コミックス読み返してしみじみ思った。私は伏普派だ。
今までそうだろうなと思いつつあえて目をそらしていた事実。
私は伏羲×普賢>太公望×普賢だ!
まあ、まるめて望普って呼んでるんですけどね。
だって太公望、普賢のこと気に入ってて認めてるのは確かだけど、恋愛感情持ってるか?と言われると、私の分厚い腐フィルタ越しでも、はてさて?、な感じ。
原作にそんな描写あるわけないから?フジリュー独特のあっさり演出だから?
いやいや、彼は封神計画に夢中だから。
WJ封神演義が主人公である太公望の視点に拠って展開されているストーリーだと解釈すると、物語の中盤でなんの伏線もなく突然親友設定を引っさげて登場する普賢は、それまで太公望に存在を忘れられていたも同然。忘れていたは言い過ぎにしても頭にはなかったのだろうと思われます。
普賢の存在はきっと太公望にとって空気と同じ。そばに在るのが当たり前で、居なくなってやっとありがたみがわかる、そんなポジションだったのでしょう。
太普的には、自爆を目の当たりにして初めて想いを自覚した、というのが妥当なところでしょうか。
そこへ行くと伏羲は王天君と融合した完全体なうえに、封神計画もやり遂げちゃってあとしまつ後はまるまる自由時間。封神計画で頭いっぱいな太公望に比べて断然心の余裕があるわけです。恋愛に割くエネルギーも持ってることでしょう。
(…まあたぶん彼の性格からして普賢の前には姿を現してないのでしょうが、そこはあえて目を瞑ります)
世界の片隅でこっそりひっそり普賢を想い続ける永遠の放浪者。
ステキ。私の中2病センサーがゆんゆんしてます。
だがしかし、でもでもだって、なところが望普の魅力。
太公望と伏羲は同一人物なのです。
だって普賢が”望ちゃん”って呼んだから。
もうそこです。そこがすべてです。
そこに魅かれてやまないわけです。
王天君と融合し、新たな人格として生み直された伏羲。名前が違うくらいなんだから、本来なら別人です。それでもなお彼の魂を見抜き、”望ちゃん”と呼んだ普賢。そしてそれに応えるかのように、”太公望の姿”に戻った伏羲。
周知の事実だと思われますが、伏羲は4回変身しています。1回目は初登場時の左目にクマがあるよver、2回目は太極図戦闘形態のなんか幽白にこんなのいたよねver、3回目は封神台解放時のスーパー野菜人ver、そして4回目はあとしまつの太公望の顔の彼です。
劇的な変化はやはり2回目→3回目だと思います。耳も尖って隈取も浮き出てたのに、一転して真っ白できれいな顔になっており、その表情は太公望そのものに見えます。
それは元始天尊のセリフ、「行け伏羲…いや太公望よ!今こそ人は道標を外れる時じゃ!」にも現れています。
じつはもうひとつ、伏羲=太公望を自然に感じさせる演出があります。彼(便宜上伏羲とします)は、あれだけ仰々しい名乗りを挙げたにも関わらず”太公望”と呼ばれ続けているのです。例外は燃燈とジョカのみ。燃燈は彼を出会った頃の名である王奕と呼びます。
つまり、”彼”を最後まで伏羲と呼ぶのはジョカただひとりです。
そう、”彼”は伏羲であって伏羲ではない。伏羲の名と記憶を持つ太公望なのです。それを象徴するのが普賢が”彼”を”望ちゃん”と呼んだという事実なのです。
この”あなただけ感”!
こんなおいしい餌をぶらさげられて、かぶりつかない者など居ようか!否、断じて否!
優秀な頭脳と、それについていかない貧弱な身体がキャラクターとしての太公望の特性であり、魅力です。太公望には、基本的に自分で戦う力はありません。仲間の、時には崑崙山のパワーすら、頼りにしてやっとこさ一人前のひ弱な主人公です。片割れである王天君もまた、同様に高い知能と貧弱な身体の持ち主で、味方の力に頼らねば戦うことができませんでした。
彼らには決定的な違いがありました。王天君は味方すら憎んでいたということ、太公望は敵すら救おうとしていたということ。王天君は憎悪に、太公望は友愛に特化した性格付けでした。しかし王天君はそんな自分に疲れ果て、太公望に至っては死んでしまいます。いわゆるバッドエンドです。
けれども、彼らはある選択をしました。融合です。太公望は王天君の憎悪を、王天君は太公望の友愛を、お互いに取り込み、合わさる選択をしました。そしてようやく”彼”は”自分が”戦う力を取り戻したのです。確かに、融合は王天君の言うとおり進化だったのです。
白状すると、私は連載当時、伏羲のことが大嫌いでした。太公望が消去されて後釜に居座った嫌な奴ってのが正直な感想でした。けれども、B氏に紹介されて読み直した封神演義は、困難に挑み続け、読者と苦楽をともにしてきた太公望が、王天君と融合し上位互換たる伏羲と成ることによって、魂の独立を勝ち取る物語でした。
その紆余曲折が、普賢の”望ちゃん”という一言でつながったのです。バラバラの点だった太公望と王天君と伏羲が、ついでにいうと王奕も、すべてひとつになった瞬間。ものすごいカタルシスでした。
太公望というキャラクターへの愛着も、王天君というキャラクターへの苦手意識も、伏羲というキャラクターへの嫌悪も、いっぺんに吹き飛びました。
太公望の親友であり、太公望と心底から通じあい、太公望のために自爆して果てた普賢が、太公望と同じ存在と認めて伏羲を呼んだ。太公望だけに普賢だけが使う”望ちゃん”という愛称で。
おいしい!おいしすぎる!(壁をガンガン殴りながら)
だからうちのサイトは”望普”なのです。”望ちゃん×普賢”。ほーら、これなら太普も伏普もなんなら王普も、ぜーんぶいけちゃうYO!一粒で3度おいしい!(王普はさすがに無理があるんじゃねーのという異議は却下します)萌え!萌えだよ望普ー!