百人一首いろいろ

水野琥珀



 しばらくぶりに今回は重い恋歌の話をいたしましょう。
 華やかでもなく、幸福でもない、苦しいばかりの恋の歌です。



 今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを
 人づてならで いふよしもがな



 後拾遺集の恋歌の中に出ている歌です。
「伊勢の斎宮の方より都に上ってきた人に通っていたのが、公になってしまって通えなくなってしまったので」
というような詞書がつけられています。
 伊勢の斎宮の方、とぼやかして書いていますが、御世代わりで斎宮の位を降りられた前の斎宮その方の事でした。三条天皇の女一の宮、当子内親王です。十歳で斎宮になられ、務められること五年、天皇の譲位による斎宮の交代で、都に帰ってらしたのです。
 通っていたのは左京太夫道雅、藤原道雅です。父・伊周が失脚してからというもの、政治生命を断たれていた、と言うのもあるでしょうが、それ以上にこの幼くして斎宮に立たれた姫を父上皇は愛してらしたのでしょう。
 そもそも内親王、という方は独身でいらっしゃるのが普通だったのですね。わざわざ尊い身を臣下のところに下げる必要はない、ということなのかもしれません。
 ですから上皇、三条院はお怒りになられました。内親王のおそばに人をつけ、男が通えなくしてしまったのです。
 同情する人もあったといいます、けれど父院のお怒りは解けません。誰もが苦しみました。もちろん一番つらいのは恋人たちでしょう。



 あなたにお目にかかることは出来ないのか。
 もう、二度と。
 伊勢の斎宮、清らかなる乙女。
 そのあなたを愛したことがいけない、というのか。
 もう御世は変わったというのに。
 あなたはもう斎宮ではないというのに。
 上皇はこうしてあなたのそばに人をお付けになった。一目どころか、文さえもいただけない。
 せめてもう一度。

 あなたの恋したことが、あなたに愛されたことが、罪だというのだろうか。
 何故。
 こんなにもいとおしい。
 あなたがただの姫であったのならば。
 私が失脚されられていなかったならば。
 共に、生きられたのだろうか。
 何故。
 禁忌に触れたのか。
 あなたという人を愛したことが。
 こんなにも人を、自分以外の存在を愛しく思うことが、罪だと。

 かなわぬならば、せめて、いまひとたび。
 せめて。
 会いたい。
 いや、ただ一言。
 愛していた、と。叶えられない思いなら、思い切ります、と。
 この口で、この声で、あなたの前に。
 告げたい。
 人を介さず、あなたを悲しませるならば、この私が、それを負おう。
 諦めましょう、と。
 あなたに。どんな顔をして言ったらいいのか。言う事さえ、出来ないのか。
 諦められなど、出来ないものを。



 まるで血を振り絞るような、絶唱と言っていいでしょう。
 けれどもなにをもってしても上皇のお怒りは解けることはありませんでした。
 道雅は風の便りに言付けて歌を贈ります。
 その歌さえ姫宮のお手に届いていたのか、どうか。
 姫宮のおそばには常に父院から言いつけられた厳しい監視の目があったのですから。



 もちろん、時代、というものもあるでしょう。けれどこの引き裂かれた恋人が、私には悲しくてならないのですよ。
 身分、立場、その他のもろもろの事が、馬鹿馬鹿しくてならない。
 篠原ならばきっとそう言うでしょう。けれど、馬鹿馬鹿しい、というにはあまりにも、重い。
 ただ誰かを愛したということ、たったそれだけの事を口にすることができない、それは今でもあるような気がします。
 なぜなのでしょうね。
 私にはどうしてなのか、わかりません。
 それでも口に出来ない、という事実は厳然として、あるのです。
 人間が、自分自身より他人を愛せる、というのは素晴らしい事だと、私は思いますよ。
 それなのに相手次第では隠さなければならない、時によっては引き裂かれ汚らわしい目で見られもする。
 馬鹿馬鹿しい。確かに、いえそれ以上に、悲しいですね。
 人間は変わらないのでしょうか。
 千年の昔から、愛してはならない人を愛したとて、いったいどれだけの恋人たちが引き離されてきたことでしょう。
 身分だとか、立場だとか。人はそんなものに恋をするわけではないのに。ただその人でなければならない、そんな人にめぐり会えることすら、稀であるのに。
 一日も早く、そういった哀しい理由で叶えられない恋のなくなることを祈りたいものですね。



 姫宮のお苦しみは道雅に勝るとも劣りませんでした。
 父院を恨みもしたことでしょう。けれどそれほどまでにいとおしんでくれる父院を悲しませることも出来ようはずがありません。
 わずかばかり手にすることができた恋人の歌を握り締め、泣いたでしょうか。
 ある日、姫宮はご決心されました。道雅の歌を握り締めたであろうその手で、髪を落とされたのです。叶えられない恋ならば、この世に未練はない、とばかりに仏門に入られ、やがて若くして亡くなられました。
 姫宮が逝かれた後も上皇のお怒りは解けることなく、道雅が政治の世界に返り咲く事はありませんでした。荒三位、と呼ばれるほどに荒々しい振る舞いをするようになってしまった道雅は、生涯ただ一人を胸に抱いて生きたのかも、知れません。




モドル