【小箱の中の恋】 サンプル1
「秀兄ちゃん、行かないで!」
「ごめん、春香。絶対迎えに来るから」
「指輪、大切にするから! 待ってるから!」
「秀兄ちゃん!」
私は自分の声で目が覚めた。
ぼーっとしながら定まらない視界で部屋の天井を眺める。
「しゅうにいちゃん……か……」
少し意識がはっきりしてきたところで、枕元の目覚まし時計を手に取って時間を確かめた。
「三時……」
目覚まし時計を元の位置に戻した後、私は今見ていた夢のことを思い出していた。
秀兄ちゃんの夢……。
懐かしくて、心がくすぐったくなるような、暖かくなるような想いが胸の中に広がっていく。
秀兄ちゃんとは言っても、実の兄というわけではない。
秀兄ちゃんは私のおばあちゃんの家の近くに住んでいた男の子で、私がおばあちゃんの家に行く度に一緒に遊んでくれていたのだ。
近くの小川で水遊びをしたり、草むらで虫網を振り回したりと、ちっちゃい私は秀兄ちゃんの後を一生懸命について回っていた。
でも、私が小学校に上がろうかという時に、秀兄ちゃんが引っ越してしまうことになった。
私は、もう秀兄ちゃんには会えなくなってしまうんだ、と思ってわんわん泣いた。
そんな私を慰めるように、秀兄ちゃんは私をたまたま行われていた縁日に連れて行ってくれた。
そこで、おもちゃの指輪を買ってもらったのだ。
秀兄ちゃんは、女の子のおもちゃなんて詳しくないだろうから、私が喜びそうなもので無難な指輪を選んだんだろうって思っている。
でも、その時の私は指輪をもらったことがとにかく嬉しくって、泣いていたことなんてすっかり忘れてしまった。
そして、秀兄ちゃんにこう言ったんだ。
「これって結婚の約束だよね、秀兄ちゃん!」
「え?」
うふふ♪ 秀兄ちゃん、びっくりしたんだろうなあ。だって、女の子から急にプロポーズされたんだもん。
ちっちゃかった私には、指輪イコール結婚という発想しかなかったの。それに、秀兄ちゃんはお父さん以外では一番近くにいて、一番仲の良かった男の人だったから、秀兄ちゃんに好意を抱いてしまうのも無理からぬことだった。
「……うん、分かった! 僕、大きくなったら春香を迎えに行くよ!」
例えその場しのぎだったとしても、あの時の私にとっては本物の言葉で、秀兄ちゃんと結婚するんだ! ということがとても嬉しかった。
さすがに大きくなってからは、そんなのは無理なことなんだって分かってるけど、今でもたまに秀兄ちゃんのことを思い出すとちょっとだけ切なくなる。
その指輪は今も大事に持っている。
秀兄ちゃん、あれから一度も会ってないけど、今はどこにいるんだろう?
「そういえば……」
私が見た夢の中では、私は今の高校生の私で、秀兄ちゃんも大きくなってたなあ。夢の中だったから、特に不思議なことだとも思わなかったけど。確か六つか七つ上、だったかな? そう考えると、夢の中の秀兄ちゃんはそれくらいだったかもしれないし、そうじゃなかったかもしれない。
うーん、所詮は夢の中のことだから、あんまりはっきりしていなくても仕方ないんだけどね。
そういえば、もうすぐ家の近くの神社でも縁日をやるんだっけ。
秀兄ちゃんはもういないけど、今はプロデューサーさんがいる。
プロデューサーさんと縁日に行きたいって、前に言ったことがあったなあ、なんてことを思い出して、私は明日一緒に行けるかどうかプロデューサーさんに事務所で訊いてみようと思いながら、明日のために再び眠りについた。