【ポケットの中の千早】 サンプル1
その後間もなく、ひょんなことから、私はあの時の童謡コンクールで準優勝だった女の子と再会を果たした。名前は……確か、こよりと言ったっけ。
彼女はとても気さくで、表彰式が終わった後、「すごいねー」「おめでとうー」と、自分が準優勝だったことで悔しがったり、逆に喜んだりということをせず、ひたすらに私のことを褒めてくれた。あまりに過剰に褒めてくれるものだから、私もなんだか照れてしまって、「また、どこかで会えるといいね」と差し出された手を握り返した時は、久しぶりに心の底からの笑顔というものを表に出した気がする。
だから、この日、事務所からの帰りにスクランブル交差点の真ん中でばったりと再会したときも、彼女はそれこそオーバーアクションじゃないかというほどに手を振り回して、私たちの再会を喜んでくれた。
せっかくの再会なのにこのまま別れてしまうのは惜しいと感じたのだろう。彼女は、私の手を引っ張って、立ち話のできる人通りの少ない路地の脇まで連れて来た。私も彼女と同じ気持ちだったから、少し嬉しかった。
どうせなら、と近くの喫茶店に誘ってみたが、これから用事があるからあまり長居はできないらしい。ちょっと、残念だ。
既に懐かしくなってしまった感のあるあのコンクールのことや、今のお互いの状況なんかを話していると、意外と私たちの距離が近いということが判った。
彼女は、今、プロの童謡歌手を目指して師事しているという。コンクールで優勝を取ったのに、童謡について深く悩んでいる私とはとても対称的だった。
もしかしたら解決の糸口が掴めるかもしれない、そう思い、私は彼女に尋ねてみた。
「ねえ、あなたにとって、童謡ってどんな存在なの?」
「ふぇ? 童謡が私にとってどんな存在か? ……むむむ、難しいねえ」
もし自分が同じような質問をされたら、やはり答えに窮してしまうだろう。自分の中に確固たるものはあるものの、それは得てして概念的なもので、他人に分かるように伝えるのはとても難しい。
そんな彼女の口から出た言葉は……
「私は、小さい頃、童謡を聴いたり歌ったりしてとっても楽しかったの。だから、今度はそれを私が伝える番なんだって思ってる。んまあ、恩返し? みたいなもの、かな。こういうのを、幸せの連鎖、って言うみたいだよ。こんなんで説明になったかな?」
「幸せの連鎖……。いい言葉ね。誰の言葉なの?」
「私」
「ん、そう……。でも、なぜか、納得できるわ、それ」
「あはは、それほどでも」
恩返し、確かにそれは分かりやすい理由だ。けれど、私が歌うのは恩返しとは違う。私が歌うのは、それしかないからだ。
ジョージ・マロリーの言葉に、「何故山に登るのか」という問いに対する「そこに山があるから」という有名な言葉があるけれど、私に一番近いのはこんな感覚だと思う。
ただ、子供を喜ばせたいという想いは私も一緒だ。
「ありがとう。充分な説明だったわ」
「ほんと? よかったー。……あ、ごめん! じゃあ、私、そろそろ行かなくちゃいけないから! 会えて嬉しかった! またね!」
彼女は遠く見えなくなるまで手を振って、別れを惜しんでくれた。またね、か。
……あ、どうせなら連絡先を教えておいた方がよかったかしら。うっかりしていたわ……つい、話に花が咲いてしまって。
でも、多分大丈夫。お互い、今所属している事務所のことは分かったんだし、必要があれば、そこを通して連絡を取ることは可能よね。
それに、一度交わった道が離れ、またこうして交わることができた。向かう先は違うのかもしれないけれど、私たちが歩んでいる方角が同じなら、また二つの線は交わることができると信じている。
この先、彼女とはライバル同士で直接競い合うこともあるかもしれない。それでも、もし同じファミリーコンサートの舞台に立つことができたら、私はとても嬉しい。そう、心から感じた。
私にも彼女のように、歌で子供を喜ばせたいという気持ちがある。でも、彼女にはできても、私にはできないような気がする。この差は一体なんなのだろう……。
心に残った靄は未だ晴れない。