誰よりも、何よりも

 肌寒く感じられる秋風、それを和らげる暖かい日差し。窓を開ければより爽やかになるだろう室内も、開けないままでいる今は、心なしか暗いような気がした。
 と言うのも、藤堂が朝からご機嫌ナナメなのが原因だったりする。尤も、それよりも元の原因にあたるのは、他の誰でもなく、俺自身だったりもするのだが…。
「藤堂、いつまで拗ねてるつもりだよ」
 俺がさっきから何度話しかけても、一行に口を開かない。煙草を吸っては消して、吸っては消してを繰り返している。
「忘れてたのは謝るからさ、少しくらい口をきいてくれてもいいだろ」
 いつの間にか、灰皿は吸殻でいっぱいになっていた。
 俺は半ば諦めのため息をつく。
 昨日、俺は修平と一緒に映画の脚本の事で打ち合わせをしていた。場所は修平の家で、好きなことに集中して周りが見えなくなってしまった俺たちは、夜の十時頃にかかってきた藤堂の電話がくるまで、食事をするのも忘れて話し合いをしてしまっていた。そしてその電話の後、まだ暫く時間がかかりそうだった俺は、修平の家に泊まる事にし、それを藤堂にも伝えた。
 その時の様子がおかしかったのには気づけたが、受話器越しに聞いても、藤堂は答えてくれなかった。
 作業は夜中の二時まで続き、それからようやく眠りについた。
 朝起きたのは六時過ぎで、修平とご飯を食べてから彼の家を出た。
 昨日の藤堂からの電話が気がかりだった俺は、朝早くから悪いとは思ったが、その足で藤堂のマンションへと向かった。そして藤堂のマンションに着く前に携帯のカレンダーをチェックしていたら、昨日の日付にメモが記入されてあった。そのメモには“藤堂聖人誕生日”と一言。全身から血の気が引くような感覚を覚えたが、過ぎてしまったことは仕方がないと、俺は肩を竦めて彼に会いにいった。
「朝帰りとは、いい御身分だな」
 ドアを開けてくれた藤堂の第一声はそれだった。正直開けてくれさえしないんじゃないだろうかと思っていたが、そうではないようで、少しだけ安心した。だが、その言われようはないだろと思い、口を開きかけた。が、それもどうせ墓穴を掘るだけだろうと、開きかけた口すら閉じてしまった。
 そして今に至るのだ。本当に困った。十分、二十分と時間だけが過ぎていく。俺はもう一度ため息をして立ち上がった。この動作にすら反応なし。どうしたものか…。
「ちょっと…出かけてくる。三時前には戻るから…」
 言ってみたが、やはり無言。俺は仕方なく、肩を落としたまま出かけることにした。

  ◆

「さて、どうするかな…」
 そうボヤキながら、俺は昨日の分をどう取り返そうか考えていた。
 藤堂が何か物をもらっても喜ぶとは思えない。かと言って、恋人同士でありがちな“自分を…”みたいな事は、いくらなんでもこっちが恥ずかしいから正直言って嫌だ。
 いろんな事に思考を巡らせながら、俺はとりあえず喫茶店に入った。コーヒーを注文して、また暫く考える。
 そもそも、藤堂がこんなに口をきいてくれなくなるとは思ってもいなかった。ある意味、そこまで拗ねられると逆に可愛く見えてもっと何かしでかしたい気持ちになってしまう。
「…いや、いやいやいや…」
 周りに聞こえない程度に独りごちて首を振る。
 問題はそこじゃない。どうしたらまた俺に向かって笑ってくれるか。一日二日、放っておいて機嫌が直るならそうしよう。でも多分、それだけで解決できるモノでもないだろう。
 ぐるぐる考えること約一時間。結局大した答えも出ないまま、俺はあまり口をつけなかったコーヒーもそのままに、喫茶店を後にした。
 もうあれこれ考えるのはよそう。一応、謝りはしたんだ。藤堂の好きそうな料理でも作って、様子見でもしよう。そう思い、俺はスーパーで買い物をし、また藤堂のマンションへと戻った。

  ◆

 マンションに戻ってきた俺は、玄関のドアを開けたところで立ち尽くしてしまった。
 目の前には、藤堂が煙草を銜えて腕組みをして立っていた。銜えている煙草に、火は点いていない。
「…おかえり」
「あ…た、ただいま…」
 思いがけない言葉に戸惑いながらも返事を返す。
「何か、作んのか?」
 銜えていた煙草を指に挟み、俺の持っていたスーパーの袋を顎で示す。
「あ、うん、そう思って…。…藤堂…火、点いてないよ…」
「ん? ああ…」
 藤堂はふと視線をずらすと、そのまま室内へと戻っていった。俺はまだその場を動けなかった。
 てっきりまだ拗ねている…と言うより、怒っているのかと思っていたから、藤堂の行動に驚きを隠せずにいた。
 靴も脱がずにぼうっとしていると、リビングのドアから藤堂が顔を覗かせた。
「何してんだ。さっさと入れ」
 それだけ言ってすぐに顔を引っ込める。その言葉に押されるように、俺はハッとし慌てて靴を脱いだ。リビングへ入ると、藤堂はやはりソファに腰掛けているだけで、言葉はない。怒っているのか、それとも怒っていないのか、よくわからなかったが、とりあえず夜飯の下準備に入ることにした。
 あれこれ下準備をして今の時刻は四時過ぎ。夜飯にしても、夕飯にしても、まだ早い時間帯だ。
 藤堂の元へ行くか迷ったが、先に向こうから名前を呼ばれた。
 キッチンを出て彼の元へ行くと、リビングのテーブルには一つのワインと二つのグラスが並んでいた。ソファに座る藤堂は、指先で俺に隣に座るように指示すると、ワインのコルクを開け、それぞれのグラスへと注いだ。
 俺は無言で彼の隣に座る。藤堂が何をしようとしているのかわからない。もしかして、仲直りのつもりだろうか…。
 お互いグラスを傾け音を鳴らすし、それに口をつける。
「…悪かったな」
 突然藤堂が口を開き、俺は思わず飲みかけていたワインを零しそうになった。驚いて藤堂のほうを見ると、彼はこちらを見ず、ただ真っ直ぐ前を見つめていた。
「大人気ないとは思ったが、どうしてもな…」
 やはり仲直りといった感じの乾杯なのだろうか。俺も慌てて口を開く。
「いや、俺の方こそごめん。朝にちゃんと携帯を見ておけば…」
 メモをチェックしておけば良かったんだ。そうでなくとも、普通大切な人の誕生日くらいは覚えておくものだろうか。男でそれは女々しいと思ったが、特別な日はきちんとチェックしていたい、だから、きちんと覚えておくべきだったんだ。
「一人で過ごしてんならまだしも、相手が相手だからなあ」
 含みのある笑みに、俺はもう一度ごめんと謝った。
「ま、コレでチャラにしてやるよ」
 言いながら、藤堂は指先で合図をしてきた。藤堂と一緒になってからたまにされる合図。それは、俺の方から藤堂にキスをしろという意味の合図。
 こんな恥ずかしい事は滅多にやらない。それでも…。
 手に持っていたグラスをテーブルに置き、俺は少しだけ藤堂に近寄る。そして、自分から彼の唇へと口付けをする。軽く触れるだけのキスをすると、藤堂から「もう一回」と要求がきた。
 躊躇った後、俺はもう一度触れるだけのキスを藤堂にプレゼントした。

2008.1.19