百人一首いろいろ

水野琥珀



 秋と言うのは、空気が澄むせいでしょうか。本当に月がきれいに見えますね。
 ぼんやりと庭先に出て月を眺めていた私に篠原が言いました。
「懐かしいか」
 と。
 それにはこんな背景がありました。
 まず歌をご紹介いたしましょう。



 心にも あらでうき世に ながらへば
 恋しかるべき 夜半の月かな



 三条院御製の歌です。「後拾遺集」の詞書にはこうあります。
「例ならずおはしまして、位など去らむとおぼしめしけるころ、月のあかりけるを御覧じて」
 三条院はお目を病んでおいででした。体調優れず退位を決意されたその頃、月の明るいのが大層美しく見え、詠まれた歌です。
 二十五年という長い皇太子時代を経て即位した三条院、という方は不幸な方でした。
 わずか五年の在位中、二度にわたっての内裏炎上、自身はお目を病まれ刻々と視力を失っていく。
 挙句には、藤原道長が先帝一条院と娘・彰子との間に生まれた皇子を帝位につけようと画策します。
 体調優れない院に向かって、さもさっさと退位すればいい、とでも言うような態度を道長は取り続けました。
 そんな院が薄れ行く視力の中で見上げた月は、言葉に尽くせぬ美しさであった事でしょう。



 いつまで私は生き長らえる事が出来るのだろうか。
 生き長らえたい、と願ってなどいないものを。
 心ならずも長くこの世に、この憂き世に生き続けてしまったのなら、どれほどこの夜の月を恋しく思うだろう。
 永らえたくはないこの世の内にあった美しい月を、懐かしいものとして思い出すのだろうか。
 なにもかも私の目の前から消えていく。
 そんな憂き世に私は思い出すだろう。この夜の月を。
 もう、目の見えなくなった私は。



 道長との確執は深まり、視力は奪われ、さぞ暗澹たるお心であられたでしょう。
 大切にしておいでだった幼い姫宮の御髪を撫でられ
「こんなに美しい御髪でいらっしゃるのにこの目で見られないのが残念だ」
 そう、涙を流されるのを居たたまれない思いで側仕えの者が拝見していた、という話が伝わっています。
 院の視界から、御鍾愛の姫宮も月も花も懐かしい人達も、消えて行こうとしています。
 「栄花物語」によれば十二月の月の明るい夜、中宮と語り合いつつこの歌を詠んだそうです。
 すべての美しいものが消えていく。
 滴るような絶望と、苦渋。
 そして院は退位。その翌年に崩御されました。

 かつて、同じような思いで月を眺めていた事がありました。
 視力が奪われて行くわけではなく、ただこの世に永らえていたくなどない、という点において。
 あれはいつだったか。今となっては思い出せません。
 思い出したくない、と言う方が正しいでしょうか。
 戦時中でした。
 私はすでに陸軍幼年学校にいて、確かそこに知らせが来たのでした。
 幼い頃によく遊んでくれた、兄のような人がいました。
 私より五つか六つ、年上のその人が亡くなった、との知らせでした。
 開戦した年の暮れ、徴兵年齢が引き下げられましたから、その人も戦地に出ていたのでしょう。
 無論、戦死でした。
 その人の死は、私にとって職業軍人ではない親しい者の、初めての死でした。
 知らせにきた人に何を言ったのかも覚えていません。軍を否定する言葉を吐いてはいけない、漠然とそう思ったことだけを覚えています。
 その晩、眠れませんでした。
 狭い寝台から音を立てないよう抜け出して、そっと外をうかがったとき。
 月が出ていました。
 馬鹿みたいにきれいで、冗談のように明るくて。
 いつかこの月を思い出すだろう、そう思ったものです。
 その時にこの歌が頭に浮かんだのですね。
 当然、戦時中のことですから競技かるたなども憲兵から禁止されていたような、そんな時代です。
 それでも浮かぶものは浮かぶのですね。
 寝台に戻って、唇だけで声を出さずに口ずさみ、こんな戦争が早く終わればいい、そう思ったのでした。
 三条院とは明らかに思いは違います。
 けれど、思いの底にあったどうしようもない絶望だけは、今も似ている、と思うのですよ。
 三条院が失うのは自分の世界でした。
 私たちが失おうとしているのは、この世界そのものでした。
 あるいはどちらも同じことかもしれません。
 結局、日本は戦争に負け、焼け爛れた国土の中、復興への道を歩き始める事になったのです。
 食べる物もない、着る物もない、住む所などろくにない。
 進駐軍のジープが乾いた砂を巻き上げて走るのに向かって群がる飢えた人々。
 誇りよりもまず、食べる物が必要でした。
 今もまだ、記憶に新しい日々です。
 そんな時でも月はやはり、きれいだったのですよ。
 月を見上げる余裕があったわけではありません。
 座り込んでいたら偶々月が、登ってきたのです。
 自棄になっていた私を少しばかり正気に戻すほど、美しかった。
 絶望の中、生き残った私は、生き残ったのが居たたまれなかった。
 生きていたい、などとは願ってはいない。
 そう歌った三条院の心がわずか、わかった気がしたのはそんな時のことでした。

 篠原はそれを踏まえて私にそう聞くのですよ。
「懐かしいか」
 と。
 すでに私は三条院と同じ心持ちではありません。
 生き長らえたくないとはもう、思わないのですから。
 長生きして歌を詠みたい、共に生きていたい人、人々がいます。
 ですから私の答えは決まっています。
「思わない」
 この一言に。




モドル