【月の贈り物】 サンプル2

「持っていないのです」
「ん?」
「ですから、持っていないのです。その、けーたいでんわ、なるものを……」
「ええーっ!」
「うわっ」
 思わず大声をあげて驚いてしまいました。
 プロデューサーさんも驚いているみたいですけど、それよりも今は貴音ちゃんの方よね。
「貴音ちゃん、本当に携帯電話持ってないの?」
「はい、特に必要ありませんでしたので。連絡が必要なことは、全てじいやに届くようになっておりました故に」
 なんだかとてもカルチャーショック――で合ってるかしら?――を受けました。
 確かに、携帯電話を必要としない人もいるということは聞いたことがあります。けれど、それは年配の方に多いものだとばっかり思っていたから。
 貴音ちゃんのような年頃の女の子って、やっぱり携帯電話が欲しくなるものだとばかり。現に私もそうだったし。
 私にとって、携帯電話は楽しいことや幸せの窓口なので、今や携帯電話のない生活なんて考えもつきません。
 短大を卒業した今だって、ついつい友達と長電話してしまうこともあるし、ちょっと時間が空いたときに何気ないことをメールで送ったりするのが日常なんだもの。
「仕事で必要とあらば、じいやに相談してみます」
「ああ、いや、ちょっと待って。それなら初期費用くらいは経費で落とせないか社長に聞いてくるよ」
 そう言って、プロデューサーさんは会議室から姿を消しました。
 残されたのは私と貴音ちゃん、二人だけ。
「はあ……けーたいでんわ。話にはよく聞きますが、それほどまでに便利なものなのでしょうか」
「そうね。私がまだ小さい頃は携帯電話じゃなくて、ポケベルが流行っていたみたいだけど、その頃にはもう連絡を取り合うのには欠かせないものになっていた気がするわ」
「それ以前は、そのぽけべるとやらも存在しなかったのでしょう。それで何も不自由はなかったのではないかと推察しますが」
 ……確かにそうかもしれないわね。でも、
「道具があるかないかは、多分重要なことではないと思うの。それをどう使うか、そっちの方が大切なことだと思わない?」
「どう使うか、ですか?」
「だって、今は携帯電話が必需品になってしまっていて、私達はそういう時代に暮らしているの。無かった頃のことなんて考えても、ピンとこないもの」
「過去にとらわれず、今を示す。確かに、あずささんの言うとおりです」
 うふふ♪ 貴音ちゃんも納得してくれたみたい。
 それから、
「私のこと、『あずささん』って呼ぶのに慣れてきたみたいね」
「はい、その……まだ若干の抵抗感はあるのですが」
 最初、川のほとりで会ったときはフルネームで私のことを呼んでいた貴音ちゃん。私のことを慕ってくれたのか、765プロにやって来てすぐに「あずさ殿」って呼び方になったの。
 けど、それでもまだ何か固いところがあるなあ、とは感じていたのですけれど、せっかく貴音ちゃんと二人でデビューするのだから、こちらからお願いしてみたのね。もう少し、砕けて呼んでみてはもらえないかしら、って。
 もちろん、ただお願いしてみただけじゃなくって、それまでにも私も貴音ちゃんと仲良くなれるように色々とアプローチをかけたのよ?
 近所の輸入食品屋さんで紅茶の葉っぱを二種類買ってきて、どっちの方が好きか聞いてみたり、二人でファッション誌を覗き込みながら、どういったブランドが似合うのか言い合いをしてみたり。それから、一緒にお昼寝しちゃったりも♪ ふふ♪
私は貴音ちゃんとの距離が徐々に近くなっていったと思っていたのだけど、どうやらそう思っていたのは私だけじゃなかったみたい。よかった。
 そうして色々と話しているうちに、貴音ちゃんは普段は真面目な顔をしていることも多いけれど、決してそれだけじゃなくって、ちゃんと女の子の顔も持っているって分かったから。それだけでも私は嬉しくなってしまいました。
「携帯電話は、楽しいことや幸せなことを運んでくる窓口だから、きっと貴音ちゃんにも幸運を運んでくれるわ」
「ラッキーアイテム……ということでしょうか?」
「え? ふふ、そうね」
 貴音ちゃん、私と初めて会ったときのこと、覚えてたのね。
 貴音ちゃんと一緒にいると、私の心の中に嬉しいことがいっぱい溢れてくるの。
 だから、私も貴音ちゃんがいっぱい嬉しくなるようにお返ししなくちゃ。
「けれど、今の私には電話口を通して幸運を運んできてくれる相手が、あずささんのようにはいません。まだラッキーアイテムだとは思えないのです」
「もう、貴音ちゃんったら水くさいわね。もういるじゃない、私が」
「……そうでした。あずささんなら、楽しいこと、たくさん運んできてくれそうですね。ふふふ♪」


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