが心残りだ。
 だけど、軽々とごめんの一言も言えない。それは俺にとって、重くてとても酷な言葉だった。
 同じように微笑み返し、それ以上は口を開かなかった。流れる風にその悲しみを乗せ、そのまま流してしまいたかった。けれど心はそう簡単に動いてはくれない。
 結局は、夕方になるまでその事をズルズルと引きずっていた。日中藤堂と買い物をしている間も、カフェで一服をしている間も、頭はその事ばかり。ましてそのカフェでは、藤堂をチラチラ見てる女性が多かった。藤堂は気にしていない様子だったが、いい加減、嫌な思いばかりする。でもそれは俺の勝手な我侭で、そして醜い嫉妬だった。
「上のホテルに、部屋を取った」
 レストランでの夕飯中に、藤堂がそう言ってきた。俺はそれにただ黙って頷いた。だが、本来は日帰りする予定だったはずだ。少しだけ疑問に思いながら、俺と藤堂は夕飯を済ませた。

  ◆

「よし、赤井、そこに座れ」
 部屋に入るなり、藤堂は俺にベッドの上に座るように言ってきた。意味がわからずただ首を傾げていたらメいいから座れモと強引に肩を押され、促されるままにベッドの上へと腰を下ろした。
「何考えてた」
「っ…」
 またしても唐突な質問に、俺は言葉を詰まらせる。感情は隠していたつもりだったのに、何故か見抜かれていたようだった。そして藤堂は益々鋭い目つきになる。
「あんま俺を馬鹿にするな。お前、俺が言った事気にしてるんだろ」
 次々と降りかかる言葉に、気持ちと一緒に追いつくだけでやっとなのに、図星を突かれて俺は更に参ってしまった。心の奥底からこみ上げそうになる涙と苦痛と格闘しながら、全てを塞ぐように、俺は口を噤んだ。開いてしまったら、余計な事まで言ってしまいそうだった。
 震えるな。そう思いながら―。
 藤堂は暫く俺を睨んでいたが、深くため息をつくと静かに肩から力を抜いていた。
「俺は…確かに子供が欲しいかもしれないと言った。でもそれは女じゃない。お前だからだ。お前が女であっても、それは意味がない。お前だから…男の、今俺の目の前にいる赤井とだから、欲しいと思った。お前はそれを変に誤解してる」
 立て続けに容赦なく言葉が浴びせられる。でも確かにそうだ。俺は誤解していた。いや、本当はそうだとわかっていたのかもしれない。でももしかしたらという可能性の方が高く感じられていたのだ。だから、謝る事も、口を開く事もできなかった。
「自分が女だったらとか思うな。女のお前になんか、興味ねえよ」
 そう言って微笑んだ顔は、昼間公園で微笑んだ時の顔と同じだった。酷く優しい顔。俺は堪えきれずに静かに涙を零した。藤堂はそれを指で拭いながら俺を抱きしめ、そのままベッドへと一緒に倒れこんだ。
 溢れる出る涙は、少しずつ藤堂のシャツを濡らしていった。
「ったく、難しく考えすぎなんだお前は。そのうちハゲるぞ」
 泣きじゃくる子供をあやすかのように、俺の震える背中を静かに擦ってくれた。藤堂の動作も言葉も、一つ一つが心の奥底に染み込んでくる。
 今更だからごめんの言葉も言えなかった。けれど、変わりに小さい声でありがとうと呟いた。
 確かに子供がいれば宝だと言って大切にするだろう。
 でも子供がいる事ばかりが幸せではない。
 閉めないままのカーテンの隙間から、いつの間にか月が顔を覗かせ、俺たちを優しく暖かく包みあげた。

2007.7.10