【モノクロームデイズ】 サンプル

§千早

「これで、おしまいね」
「……」
 私が最後に置いた白いコマが、高槻さんの黒いコマをくるりくるりとひっくり返していく。
 言葉を無くしてうつむいたままの高槻さんを見ていると、まるで自分が悪いことをしてしまったみたいでとても心苦しい。
 ……もしかして、本当に悪いことをしてしまったのかしら?
「千早さんも強かったんですね、オセロ」
「え? ああ……どうかしら? こういうのはあんまりやったことがないから」
「そうですか……はあ……」
 私の言葉で高槻さんはますます落ち込んでしまった。
 うっ……軽い罪悪感で心がチクリと痛む。
 どうやら、私は高槻さんにかける言葉を間違えてしまったようだ。
 プロデューサー風に言うなら「バッドコミュニケーション」。
 高槻さん風に言うなら「あうぅ〜」。
「だ、大丈夫よ、高槻さん。今回はたまたま私の方が運が良かっただけよ。最後の一手までは、黒の方が枚数多かったじゃない」
 実際その通りだった。
 ゲームの類は普段全くと言っていいほどやらない私なので、律子と特訓をしているらしい高槻さんと勝負しても、きっとあっさりと負けてしまうのだろうと思っていた。
 だから、最後の一手で状況がまるでひっくり返ってしまったことに、私自身が驚いている。もちろん、勝てるように努力はしていたけれど。
「でも、律子さんにはいまだに一回も勝ってないし、律子さん以外の人にも一回も勝ってないんですー! もう本番は明後日なのに、どうしたらいいのか分かんないんです……。律子さんは、強くなってるって言ってくれるんですけど、それがちっとも実感できなくって……」
「そ、そう……」
 考えろ……考えるのよ、如月千早。
「えっと……あ、プロデューサー! そうよ、プロデューサーになら勝てるんじゃないかしら」
 苦し紛れの一言をまるで名案のように言ってみたはいいけれど、それはやはり苦し紛れでしかなかったようで。
 高槻さんは恨みがましい目つきで私を睨んでいた。
 ダメだ……今の私じゃ、何を言っても高槻さんの役には立てそうにない。
 オセロ盤を囲んで気まずい空気が蔓延している。普段は感じないはずの空気の重さが、肩にのし掛かっているような錯覚さえ覚える。
「じゃ、じゃあ頑張ってね、高槻さん」
 と、この場を立ち去るくらいしか、今の私には思いつかなかった。
 いつも高槻さんに元気を分けてもらっているのに、それがいざ自分の番となったら高槻さんに分けてあげられるものが何もないなんて、ほぞを噛むばかり……。
 少し気分を入れ替えようと、外へ出て新鮮な空気を大きく吸い込む。最近は暖かい日が続いており、アスファルトからの照り返しですぐに汗ばむくらい。
「あら、千早じゃない。こんなところでいったい何してるのよ?」
 事務所の前で大きく伸びをしていた私に声を掛けてきたのは、水瀬さんだった。
 淡いピンク色をした薄手のワンピースと麦わら帽子が暑さを和らげている。水瀬さんの周囲だけまるで避暑地だ。
「ちょっと気分転換よ」
「ふーん……また誰かにいらないことでも言って、気まずくなったから逃げてきたのかと思ったわ。違ったのねー。ごめんあそばせ」
 思わず眉間にしわが寄る。
 水瀬さんと顔を突き合わせるといつもこんな感じだった。
 同じ事務所とはいえデビューしてしまえばライバルとなる。だからといって、いたずらに争う必要もないのだけれど、つい反発してしまう。
 水瀬さんには、どこか私と似たところがあるのかもしれない。磁石の同極は反発するものだから。
「水瀬さんみたいに、すぐ家出したりはしないわよ」
「誰がほいほい家出してるですってー!」
 水瀬さんの言うとおり、私は気まずさから外に出たので、水瀬さんとの会話は気が紛れた。けれど、この炎天下の中ではすぐに喉が渇いてしまい、声を出すのがイヤになる。それは水瀬さんも同じようだった。
「こんなところであんたと油売ってても喉が渇くだけだわ。ちょうどいいから向こうの喫茶店にでも入りましょ」
「え? それなら事務所でも……」
「だから、あんたは何のために事務所から出てきたのよ。まあ、私の勘違いだったんなら別に事務所に入ってもいいんだけど」
 呆気にとられて一瞬声が出なかったけれど、すぐに水瀬さんはこういう人だったと思い出して、素直に向こうの喫茶店に移ることにした。

「はぁー……水瀬さんになりたい……」
「っ! えほっ! えほっ!」
 残り少なくなっていたアイスロイヤルミルクティーをストローですすっていた水瀬さんは、虚をつかれたらしく盛大にむせていた。
「ちょっと、水瀬さん大丈夫?」
「大丈夫なわけないでしょ! アンタ、私を殺す気!」
 喫茶店に入ってからは、オペラについて――ブレヒトの『三文オペラ』は本当に面白いのかとか――話したり、歌の解釈についてあーでもないこーでもないと侃々諤々のディスカッションをしていたのだけれど、話しに一区切りついたところでふとそんなことを思ってしまったのだ。
「……水瀬さんって人付き合いが上手で、女の子らしくって、私に持っていないものをたくさん持っていて……」
 もし私にも水瀬さんのような社交力があれば、さっきの高槻さんにも、何か温かみのある言葉をかけてあげられたのに……。
「まったく、気持ち悪いわねえ。なに? アンタは何になりたいわけ? 私だってね、足りないものはたくさんあるの。だけど、千早になんてなりたくないわ。私は私のままで一番に輝くんだから」
 水瀬さんの輝き。
 私の輝き。
 それは同じようで違う輝き。
「ふふっ♪ そうね、私は水瀬さんにはなれそうにないわね。傲岸不遜な生き方は私には無理そうだもの」
「そうよ。世の中の人は全て私にひれ伏すの。やっとアンタも分かったようね。どう? 千早も私の下僕になってみる? ……って、誰が傲岸不遜よ! 失礼ね、まったく。こんなにプリティーな伊織ちゃんを捕まえておいて何を言うのかしらね、もう」
 プリティーな水瀬さんはプリプリと怒っていた。
 そんな姿もさまになっていて、やっぱり私は水瀬さんにはなれそうにないな、と愉快な気持ちになってしまうのだった。
 ただ、水瀬さんの持ち味を自分の中で再解釈して取り込む努力は怠らないつもりよ。
「だいたい、千早が私になっちゃったら張り合いがなくなっちゃうじゃない。千早は千早だからいいのよ」
「そうね、私も、水瀬さんが私になってしまったら、憎たらしくて仕方がないと思うわ」
「……。なかなか言ってくれるじゃない」
「お互い様よ」
 にやりと不敵な笑みを浮かべながら、私を見つめてくる水瀬さん。私もそれに負けじとやり返す。
「さてと、そろそろ出ましょうか。帰って、高槻さんの様子を見てこなきゃ」
「なに? アンタ、やよいとケンカしてたの? 呆れた」
「べ、別にケンカしてたわけじゃないわ。ただ、ちょっと……」
「ちょっと、何よ?」
「いいから、とっとと出るわよ!」
 水瀬さんに痛いところを突かれた私は急に恥ずかしくなって、机の上の伝票を奪い取るように持ち、そのままスタスタとレジまで歩いていった。
 その伝票を何気なく見てみると、とても奇妙な単語が書いてあるのに気付いた。
「ねえ、水瀬さん」
「今度は何よ」
「『ロイミティ』って、何かしら?」
「ロイヤルミルクティーのことでしょ」
「ああ、なるほど」
 変わった言い回しをするものなのね。喫茶店独自の呼び方なのかしら? でも、水瀬さんが知っていたということは、そういうわけでもないのかも。
 そうね、今度私も頼んでみようかしら。
 ロイミティを一つ、ってね。


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