百人一首いろいろ

水野琥珀



 初春のお喜びを申し上げます。
 新年の特集号になにか雑文を、と言われたのでこうして書いているのですが、なにかずいぶん文章を書くのは久しぶりのような気がします。

 最近は正月、と言っても旅行に出たり色々と家族で過ごす事も少ない、と聞きますがいかがなのでしょう。
 私のところは家族同様で過ごすのですが。
 私のところ、と言ってしまっては家主様に申し訳ないですね。
 もうどれほど前になるでしょうか、文筆家の篠原忍さんのところに寄宿しているのです。
 篠原の家には彼の甥と私との三人が生活しているのですが、困ったことに。
まったく困った事に、篠原という人は生活能力のない人で、私が寄宿する以前はどうして暮らしていたのかと頭を悩ます事も度々です。
 むしろはじめのころは頭を抱えっぱなしといった具合でしたね。
 そういったわけですから正月の仕度なども私が担当しまして、なんとか今年も無事当たり前の正月を迎える事ができました。
 お飾りに鏡餅、おせち料理に雑煮。こうした伝統はやはりいいものですね。
 当たり前が当たり前にできる、ということはしみじみと良いものだ、心からそう思います。



 正月の行事については他に色々の方が書かれていることでしょうから、私は七草の話をしましょう。
 百人一首にこうあります。

 君がため 春の野に出でて 若菜つむ
 わが衣手に 雪は降りつつ

 光孝天皇の御製ですね。
 この歌は古今集に載せられていまして、詞書に

『仁和の帝、皇子におましましける時に、人に若菜たまひける御歌』

 とあります。
 当時としては老齢でもあった五十五歳まで皇子であられたお方ですから、これが若々しい青年の歌であるかはわかりません。
 君、というのも男であるか女であるかわからないのです。
けれども非常に優しいお人柄を感じますね。
 おっとりとおおらかな、権力になど興味のない方だったのでは。
 そんな想像も楽しいものです。
 もちろん皇子ですから自身、野に出てつんだわけではないでしょうけれど。
 この若菜、というのが今の七草にも当たるでしょうか。
 当時は本当に萌え出たばかりの若い葉を摘んだのだと思いますが、これが現代にまで続いているのです。
 古事記にもすでに見ることのできる行事がこうして続いているのはなにやら不思議な気がしませんか。
 宮中ではこのつんだ若菜を「若菜の節会」と称して七日に食したということです。



 さすがに私たちも若菜つみはしませんが、深々と冷えた庭に緑が萌えているのはとてもきれいでつい手折りかけ
「非道な事をする」
 そう篠原に笑われて手を引っ込めるのですよ。
 そのくせ彼はよもぎもすみれも踏み散らかすのですから、人のことは言えませんね。
 今年は古の故事にならって、若菜つみにでも出かけましょうか。
 せり、なずな。ごぎょう、はこべら、ほとけのざ。すずな、すずしろ。
 こう口にするだけでなんとも弾んだ心持ちになるのは春がきた、との実感なのでしょう。
 現在の暦ではまだ春は先ですし、花がほころぶまでもだいぶあります。
 けれどこの
「若菜」
 や
「初春」
 の響きに、なんともいえない喜びを感じます。
 書いていたら本当に野に出てみたくなりました。
 寝正月を決め込んだ篠原をたたき起こして散歩をするのも悪くないかもしれません。



モドル