百人一首いろいろ水野琥珀夏の夜は、なぜか少し感傷的な気分になります。 普通は秋がそうでしょうが、私はなぜか夏の夜にそれを感じるのです。 ことに梅雨が明け、夏の雨が降りしきる夜には。 ですから今日はこんな歌をご紹介いたしましょう。 あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの 逢ふこともがな かの和泉式部の歌ですね。自身の歌集、「和泉式部集」には 「こころあしきころ、人に」 とあります。 病気で臥せっている時、ふとこのまま死んでしまうのではないだろうか、と不安になった歌なのですね。 ひっそりとひとり横たわる人影。 面やつれした頬が青白さを通り越し、透明にさえ見えるようで。 よろり、起き上がり人影は筆をとる。 しばし考えるように宙を見ていた目。 その目は別の時間を見ていたのかもしれない。 もう、このままだめになってしまうかもしれません。 病気なのはご存知でしょう。 このまま、私の今いる場所ではない、別のところへ……あの世へ行く事になるのかもしれません。 あなたはどうしていらっしゃるのでしょう。 懐かしい思い出ばかり。色々な事がありましたものね。 でも、せめてもう一度。 あと一度だけ。 あなたに会いたい。 死んで行くわたしの最後の思い出に……あなたに会いたいのです。 逢える、でしょうか。 ほっとひとつ息をつき、影は筆を置く。 満足げな笑みが頬に上った。 難しいですね。 いままでこの形式で書いてきましたが、この人の言葉は一種独特の言葉で詩才あふれる、とでも言ったらいいのでしょうか、まこと現代語に訳しにくい美しい感覚の言葉ぶりなのです。 匂うような色のある言葉をこうして訳してしまうと、魅力が半減するような思いで汗顔のいたりです。 あらざらむ、というのは存在しない場所、くらいの意味でしょうか。下のこの世のほか、にかかります。そして 「いま、私のいない場所、この世ではないそこ」 という意味が引き出されてくるのですね。 ここがすんなりとしみこんでくればそう難解な歌ではありません。 死を覚悟した時にただ一目逢いたい人がいる、うらやましいほどに率直な歌です。 和泉式部は冷泉天皇の中宮に仕えました。 そこで出逢ったのが院となられていた冷泉院の第三皇子・為尊親王です。年下の恋人だった、といいます。 そして式部自身は結婚をしていました。 さすがにこれは当時としても大きな事件だったようで、式部の夫は彼女を離縁しています。父親にも勘当され、二人には互いしか残りませんでした。 しかし二年、たった二年で親王は亡くなられてしまったのです。 いったいどれほどの涙を彼女は流した事でしょうか。 その彼女の元に通い始めたのが亡くなられた親王の弟宮だったのでした。 美貌の名も高い兄弟の宮、それぞれがひとりの年上の女に惹かれてしまったのです。 人は轟々と二人を非難しました。 弟宮が式部を自身の屋敷に迎え入れ、傷つけられた親王妃が屋敷を出る、という騒ぎにその非難が頂点に達しました。 その弟宮も四年で亡くなってしまうのです。 まるで式部との恋に人生を燃やし尽くしてしまったかのように。 式部は嘆きました、嘆き尽くして涙も枯れると思うほどに嘆き尽くしました。 そのころの歌がたくさん残っています。 またその恋のゆくたてを記したのが「和泉式部日記」です。 後に彼女は道長の娘、一条天皇の中宮・彰子に仕えます。そして道長の家臣であった男と再婚し、夫に従って任地に下りました。 彼女の娘はそのままおそらく彰子中宮に仕えたのでしょう。 ようやくつかんだ安寧、だったのかもしれません。 けれどまた彼女は悲嘆に暮れることになるのです。 残してきた娘・小式部内侍に彼女は先立たれました。 まるで運命が彼女を突き落とし続けるかのような生涯でした。 しかし和泉式部はそのたびに輝くばかりの歌を残しています。 恋の悦び、失った悲嘆。 彼女の口からはほとばしるように歌が流れました。 独特の言葉、いえ叫び、と言ったほうがいいのかも知れません。 彼女は歌うために生まれたような、存在そのものを賭けた歌人だったように私は感じます。 この歌を贈られたのはいったいどの男だったのでしょうか。 関係ないのかもしれません。 彼女の恋はそのほとんどが悲恋に終わりましたがいま、千年の後に私たちはこの歌を知ることができます。 彼女はいなくともこの歌たちが人となりを教えてくれます。 同じ歌人として、というのもおこがましい事ですが、和泉式部は幸せだ、と言ってもいいのではないでしょうか。 恋する女であった式部はまた、才能のあふれかえるような歌人でもあったのですから。 私自身、人からは恋の歌が多い、とも言われます。 身辺に影の見当たらない事から「秘めた恋人がいる」とも言われますが、どうなのでしょう。 言わぬが花、というものかも知れませんね。 |