【小箱の中の恋】 サンプル2

「ただいまー」
 学校から帰ってきて玄関のドアを開けると、壁にイーゼルが立てかけてあるのが目に入った。
 ああ、またお父さんか。
 うちのお父さんは色々なものに興味を持ってはすぐに飽きるという変な趣味を持ってるんだけど、どうやらお母さんはお父さんのそんなところが気に入ってるみたいなの。
 私には全然理解できないんだけど、好きな人ならそんなことないのかなあ?
 居間には珍しくお父さんがいて、うんうんと唸っていました。
「ねえ、お父さん」
「お、春香か。おかえり。今日は事務所じゃないんだな」
「うん。それより、玄関のイーゼルなんなの? 絵はだいぶ前にやめたんじゃなかったの?」
 お父さんが絵にはまってイーゼルなんかの本格的な道具を揃えたのは、一年以上も前のことだった。
 お父さんが色々な趣味にはまるのはいいんだけど、大体形から入るから、家の中がよく分からない道具だらけ、ってことが昔からよくあったんだよね。
 その後、そのイーゼルがどうなったのかはよく知らなかったんだけど、どうやら玄関に立てかけてあるのがそのイーゼルみたい。
「ああ、あのイーゼル、いいかげん邪魔になってきたんで捨てようかと思ってな」
「もう。結局そうなるんだから、形から入るのやめてよね」
「まあまあ、いいじゃないか。お母さんだって許可してくれてるんだし」
「お母さんはお父さんに甘すぎるって思うな。本当にお父さんのどこがよかったんだろう」
 ちょっとひどいこと言っちゃったかな、と思ってお父さんの方をちらっと見たんだけど、そのことはあんまり気にしていないようだった。
「お母さんはお父さんにベタ惚れだったからなあ」
「もう、そういうこと自分で言う? うーん、でも、どうしてもそこが分からないんだよねえ」
「なんだ、春香はお父さんが嫌いなのか」
「嫌いじゃないけど……」
「じゃあ好きだな」
 お父さんが私ににじり寄ってくる。
「やっぱり、嫌い!」
 私がお父さんを遠ざけるように突き放すと、お父さんは大げさに両手を広げて肩をすくめた。
「春香の旦那になる人も大変だな、こりゃ。ずいぶんと重たい尻に敷かれそうだ」
「お、重くないもん! それに、まだ旦那さんになる人なんて……」
 お父さんに変なことを言われて、私の頭の中でぱっとプロデューサーさんの顔が浮かんでいた。
 ……プロデューサーさんが旦那さんになったら。
 ああっ、もうダメだよ! プロデューサーさんったら!
「何顔真っ赤にしてるんだ? まさか、春香……彼氏とかいるんじゃないだろうな」
「だからいないって! いてもそんなのはお父さんに関係ないでしょ」
 恥ずかしくなって赤ら顔の私を見られたくないのと、お父さんについつい反抗してしまったのとで、私は早々に自分の部屋に戻ることにした。
 はあ……またやっちゃった。なんだかお父さんに対してはついつい口答えしちゃうんだよね。
 友達はみんな父親に対してはそんなもんだよ、って言ってるけど、もうちょっとお父さんと仲良くしてあげてもいいかなあ、って思うことが結構あるんだ。
「あ痛っ」
 そんなことを思いながら自分の部屋に戻ってきた私は、うっかり机にひざをぶつけてしまった。本当にドジだなあ、私って。トホホ……。
 ……そういえば。
机にぶつかった拍子に、机の引き出しに入っている小箱のことがなんとなく気にかかった。
 この間、プロデューサーさんと縁日に行ったときに見かけたものと同じ指輪が入っている小箱。
 私の大切なものが納められている小箱。
 それはつまり、秀兄ちゃんからもらったおもちゃの指輪が入っている小箱ということだ。
 私は引き出しを開け、過度な装飾のされていない木製の小箱を取り出した。
 小箱を掲げ、しばらくじっと眺めた後、小箱の鍵を開けた。かちっと小さな音を立てて蓋が開き、私は小箱の中からおもちゃの指輪を取り出した。
 リング部分のめっきはところどころ剥げ、ジュエル部分のプラスチックもくすんでいた。
 私はその指輪を手にベッドに仰向けになった。その指輪を右手の人差し指と親指で摘んで、くるくると色んな角度からじっと楽しんだ。
 秀兄ちゃんは私の初恋の人だったんだ。
 でも、そうやって秀兄ちゃんのことを思い返すたびに心の中が疼いてしまう。
 脳裏にプロデューサーさんの顔が思い浮かんでしまうから。
 心の中で恋をする場所は決まっているから、プロデューサーさんと秀兄ちゃんは同じ所に現れる。
 プロデューサーさんのことをちょっとずつちょっとずつ好きになって、心の中にちょっとずつちょっとずつ恋の貯金をしていく。
 そうすると、秀兄ちゃんへの想いがちょっとずつ減っていくみたいに感じられる。
 秀兄ちゃんのことはもう思い出の人、みたいになってるけど……それでも指輪を手放してしまうと、なんだか自分の心の一部まで捨ててしまうみたいで私にはできなかった。
 じゃあもし、プロデューサーさんが私に指輪をプレゼントしてくれたとしたら、私はこの秀兄ちゃんの指輪はどうする?
 同じ場所に二つの指輪を置いておくことができるのだろうか?
 私はプロデューサーさんが指輪をはめてくれるところを想像しながら、手に持ったおもちゃの指輪をそっと小箱の中にしまった。


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