少年が二人、中庭の隅にいた。校舎から隠れるようにひっそりと。
 午後の授業はもう始まっている。
 二人の着る制服には少しだけ、差異がある。中等部と高等部の差だ。高等部の制服をまとった少年はもうすでに少年、とは呼べないほど、成長している。その反面もう一人はまだ随分とほっそりした少年らしい体つきだった。
 秋の中庭にいい香りが漂っている。
「……あれは」
 幼顔の少年が指差す。
 その先には満開の、金木犀。
「Duftbluete」
 ドイツ語で答えた少年の目は金色をしていた。
「香りの良い・花、という意味です」
「それで金木犀、か」
「あまり金銀の区別はつけません。ですから日本語のニュアンスとしてはただ木犀の花、というくらい」
 ふぅん、黒瞳の少年はちいさく肯き少し不満げに首をかしげた。
「橙色を金木犀、白い花を銀木犀と言う日本人の感性はとても美しいと思いますよ」
 黒瞳の少年は無口だった。
 決して面白くないからしゃべらない、というのではなく、ただ口数が少ない。まだ幾分金の目の少年を警戒しているのも多分にあるのでは、あったけれど。
 それでも。
 こうしてふたりで示し合わせて授業をサボっている。
 金木犀の香るのどかな中庭で「自主勉強」に励みながら。
「難しくありませんか」
「そっちが日本語覚えた時だって、難しかっただろ」
「でも、日本語には語尾変化はないし名詞の性は丸覚えでしょう?」
 ちらり、視線が飛んできた。
 口数の少ない彼のこれが否定の表現だと、金の目の少年はいつのまにか学ばされてしまっている。
「あぁ……語尾変化はありますね」
「勉強したくせに」
「私は話し言葉で覚えてしまっていますから」
 そして気づく。
「その方がいいですか?」
 黒瞳が揺れた。それが望みだと。
「それにしてもなぜ、ドイツ語を?」
「そっちが日本語覚えるだけじゃ……」
 それだけ言って黒瞳の少年は言葉を止めた。
 秋の空が澄み渡っている。
 雲の流れも風の流れさえ感じられるほどに。
 遠い空に金木犀の香りが吸い込まれていく。高く高く上っていく。
「互いの言葉がわからないとだめだ。と?」
「言葉は……考え方だよ」
 黒瞳の少年の大人びた物言いに思わず彼ははっとした。
 言葉は考え方。考え方がわからなければ長い付き合いに困るだろう。
 そう、言われている気がした所為かもしれない。
「では、頑張りましょう」
 金の目に映る二度目の日本の秋は今まで見たどんな秋より、美しい。
 端正な美貌に金木犀の色を映して彼は思う。
 なぜなのか、自分ではもうわかっている。
 きっと日本に居続けることを選ぶだろう、とも。
 黒瞳の少年の髪に不意に金木犀が散り掛かる。
 うるさげに振り払った黒髪にひとつ、花が残った。
「じっとしていて」
 花を払うのを口実に触れた漆黒の髪の感触が、随分あとになっても金の目の少年の指から消えなかった。



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