【月の贈り物】 サンプル1
私は迷っています。
遥か高い夜空から私を見守る銀の月。
目の前を流れる川が夜の色にその月を映し、清涼なる調べを私の耳に運んでいる。
散り散りになってしまった故郷の民に私の存在を示すべく、トップアイドルとなる。
そのためにはマスメディアを利用するのが最適な方法だと、小さな頃からじいやに教えられてきました。その来たるべき日のために、私はトップアイドルとして君臨できるような修練を積んできたのですから。
そして今、その入り口の前に私は立っている。
しかし……。
私は、その入り口をくぐり抜けるべきなのでしょうか?
961プロダクション。
それが、今私の前にそびえている存在。
四条のおじ様やおば様、じいやは黒井殿のお世話になるのが良いと言ってくださったけれど、私はどうにも躊躇ってしまうのです。
好意を無下にしてしまう形になるのは心苦しいのですけれど、黒井殿の瞳の奥におぞましいまでの黒い炎を見て取ってしまったのです。憎悪とも野心ともとれるあの黒い炎。一体、何のためにあれほどまでに心を荒ぶらせているのでしょうか。
その気配を感じ取って以来、私にはどうも黒井殿が胡乱げに見えて仕方がないのです。
あれは、気のせいだったのか……。
そうであればよいのですが、もしそうでなければ取り返しのつかないことになるやもしれない。そう思うと心ざわめき立つのを抑えることができない。
心強くあらねばならぬのに、心の弱さを隠しきれない。私は、誰かに導いて欲しいと……手を引いてほしいと願っているのです。
気付けば両の目から、一筋の涙が零れていました。この涙は私の弱さが形となって表れたもの。そう、今はまだ泣いてもいい。今の内に泣いておけばいい。アイドルへの道が見えたとき、私は全てを捨てて使命に立ち向かわねばならないのだから。
けれど……私は待ち望んでいるのでしょうか。
この涙を拭ってくださる方を。
この涙を共に分かち合ってくださる方を。
ああ、月よ! 教えてください。
私が向かうべき道を!
*
私は迷っています。
うーん、ここはどこかしら〜?
事務所の近くに川があるなんて聞いたことがなかったのだけれど、そんなに遠くまで来てしまったということかしら?
社長さんにお使いを頼まれて出てきたのはいいのだけれど、確か事務所を出た時はまだ日が照っていたはずよね? それが今はもうお日様は沈んで、代わりにお月様が顔を出しています。
短大を卒業するまでは、こういう時は友美に電話して来てもらってたんだけど、今はもう仕事を始めてしまったから気軽に呼び出すわけにもいかなくって……。
とりあえず社長さんには連絡をしたんだけど、「今は誰も手が離せないからしばらく待っていてくれ」と少し呆れながら言われてしまいました……。
とりあえず待つことしかできないのだけど、でもそれも社長さんに悪いかしらと思ったので「そろそろ仕事が終わってる頃かしら?」と友美に電話することにしてみます。
バッグから携帯電話を取り出して、電話帳から友美の名前を選び通話ボタンを押します。程なく、発信音の後に友美の声が聞こえてきました。
「あ、友美〜。今、電話大丈夫かしら?」
『あずさ? ええ、大丈夫だけど。……まさか』
「ごめーん、そのまさかかもー」
『もう、あずさは! いつまでも一緒にいられないんだから気を付けてよね、ってこの前言ったばかりじゃないの。まあいいわ、今からそっちに行くから。場所を教えてちょうだい』
「ありがとう、友美!」
さすが、持つべきものは親友というか、中学からの付き合いだけあって、私が説明する前に状況を理解してくれました。
つまり、それだけ友美に助けられてるという証拠でもあるのだけど……。うう、ゴメンね、友美。
それにしても、周りに目立つものといえば、川くらいかしらね、やっぱり。でも、それじゃいくら友美でも分からないわよねえ……。
はあ……。お月様、教えてください。
私はどっちへ行けばいいのでしょう〜。