【好きだよと言ってね】 サンプル1

「おはよう、伊織」
「おはよう、ちい兄さん」

 ……ちい兄さん?
 何気ない朝の一幕。
 事務所へと向かうために正門に続く大扉へ向かうすがら、すれ違うお手伝いさんや執事に挨拶するのもいつものこと。
 だけど。
 たった今すれ違った人が、今ここに居るはずのない人だとはっと気が付いて、私は慌てて挨拶を交わした相手の方に向き直る。

「しばらく見ない間に、また一段と可愛さが増したなあ。……どうした、伊織? まさか、僕のこと忘れちゃったわけじゃあないだろう?」
「ち、ち、ちい兄さんじゃない!!」

 この瞬間、私のチャーミングな目は二倍は下らないほど、見開いていたに違いないわ。
 間違いなかった。髪はすっきりと短く、肌は薄く小麦色に焼けてしまってはいたけれど、丸く優しい瞳、上の兄さんとそっくりに筋の通った鼻、この人は間違いなくアメリカに留学中のちい兄さんだった。
 そう、ちい兄さんは、私の下の兄さんなのだ。

「ふんふふん♪ ふんふんふ〜ん♪」
「今日は随分と上機嫌だな、伊織」
「ふふん、まあねえ。さ、今日もバリバリ仕事をこなして、サクッと帰るわよ!」

 プロデューサーは、今日の私を見て、「いつもよりキラキラしてるなあ」なんて言っていたけど、私がキラキラしてるのはいつものことじゃないの、ねえ。
 なんたって、もう有名アイドルの仲間入りを果たした伊織ちゃんなんだし。

 私には、二人の兄がいるの。
 上の兄さんは、若いながらもコンサルティング会社の社長を務めていて、日々忙しくあちこち飛び回っているわ。お蔭で週の半分くらいしか兄さんの顔を見られないのよねえ。
 忙しいのは分かるけど、もうちょっと家に帰ってこられないものなのかしら。まあ、いずれ私もそうなっちゃうのかもしれないけど。
 下の兄さんはアメリカに留学中。
 留学してすぐなんかは、自分にはアメリカの方が向いてるかもー、なんてメールを送ってきて、このままアメリカに永住するのも悪くない、なんて言ってたわ。
 それと、小さい方の兄さんだから「ちい兄さん」って、私は呼んでるの。
 最近は二人ともなかなか会う機会が無くて、私と一緒に過ごすなんてことも少なくなってきたんだけど、小さい頃はパパやママも今よりも家にいることが少なかったから、割と兄さん達にべったりだったわ。
 上の兄さんとは歳が結構離れてるから、すぐに一緒に遊ぶ機会もなくなっちゃった気がするんだけど、その分、下の兄さんとは長く遊んだのよ。
 だから、私にはどちらかというと下の兄さんの方が馴染みがあるのよねえ。
 その下の兄さんが、今日の朝、何の前触れも無く帰ってきたの。去年のサマーバケーションには帰ってこなかったのによ?
 私、ちい兄さんが帰ってくるなんて聞いてなかったから、そりゃあもう寝耳に水でばっちり眠気も吹き飛んじゃったわよ。
 最初は私だけが仲間はずれなのかと思ってたんだけど、新堂も知らなかったって言うし、まだ家にいたパパやママも大声を上げて驚いていたわ。
 本当に突然帰ってきたのね、ちい兄さん。
 それで、今日は家族揃って食事に出かけることになったの。
 パパは、私への態度とは違って、兄さん達には小さい頃から大きな期待を寄せて可愛がっていたから、久しぶりに会えたことが単純に嬉しかったんでしょうね。
 まあ、最近はパパも私の活躍を認めざるを得なくなったようだから、さすがにもう「アイドルなんてやめろー!」なんて言ってこなくなったけどね。


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