百人一首いろいろ水野琥珀かがり火もない、深々と暗い庭。ほのかに花の香りが漂う。香り、梅の。盛りを過ぎた静かな、胸にしみるような寂しいそれ。 館からもれるひっそりとした明かりに白梅と知れた。 「ずいぶんお見えになりませんでしたね」 そう言ったのは男か、女か。 館に住む人だろう声が柔らかになじった。 「人の心はわからないものだね」 笑ってかわすのは訪れた人。 「ほら、御覧なさい」 訪れた貴人の白い指が庭を指す。 指の白さに勝るとも劣らない白い、梅。 ぼうっと光ってははらはら、散る。 「梅は変わらず待っていてくれましたよ」 貴人がまた笑った。 と、少し篠原の真似をしてみました。 この歌にはなぜか似合わないこんな事をさせてしまう魅力があるようです。 元の歌は 人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににおいける という、紀貫之の歌ですね。 古今集に収められていてそれには少し長い詞書がついています。 それを読むと背景がわかるのですが、長いのでちょっと要約してご紹介しましょう。 貫之は長谷の観音さまに詣でる時に必ず泊まっていた家があったのですね。それがしばらく遠のいたあとでまた訪れてみればその家の主人が 「ずいぶんおいでにならなかった」 と言い出したので、そこにあった梅を手折って詠んだ、とあります。 相変わらずこの歌も相手が男か女かわからないのですけれど、どちらでもいいのかもしれませんね。 もしかしたら歌われた家の主人と貫之は些細な喧嘩でもしたのかも知れない。 些細過ぎて理由もわからなくなってしまったほど、些細な喧嘩。 けれど言い出したからにはちょっと引くに引けない。 そんな事がおありでしょう。 私自身対この間、篠原とそんな喧嘩をしましたからね。 確かあの言い争いは 「冷えるのだから」 上着を一枚着ろとか着ないとか、そんなことがはじめだったように思います。 まぁ親しい間柄ではこういうことは良くある事かもしれません。 いえ、かえって親しいからこそくだらない言い争いができるのかもしれませんね。 結局このときも相当激しい喧嘩になったにもかかわらずどちらも謝っていませんが、またいつも通りに戻っています。 いつのまにかに。 そういう日常というものは貴重だ、と思うのですよ。 貫之と歌われた人の間柄もそんな関係だったのかもしれません。 言いたいことを言い合って、しばらくは疎遠になったとしてもまたぶらり、と元通りになれる。 そういう知己を得られるということは幸せだと思います。 けれどもしや貫之は恨み言を言った家の主人に冷たく言い放っただけだったのでしょうか。 「人の心なんてわかりませんよ、そんな事は」 と。 人は変わる、私もあなたも。 世間の人もまた。 そういった鬱屈の声、であるかもしれません。 唐のはじめの頃の詩人に劉廷芝という人がいますが、その人の素晴らしい詩に「代悲白頭翁」という詩があります。 白頭を悲しむ翁に代わる、と読みますが人生の儚さ虚しさその黄昏の哀しさを歌った詩です。 ここには人間がその人生の悲哀の時に口をつくべき哀しみが、すでに歌われています。 最も有名な箇所がこれでしょう。 年年歳歳花相似 年年歳歳花あい似たり 歳歳年年人不同 歳歳年年人同じからず 毎年毎年同じ花は咲く。けれど去年一緒だったあの人はもう、今年はいないのだ。あぁよく見たならば今年の花とて同じではないではないか、よく似た違う花よ。そのよく似た花でさえ共に見てくれる人は、いない。 悲鳴、ですね。 時間をなくし、友を失った哀しみの極みだと思います。 そう簡単に得られるわけでもない理解者を失ったならば、まるで己の半身を亡くしたような気になるでしょう。 半身、では済まないのではないでしょうか。 私にとって真に 「理解者」 と言える人はただ一人です。 あらゆる意味でその人ほど私を深く知った人はかつていません。これからも現れないでしょう。 言うまでもない、篠原の事ですが。 もし篠原を失うような事があったならば、私には貫之が感じたかもしれない鬱屈、翁が感じたのであろう悲哀がわかるのかもしれない。 それならば、わかりたくなぞない。 そう、思うのですよ。 古の人が味わった苦い思い。それをこうやっていま感じる事で私にはなお一層「現在」がいとおしくてなりません。 ささやかな日常が、付随する毎日が。 今度喧嘩になったならば、たまには謝って、みましょうか。 |