【あの日の風景】 『春香との風景』より
そんな他愛も無いやり取り、普通の日常、いつもの時間。
ふと、春香ちゃんが小さく歌を口ずさんでいるのが聞こえた。
「♪ふんふんふふ〜ん」
それは、忘れもしない私にとって、とても大切な歌。
「あの、春香ちゃん? その歌、どこで……」
どうしても気になった。あの歌のことを知っている人がいる、少し恥ずかしいけれどそれだけでも心が躍るのに、まさかその子がうちの事務所でアイドルをやっているなんて! 偶然にしてはちょっとできすぎよね。
「小鳥さん、この歌のこと何か知ってるんですか? 知ってたら、是非教えてください!」
「ええと……」
ちょっとだけ考えた。あのことは、もう多くの人々の記憶から消えてしまったこと。春香ちゃん達にも、そのうちきちんと話してあげたいとは思うけど、今はまだその時じゃない。
だから、もう少しだけ待って欲しいな。
「そういうわけじゃなくって、ただ、いい歌だなあって」
「そうですか♪ 小鳥さんもそう思います?」
そして春香ちゃんは、頬を上気させながらやや興奮気味に話してくれた。
「まだ私が小さかった頃の話なんですけど、近所の公園に歌の大好きなお姉さんがよく来ていて、そのお姉さんが私達に教えてくれた歌なんです。楽しかったなあ……。友達やお姉さんと一緒に歌うと、周りの大人たちが『上手よ』って褒めてくれて、それが嬉しくって。それ以来、私、もっともっと歌うのが好きになったんです」
「アイドル、春香ちゃんの原点ってわけね」
「はい、そうですね。それからしばらくして、そのお姉さんは公園に来なくなってしまったんですけど、この歌だけはずっと大事に歌ってきたんです。でも、もう随分昔のことだから歌詞もうろ覚えで、メロディーを追うので精一杯になっちゃって。あの、私、一度だけこの歌のこと調べたことがあるんです。でも、手がかりすらも見つからなくって……。もしかしたらオリジナルの曲かもしれないな、って思ってたんです。もし小鳥さんがこの歌のことを知っていたら、またあの歌に会えるんだ! ってすっごく嬉しかったんですけど……そんなに上手くはいかないですよね。ああっ、ごめんなさい小鳥さん! 私ったら自分ばっかりしゃべっちゃって……」
「ううん、いいのよ春香ちゃん。とっても素敵なお話だったわ。素敵なお話を聞かせてくれたお礼に、お姉さんもその歌を探すのに協力してあげちゃおうかな」
「本当ですか! うわあ♪ ありがとうございます、小鳥さん! 小鳥さん、大好き!」
ああ、こらこら抱きつかないの。もう……。
本当は、あの歌のことを教えるのは簡単なの。騙すみたいでごめんね。
でも、こんなにもあの歌のことを大事にしてくれてたなんて、こっちの方がお礼を言う方だわ。
だから、春香ちゃんには聞こえないように、そっと心の中で。
「ありがとう、はるかちゃん」
春香ちゃんの頭を、そっと撫でた。