百人一首いろいろ

水野琥珀



 先日、ちょっと可笑しいことがあったのでこの歌を思い出しました。いえ、可笑しい、と言ったらきっと篠原に怒られるとは思うのですが。
 篠原がかわいがっている猫がいます。可愛がっている癖、「猫」とだけ呼ぶのはきっと我が家に遊びにきた当初、その猫には飼い主がいるらしいとわかっていたからなのですが、どうやらすっかり我が家に居付いてしまったのですね。
「居候が増えた」
 と、篠原はさも苦々しげに言いますが内心ではその美しい猫が傍らにいるのを非常に喜んでいるのですよ。
 元の飼い主はさぞ自慢にしていたであろう、美しい猫です。顔つきは凛とした日本猫なのですがその雪白の毛皮には一点の染みもなく、かつ洋猫の血でも入っているのでしょう、しっとりと柔らかい毛は長くて美々しいのです。
 以前は篠原にだけなついていた猫ですが、彼女の小さな頭の中で私が「食事係」である、と言う事が認識されたのか近頃では私にもよくなついています。
 その猫がしばらく姿を見せない事がありました。
 そして思い出したのがこの歌でした。



 たち別れ いなばの山の 峰に生ふる
 まつとし聞かば いま帰り来む



 中納言行平、在原行平の歌ですね。かの在原業平の異母兄にあたります。
 平城天皇の皇子、阿保親王の子と言う血筋の良さですが、弟の業平が内親王を母に持ったのに比べ、どうやら行平の母は尊貴、とは言えないようであったらしい。
 そのせいもあるのでしょうか。闊達でありながら飄々とした印象を受ける人でもあります。とは言え、官吏としての彼は弟よりよほど順調に栄達し、堅実な官吏生活を送りました。
 この歌は因幡守に任ぜられた時、任地に向かう前の離別の宴ででも読まれたものでしょう。
 別れの歌にしては行平らしい明るさがあり、宴の酒とも相まって口調よろしく陽気で明るい歌だと思います。



 さてそろそろ立ちますかいな。皆様とはしばしのお別れ、私は因幡の国に行きますわ。
 因幡の国に何があるって。
 そりゃあなた、因幡と言えば松の名所があるじゃないですか。
 なに、ご存じないとな。
 稲羽山ですよ。
 峰の松の美しさ、どうですあんたもご一緒に。
 ありゃ嫌ですかいな。なら仕方ない。
 峰の松じゃないけれど、あんたが私を待つ、と仰るなら、ま、じきに帰ってくるわいな。



 どうにも真面目に訳しにくい歌ですね。なにやら宴の熱気とでも言うようなものが乗り移ったかのようなポンポンとした口調のよろしさについ、つられてしまいます。
 とは言え、「松」に「待つ」、「因幡」に「往なば」、さらに「稲羽山」まで透かしている掛詞の技法を駆使した技巧的な歌でもあります。
 しかし行平の持ち味でもあるのでしょうか。技巧的でありながら平明でなだらか、口に上せ易い歌だと思います。



 猫の話でした。
 彼女は我が家の居候、とは言え、日がな一日篠原の側に居るわけでもなく朝、どこへやらとふらふら出て行って日が暮れると帰って来てはえさをねだってちょこんと台所に座っている、という風でした。
 暑い日には庭の梅の木の陰が気に入りらしく、長い毛を持て余すようにそこに寝そべっているのです。
 なにしろ毛は長くとも真っ白い猫ですから夏の陽にそうしているだけで何か涼しげな気さえするようでした。
 夜は夜で篠原の足元に丸まって眠るのです。
 篠原は何度も
「猫が布団に入るなど、怠惰だ」
 と言ってはやめさせようとしたのですけれど、猫の目と言うものは魔性ですね。
 金色の目でとろりと見つめられてはかの篠原も
「……今夜だけだぞ」
 などと言って甘やかし、ついに篭絡しては篠原の足元で眠る権利を獲得してしまいました。
 かく言う私もわざわざ猫の為に煮干などを買い置いているのですから篠原の猫馬鹿を笑えませんね。
 そうやってかわいがっていた猫が姿を見せなくなって三日ほど経ったでしょうか。
 今までも一日、二日は遊び歩いて来ることのあった猫ですから
「そのうちに帰ってきますよ」
 そう言っても篠原はそわそわと落ち着かず、机の前に座って原稿用紙を前にしてもちっとも筆が進んでいない様子。
 庭をじっと見たかと思うと目を反らし、かと思えば梅の木の下に立って小声で
「猫、猫」
 と呼んだりもしていました。
 私も気になるものですから買い物の行き帰りに彼女の居そうなところを覗いて見もするのですけれど、なにしろ相手は猫の事。
 どこにいるやらさっぱりわかりません。
 やがて五日過ぎ、七日過ぎ。
 そのころから篠原が梅の下でなにやらぶつぶつと言い始めたのですね。
 心配が昂じてついにどうかしたか、などと失礼も甚だしい事を考えたころ、ようやく猫は姿を見せました。
 純白の毛皮は泥と埃に汚れ、すっかり痩せてよろよろと入ってきたところなど、一瞬あの猫だとはわからなかったほどです。
 しかし普段なじむ時間の多かった篠原には一目でわかったのでしょう、庭に飛びだしては埃だらけの猫を抱き上げ
「猫や、よく帰ってきたなぁ」
 そう抱きしめたのでした。
 猫の方も心細かったのでしょうね、普段出した事のない甘えた声で篠原に頭を擦りつけて喉を鳴らしていました。
 それからが一騒動です。
「琥珀、バターだバター。この前T君が持ってきたのがあっただろう」
 だの
「鰹節が欲しいか、海苔はどうだ」
 だの、まぁ大騒ぎです。
 猫の方も過剰とも言える愛情の発露に多少辟易している風ではありましたが、やはり帰って来て安心したのでしょうね、篠原の良いようにされて満足げに眠りました。
「梅の下でなにしてたんです」
 試みに問えば、気分のいい篠原は照れくさそうに少し笑って
「なに、おまじないを少し、な」
 それでようやく思い出しました。
 行平のこの歌には、三度唱えると行方の知れなくなった猫が無事に帰ってくる、という言い習わしがありました。




モドル