百人一首いろいろ

水野琥珀



 夏の歌、とはまだ少々気が早いとも思いましたが、つい先日、ちょうどこの歌のような景色を目にしましてご紹介しよう、と思いました。



 夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを
 雲のいづこに 月宿るらむ



 詠み手は清原深養父と言います。深養父の詳しい生涯はわかっていません。十世紀前半の人で官吏であったらしい、とのことです。
 官吏としてはうだつの上がらない生涯を終えましたが、深養父は歌の世界に名を残しました。勅撰集には実に四十一首の歌が収められているのですよ。
 ですが、藤原公任の三十六歌仙からは洩れています。彼には認められませんでした。しかし深養父からおよそ三百年の後の藤原俊成には認められて「古来風躰抄」にはご紹介した歌が取られています。
 それから深養父が他にも名を残したものがあります。
 さて、なんでしょうか。
 この深養父、かの清少納言の曽祖父にあたるのですよ。「後撰集」の編纂にも携わった元輔の祖父ですから、つまり清少納言の曽祖父、というわけです。
 たしか清少納言が「枕草子」の中でお仕えする一条天皇の中宮・定子に歌合せの折、「元輔の孫のあなたがどうして歌を詠まないのかしら」とからかわれ、それに「元輔の孫とさえ言われないですみますなら、すぐにでも詠んでお目にかけますのに」と答えた、という小話があったと思います。
 そのように中宮に申し上げた清少納言ですが、散文の分野で曽祖父の名をはずからしめぬ名を成しました。
 現在では深養父の曾孫、と言うより清少納言の曽祖父、と言ったほうが通りがよいくらいですから、深養父も本望、というものでしょう。
 歌の訳に参りましょうか。



 おや、いつの間にやら東のあたりが明るくなってきたものだ。
 まだ宵の口、とばかり思っていたものを。夏の夜と言うものは短いものだ、と思ってはいたが、はや明けそめたか。
 一晩じっと眺めていたが、おいお前。月よ、今はどこに隠れた。
 山の端に入る暇もなくて、雲のどこかに宿ってでもいるのだか、お前は。



 深養父は月が出てからずっと眺めていたのですね、きっと。眺めつつ、なにを考えていたのでしょうか。
 一晩を月と共にすごし、はたと気づけは夜も明け始めている。
 その夜の月は半月でしたでしょうか。月の出の遅い半月が、夏の早朝にまだ残っている。薄く翳っていく月を見て深養父はこう歌ったのですね。
 はたと気づけは夜明けを迎えていた自分と、隠れる暇もなかった月、という情景が面白い、と思います。
 こういう歌は詠み手によっては暗く隠々滅々たる歌になりかねないのですが、深養父はどこかさらりとしていて、月に置いていかれた自分、あるいはそのような時間までずっと月を眺めていた自分、というものを苦笑と共に見つめているようですね。
 このような少し覚めた見方、と言うのが当時の人に大変人気があったらしいのです。
 ですが、私は「そのような時間まで時を忘れるほど月を眺めて深養父は一体何を考えていたのだろうか」と言う事の方に興味があって仕方ないのですよ。
 今となってはわかる事ではありませんし、この歌が収められている「古今集」巻三の詞書にも「月のおもしろかりける夜、暁がたによめる」とだけ書いてあるばかりです。
 ただ、眺めていたのでしょうか。
 それとも思うこと多くして夜を明かしたのでしょうか。
 じっと悩み、悩み抜いた末に夜を明かし、そしてそれを乾いた機知で歌にした、そんな気がするのですよ。
 あくまでも想像です。ただ、そんな風に空想するのもまた、面白いものです。



 夜明け間近の月を眺めていたことがあります。
 私の空想の中の深養父のように思い悩んでのことではなく、ただなにとなく眺めていたのですよ。
 明け方近くに目が覚めて、不意に外を眺めたくなったのです。
 篠原を起こしてしまわないよう、そっと一枚だけ雨戸を開けましてね、広縁に出たら月が残っていたのですよ。
 ただ、それだけなのですが、その月が妙に美しく見えたのを覚えています。
 まだ肌寒い、深養父の歌とはあわない時期の事ですが、寝間着一枚でそこにすわって眺めていました。
 ぼんやりとした月の影、少しずつ明けていく夜空。
 見慣れているはずの庭までがなにか新鮮なもののように見えて、そのことに随分驚いたものです。
 振り返ると篠原が仕事場兼用にしている居間の中にも夜明けの光が射しそめていました。書き物机の上には出し放しにしたままの原稿用紙や筆記用具が転がっています。
 それを秩序だった、と言えば人は笑うでしょうが、そこには確かにごく当たり前の生活の匂いがあったのですよ。
 平穏な生活と言うものに安堵する、私もそういう年になった、ということでしょうか。
 そう思えばなぜか苦笑が洩れるというものです。案外、深養父の漏らしたかもしれない苦笑というものもこんなものかもしれませんね。
 物音を立てないようにしていたはずでしたが結局、篠原を起こしてしまいました。
 あれで勘のよい人なのです。私がそこにいるのに気づいたのでしょう、横着にも寝転んだまま寝間の襖を開けて不可解そうな顔をしていました。
 私が何をしているのか不思議だったのでしょうが、篠原のそんな姿こそ、めったに目にするものではありませんからつい、笑ってしまったのですよ。笑って怒られしましたが。
「何をしているのかと思えば」
 ひとしきり怒った後にようやく問われましたが、私にも別段何をしていたと答えられるものでもありませんし、困りましたね。
 夜明けの月を見て穏やかな生活というものはいいな、と思った、など言っても余計訳がわからなくなるだけでしょうし。
 可笑しいのが、篠原が私を叱っている間中、どこにいたと思います。布団の中にいたのですよ。寝転がったまま私を叱っているのですから、あの男と言うものは。
 ようやく寝間着を着て出てきたかと思えば
「風邪をひくから布団に戻れ」
 と、それだけ言いに来たのですからね。笑いをこらえる私の横で
「おや月が出てるじゃないか」
 そう、空を見上げる篠原です。こらえきれず笑いだした私をさも不審げに見ているのですが、それもまた私の笑いを誘うのでした。
 こんな些細な事が「当たり前の生活」というものの幸福かもしれない、そんな風にも、思うのですよ。心から理解しあえる人が、友がいるというのは、良いものです。




モドル