【ほのラブ】 サンプル3
「萩原さん! いるんでしょ、萩原さん!」
「千早ちゃん……」
「萩原さん! ……よかった、無事だったのね」
「ごめんね、千早ちゃん。ごめんね」
私は防音室の中に千早ちゃんを招き入れました。
きっと千早ちゃんに怒られるんだろうなあとびくびくしていた私の思いとは裏腹に、千早ちゃんの語り口はとても優しいものでした。
「萩原さん、どうしたの? みんな心配してるわ。私も、社長も、もちろん、プロデューサーもね。プロデューサーも今、別のところを探しているはずよ」
プロデューサーという言葉を聞いて、心臓が大きく跳ね上がるのが分かりました。
「……プロデューサー、怒ってないかな?」
「むしろ逆ね」
「逆?」
「プロデューサーは、萩原さんのことを分かってやれなかったことを悩んでいたみたい。ここまでは上手くやれていたと思ったんだけど、って」
そんな……。プロデューサーは悪くないのに……。
私が一人で勝手に嬉しくなったり、悲しくなったりしてるだけなのに……。
悪いのは私一人なのに……。
「私は、もう誰も幸せにできない。歌えないよ……」
千早ちゃんは歌で幸せを広めると言っていたけれど、私には千早ちゃんと同じようなことはできません。遠くで見てるだけでよかった、一緒にいられるだけでよかった。なのに、ほんのちょっとの好奇心が私の心を殺してしまった。
自分の幸せが真っ暗闇にの中に落ちてしまった今、私には誰も幸せにすることなんてできない。
今の私が歌えば、きっと沈むような暗い歌が、聞いた人を不幸にしてしまう歌が出てきてしまうから。
人の気持ちは伝搬する。
だから、今の私が歌えば世の中に暗い気持ちが蔓延してしまう。そんなんじゃ、歌えない。もう、アイドルとしてもダメダメで、何もする気が起きない。
千早ちゃんから、あれだけ好きだったプロデューサーの様子を聞く度に、私はますます落ち込んでしまって。もう、千早ちゃんの顔すらまともに見ることさえできなくなってきました。
千早ちゃんから顔を背けてから、しばらく沈黙が部屋の中を支配していました。
それでも、千早ちゃんの方から微かに音が聞こえてきて……それは衣擦れの音なのか、床を震わせている音なのか、はっきりとは聞き取れないほどの小さな音で、もしかしたら私の聞き違いかもしれませんでした。
それでも、何か様子がおかしいということは分かったので、少し頭を動かしてみると、ふと見えた千早ちゃんの顔は、どんどんと冷たくなっていくのがはっきりと見てとれました。
そう、それはまるで昔見た氷の女王のようで、静かにクールに冷ややかに、でも炎を纏っているようにも見えて、静かに噴火の時を待っているよう休火山のようでした。
そして……。
「雪歩! ここはあなたが閉じこもるための穴じゃないでしょう! この場所が、どれだけあなたのことを思われて作られた場所なのか、分からないわけじゃないでしょう!」
氷の女王だと思っていた千早ちゃんが、激情にまかせて私を叱責してきました。極限まで押しとどめられたマグマは、堰を切ったように一気に襲いかかってきます。
「でも、それでも私は出られない! 私が出ても、私の歌は世の中に不幸を撒き散らしてしまうだけ! 私は出られないんだよ!」
「雪歩はそれでいいの? 雪歩はもう歌えなくてもいいの!? 私はいやよ。私は雪歩と歌いたい!」
私は……。
「私は……」
私がアイドルになろうと思ったのは、友達に背中を後押しされたのもあるし、引っ込み思案な自分を変えたいと思ったのもあります。
けれど、そのもっと原点。
空に輝く星に憧れるように、私はテレビの中のスターに憧れました。
夜空を見上げながら瞬く星を一つ一つ数えて、数え切れなくて、あの星一つ一つが世の中にいる誰かの星で、「私の星もあるの?」と小さな私が訊くと、「もちろんよ」とお母さんが優しく答えてくれました。
風邪を引くから早く家の中に入りなさいと、お父さんが後ろから現れて、「私もあの星みたいになれるかな?」と小さな私が訊くと、無言で頷いた後、私に背を向けて「もうなっている」とお父さんが不器用に答えてくれました。
きらめく星になれたらいいなと、願った。
小さな少女の願い。
それが、今こうして叶おうとしている。
ううん、もしかしたらアイドルになったことでもう叶っているのかもしれない。
それどころか、やっぱりお父さんの言うとおり、最初から叶っていたのかもしれない。
隣を歩いてくれたのは千早ちゃん、後ろから支えて守ってくれたのがプロデューサー。
星が瞬く無限の宇宙の彼方では音が伝わらないとしても、私はその銀河に歌声を響かせたい。
大きくなった少女の今の願い。
「歌いたい! 私も、歌いたいよ!」
「雪歩……!?」