【昔なじみの唄】 サンプル

 次の日、取材と取材の合間にぽっかりと開いた時間を利用して散歩に出かけた。
 事務所からそう遠くへは行けないけれど、それでも十分。
 さて、どこに行こうかしら。できれば周囲が開けているような場所……そう、空が見渡せるような場所がいい。
 そんなことを考えながら当て所なく歩いていると、急に視界が開けた。
 ここなら十分な広さがあるかも。でも……ここって、もしかして。
 私の中に思い当たることがあって、そこにあるはずのものを目指して走った。
「やっぱり……」
 そこには野外ステージが整備されていて、地元のお祭りや式典なんかでよく使われていた。
 そして、ステージのみならず放射状に広がっている客席の方がより開けている場所だ。
 ここは、春香がよく歌の練習をしていた場所。
 私が春香と一緒にここに来たのは数えるくらいしかないけれど、確かにいい場所よね、ここは。
 私の歌も、遥か遠くまで届きそう。
 そして私は歌い出す。放射状になった席の一番後ろの一番高いところで。
 私は自分の歌をもっともっと遠くに届けたい
 そして、もっともっと身近に感じて欲しい。
 あの子がそう感じてくれていたように。

 歌い始めてからどれくらい経っただろう。私は我を忘れて様々な歌を歌い続けた。人の気配はほとんど感じられなかったから、観客はせいぜい小鳥くらいのものだろうと思っていた。
 そこへ、彼が現れた。
「ほう」
 私の歌へ割り込んできた突然の訪問者。小鳥のさえずりとは異質な存在に私は歌を止め、声の主を探した。
 ただ驚いただけではあったけど、もしかして私の歌が届いたのかもしれないと、自覚はなかったけれど少し嬉しくなったのではないだろうか。
「あなたは!」
 そして、私が目にした人は思いもよらない人だった。
「ん? どうやら僕のことを知っているようだね」
「もちろんです! 『オールド・ホイッスル』のプロデューサー、武田蒼一さんじゃないですか!」
「気分転換のためにと繰り出した散歩だったけれど、これは随分と面白いことに出くわしたのではないだろうか」
「面白いこと、というのは私のことでしょうか?」
「その通りだよ、如月千早くん」
「え?」
 私の目の前に居る人は、あの『オールド・ホイッスル』のプロデューサーにして名作曲者の武田蒼一さん。
 そんな人が今、この場所でこの私の目の前にいるだけでも不思議で、何よりとても驚いているというのに、加えて私の名前まで知っているなんて!
「あの、どうして私の名前を?」
「僕はこれでも業界通でね。色々な音楽に耳を傾け、常に新しい情報が耳に入るようにしているのさ。君は高木社長の所の子だろう? もし如月くんのようなアイドルがもっと出てくるのだとしたら、もう少し注目しておく必要があるね」
「それは私の歌を認めてくれた、と思っても良いのでしょうか?」
 私は武田さんに、「自分の歌が褒められているんだ」と感じて少し嬉しくなったので聞き返してみたのだけれど、実際はそうではなかった。
「確かに如月くんは歌が上手い。だが上手いだけだ。ただ上手いだけの人ならごまんといる世の中だ。もし、君に目指すものがなければこのまま埋没してしまうだろう」
「目指すものは、あります」
 目指すものがない、そう言われた気がして、私は思わず語気を強め、武田さんをキッと睨んだ。

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