【ほのラブ】 サンプル2

 千早ちゃんを私の家に招待してから数日後、雑誌のインタビューを二件終えて、事務所に戻ってきた時のことでした。
(あれ?)
 朝から今まで気付かなかったんだけど、プロデューサーの腕にはまっている腕時計が、いつもしているものと違うんです。
 新しいのに変えたのかな?
 特にその事自体は気に留めるようなことでもなかったんだけど、なんとなく気になったのでプロデューサーに訊いてみました。

「あの、プロデューサー。腕時計、新しくしたんですか?」
「ああ、これか。普段使ってるやつの電池が切れてね。次の休みにでも交換しに行こうかと思ってるんだけど、腕時計がないのは何かと不便だから、それまでの間、とっておきのを使うことにしたんだ」

 とっておき。
 その言葉で、その腕時計が何か特別な意味を持つものなんだということがはっきりと分かりました。
 やっぱり男の人にとって、腕時計って一種のステータスみたいなものなのかな? 目がくらむような金額の腕時計が世の中にはいっぱいあるもんね。
 そんなことを考えていると、ふと、前に雑誌で見たことを思い出しました。
 腕時計を自分で買う人っていうのは案外少なくて、家族や恋人からの贈り物を使っている人が意外と多いんだって。
 腕時計、とっておき、恋人からの贈り物。
 そんなことを思い出して、なんだか心の中が急に雨模様になってきました。
 ううん、まさか……まさかだよね。
 頭を振って、自分の考えを必死に頭の中から追い出そうとしました。でも、追い出そうとすればするほどそのことばかり考えてしまって、ぐるぐると頭の中を駆けめぐるだけでした……。
 深く考え出すとなんでも悪い方向に行っちゃうのが私の悪い癖だから、もっとポジティブにポジティブに……。
 「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ってことわざもあるし、答えは意外となんてことないことだったりするんだよね! うん、そうだよね!
 悩んでも仕方ない。だから私は、声の震えを抑えながら、幽霊の正体を突き止めるために、プロデューサーにずばっと切りこんでいきました。

「いい時計ですね。贈り物ですか?」
「ああ、大事な人からのね」

 ひうぅ!
 一気に血の気が引いて、きゅっと体が縮こまって、そのまま心臓が凍ってしまうかと思いました。
 うう、やっぱり……。
 大事な人からの贈り物。大事な人って、やっぱり恋人、だよね。
 「大事な人」と答えたときのプロデューサーの顔は、私に今まで見せたことないような優しい顔で、でもどこか遠くの方を見つめる瞳が印象的でした。
 そう、だよね。プロデューサーに恋人がいないわけないもんね。
 私ったら、そんなことにも気が付かないで……ほんと、おかしいよね。
 ……くすん。

「あ、あの、プロデューサー! わ、私、用事を思い出したので帰りますね!」
「なんだ、急に。まあいいか、明日のレッスンも遅れないようにな」
「はい!」

 プロデューサーに涙で濡れた目を見せないように、俯き加減のまま虚勢を張って、そう元気よく返事をした私はそそくさと事務所を後にしました。
 なんとか事務所を出るまでは、涙をこらえることができたけれど、その頑張りもすぐに切れてしまいました。
 最後に返事をしたときは、ちょっと声が震えてたから、プロデューサーにも気付かれちゃったかな? ううん、多分、気づいてないよね。だって、プロデューサーなんだもん。鈍い人だから。私の知っているプロデューサーはそんな人だから。
 だから、私の想いにも気付いていないと思う。
 今は、それでよかったと思う。
 ごめんね、千早ちゃん。私、もう誰も幸せにできないよ。千早ちゃんも、自分も、誰も……。

「ううっ……ひっ、くっ……!」

 そして翌日、私は事務所へと足を運ぶことができませんでした。


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