百人一首いろいろ

水野琥珀



 今回は、古くから愛され、伊勢物語にも援用された恋歌の話をしましょう。


 みちのくの しのぶもぢずり たれ故に
 乱れそめにし われならなくに



 なんとも言いがたいいい歌だと思います。
 柔らかく、思い乱れた感情が、まるで輪唱のように響いて、私の好きな歌のひとつですね。
 こう言っているとなにか、すべてに「私の好きな歌」という言葉がついてしまいそうですが。



 陸奥の、信夫の里のもじ摺りの模様。ねじれ、よれ、乱れた、そう黒髪のようなその藍。
 もじ摺りの模様を
「乱れている」
 とあなたは笑いますか。
 この私の想いの如く乱れた色を、あなたは笑いますか。
 だれのせいです。
 あなたの、せいじゃないですか。
 あなたに出会ってしまった。
 ただそれだけで、私の心はこれほどまでに惑乱するのを。
 あなたはそうやって、笑っているのだから。
 恋してはいけないあなたに。
 忍び、抑えるこの思い。
 だれの、せいだと思っているのでしょう、あなたは。



 そんな声が聞こえる気がします。
 届かない思いでしょうか。いえ、私はそうは思わないのです。
 側で笑いさざめく「誰か」にこんな歌を歌いかけては少し艶に拗ねている、そんな男が目に浮かびます。
 この歌の作者、河原左大臣は、源融と言う人の通称で嵯峨天皇の皇子でしたが、臣籍に下っています。
 臣籍に下った皇子、というのは得てしてたいした才を持たない気がしますが、この人は非常に才能のある人だったようで順調に累進しては左大臣の位にまで上っています。
 権勢欲とともに莫大な富を持ち、かつ美的感覚にも優れている、という人は稀です、しかしその稀な感覚を十全に生かしたことでも知られていますね。
彼の屋敷では歌枕として名高い陸奥の塩竈の浦の風景を、そのままに運んできたような景色を庭に設え、都にしながらにしてその風光を愛でた、ということです。
 当時にしても人々を驚倒させるに足る贅沢だったようです。
 その屋敷が河原院、です。
 そのために彼は河原左大臣、と呼ばれるのですね。そうそう、宇治にも別荘を持っていました。
 これが後に平等院になります。
 これを見てもどれほどの富であったのか察せられる、というものです。

 その豪奢な屋敷で彼は傍らの人にこの歌を歌いかけたのかもしれません。
 陸奥の景色を模した庭を愛でつつ、側の黒髪を弄びながら。
 あるいはそれは。
 世間的には「忍ぶ恋」であったのかもしれない、けれど自分たちはそれでもいい。
 そんな恋だったのかも。
 そんな事を思うのもまた楽しいものです。

 この歌を贈られた人が誰だったのか、またどんな状況だったのかはわかっていません。
 わかっていないからこそ想像の楽しみがありますね。

 自分たちの恋を肯定し笑う声なのか。
 それとも。
 隠し堪え、それでも震える心の堰からあふれ出た思いなのか。
 どちらを取っても魅力的で捨てがたく思います。
 忍ぶ恋説を取るならばこういったところでしょうか。



 もじ刷りの模様。乱れた黒髪。柔らかく、うねる。
 あなたの、髪。
 私がそれを見る事はかなわないのですか。
 こんなにも私の心をかき乱しておいて、それなのにあなたは知らない顔をして遠くを見て。
 その目に私の姿を映してはもらえないのですか。
 こんなにも思い乱れた私は、いったい。
 乱れたのはあなたの黒髪か、もじ摺りか。それとも。
 ただ、私の心だけだったのでしょうか。



 これもこれで悪くはないですね。
 恋する人の姿を胸に、どきどきと堪える青年のようで。
 そう、それではもう一歩進めてこういう解釈もできます。

 はじめは耐え忍ぶ恋だった。それが叶えられ、そしていまは愛しい人がその傍らに。

 同じ歌でもその時期によって、歌う彼の心は違ったかもしれない。
「あの頃はこんなことがあったね」
 そんな風に懐かしんでいる、のだとしたらきっと彼は幸せな人生を送ったのでしょう。
 そうであって欲しい、と願います。
 おやまるで、私自身が「忍ぶ恋」に耐えてでもいるようですね。




モドル