百人一首いろいろ

水野琥珀



 わびぬれば 今はた同じ 難波なる
 みをつくしても 逢わんとぞ思ふ



 この原稿を書くために、「百人一首一夕話」を調べていましたら、所々に書き込みがあるのを見つけました。
 元はといえば篠原の本ですので彼に尋ねて見れば
「父の手蹟だろう」
 とのこと。
 流石、篠原のご尊父、と言うべきかそれは流麗でそして芯のある強い字でした。
 その美しい字で書き込んである一節がふと、目に留まったのです。
 冒頭の歌の箇所でした。
 篠原曰く
「父はこういう事をするのが好きだった」
 と。
 書き込みは例えて言うならばいま、私がこうして和歌の訳をしているような、そういうものでした。
 ご尊父はすでにお亡くなりですので篠原の許可を得て、私自身が若干手を加えたものを転載したいと思います。



 もう、どうしようもない。
 あの人に逢う術すらない。
 事が明らかになり、人々が私たちを指さし嘲う。
 道ならぬ想いを抱くものよ、人ならざる罪よ、と笑う。
 事、露見したいま。すでに同じ事。
 あの人を想う心を偽るのも、隠すのも無駄であるならばいっそ。
 難波潟の澪標。入り乱れる水路を示す道標。我が心も指し示してはくれないものか――。
 いったいどんな道を辿ればあの人に逢えるのか。逢うことのできる日がくるのか。
 澪標よ指し示せ。
 私たちが進むべく道などない、というのなら、この身を尽くし、滅ぼそうともあなたに逢いたい――逢わずになど、いられるものか。

 暴挙だろうか。あなたは止めるだろうか。止めるのだろう……ならばいまは。



 この歌は、激烈な感情を美しく歌い上げた、まるで急流の流れのような、そんな歌です。
 それだけに訳をするのが非常に難しい。
 この歌を取り上げよう、と決めたときから訳しあぐねていたからこそ、ご尊父の書き込みを見つけたのですが。
 やはりその手蹟の美しさよりも何よりも、この感情を文章で表現できる事こそ篠原の父、と言いたい思いです。
「こういうものは遺伝するものでもなかろうに」
 そう、篠原は笑いましたが。

 この歌を歌ったのは元良親王、という方です。
 奔放で知られる陽成天皇の第一皇子ですが、父君退位のあとに生まれました。父君に似た激情を、もっぱら恋愛に燃やした方でした。
 非常に色好みであったらしく「どこそこの姫は美しい」と聞けば逢うか逢わぬかはとりあえず、なにはともあれ文を書く、と言ったまめな性格であったらしいですね。
 この時代の色好み、というのは決して性的なだけではなく、どちらかと言えば「風流な」という言葉に近いでしょう。
 その元良親王がこの歌を贈ったのが京極御息所と呼ばれた藤原褒子です。
 父・時平は醍醐天皇の後宮に入れるつもりであったのを、天皇の父院・宇多院が一目見るなりご自分の院に連れ帰ってしまわれた、というほどの美女。
 宇多院は京極御息所を非常に溺愛され、あまたある寵姫の中でもおそばさらずであった、と言います。
 そんな方と親王は恋をしたのでした。

 決してその手に抱く事はもうできないであろう人を恋い、嘆くのではなく奪い去ろうとでも言うかの覚悟。
 人は、そんな思いを抱く事があるのでしょうか。
 それほどまでに恋うることができるのでしょうか。
 ――できる。
 そう、断言するにはあまりにも辛く、そして悲しい想いである気がしてなりません。
 ご尊父の書き込みを読み、私は戦慄きました。
 歌を詠むようになってはじめて、湧き上がる感情を歌う事が出来なかった。
 この感情が、いったい何なのか、私には理解できなかったのです。
 せめて篠原のするように文章に綴ってみれば、幾分なりとも手がかりになるか、と思い記してみても茫漠たる思いばかりが深まります。
 それを察したのでしょうか、篠原が
「父は幸福な人だった」
 そう、笑いました。
 この書き込みのような思いをご尊父が抱いたのかはわかりません。
 ただ、こんな感情を迸らせることができる人、その人は幸福だったのでしょうか。
 私には、わからない。
 篠原が言うのだからきっと、幸福であったのでしょう。
 納得しかねているのをわかってくれたのでしょう。
「仮に父がこういう思いを抱いたとして、それほどまでに誰かを愛したならば幸せなことだろう」
 そう、かもしれません。
 全身全霊をかけて恋うることのできる人に巡り会った、それは確かに幸福。
 それならば私にも、理解できる。
 心の底から、他者をいとおしいと思う。互いを思い、ただ側にいる事のできる、幸福。
 それを奪われたならばそう、元良親王のような歌を詠む事でしょう。
 親王は院の寵姫を愛しました。
 それは許されざる不倫の道でした。
 けれど人は「誰かの妻だから」という理由で愛さずにいられるものでしょうか。
 地位も身分も、時には男女の別さえ関係なく。
 その人がその人である、ただそれだけの理由で人は他者を恋うるのでしょう。
 不倫の外道の言われても、愛することをやめられはしない――。
 人の身の、短い一生の中でそれほど思うことが出来る相手を見つけられた、確かに元良親王は幸福な方かもしれません。

 「百人一首一夕話」の一文に、傍線が引いてありました。
『我が身を尽くし果て命を捨てても、君に逢ひ参らせんと思ふといふ心なり』*
 ご尊父も、幸福な方であった。なぜかふと、いまそう思いました。



*<引用部分> 百人一首一夕話(上):岩波文庫

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