百人一首いろいろ

水野琥珀



 ふとした拍子に、なぜか疑問に思う、そんなことがないでしょうか。
 なにがどう、と言うわけではないのです。ただ、なにとなく何故だろう、いつからだろう、そんな疑問を持ったことが一度はあるのではないでしょうか。
 今回はそんな歌をご紹介いたしましょう。



 みかの原 わきて流るる いづみ川
 いつみきとてか 恋しかるらむ



 王朝の代表的な歌題であった「逢わざる恋」の歌ですね。
 現代では想像もつかないことではありますが、王朝の時代ではまだ見もせぬ姫の噂だけを聞き知って恋をした、と言います。
 少し前でしたら見合いと言うものがありましたけれど今の若い方は恋愛全盛ですからね、ちょっとわからないかもしれません。
 とにかく平安の御世ではそういうものであった、と思ってください。
 噂だけであれこれ想像して恋をする。そう聞くとなにか若い男の微笑ましさというものがありはしないでしょうか。
 一人合点なものですから勇み足の一つや二つ、あったかもしれませんね。
 さてそうなると思い出されるのは源氏物語です。源氏にもそういう小話がありましたっけ。末摘む花の姫君の話ですね。
 落ちぶれた宮家の姫君が一人ひっそりと暮らしている――美女の侘び住まい、なんと美しい情景、とこれだけでのぼせ上がってしまった若き源氏が夜は夜とて首をひねり、朝の光で見てみたら胸もつぶれんばかりのご面相にぎょっとすると言う可笑しな話でした。
 あの話が「逢わざる恋」の典型的なものではないか、と思います。最もぎょっとしてばかりではなかった、と思いますが。

 さてこの歌の歌人ですが、詠み手は中納言兼輔、つまり藤原兼輔です。王朝初期の歌人として著名ですが、この歌よりも

  人の親の 心は闇に あらねども
  子を思ふ道に まどひぬるかな

 こちらのほうが有名ですね。さらにわかりやすく言うならば「堤中納言日記」の堤中納言は彼のことです。最も書かれたのはずっと遅い時代ですので彼が成したわけではありませんが。そして三十六歌仙の一人です。これを言うとこの時代、正に日本村、と言う感じで誰も彼もが親類縁者になってしまうのですが、紫式部の曽祖父でもあります。
 そろそろ訳に参りましょう。



 みかの原を両分するように流れる泉川よ。湧きあふれ流れる泉川よ。
 いずみがわ――いつみたのか。
 あなたをいつ見たと言うのか。いいや、逢ってなどいない。
 それなのに何故、こんなに愛しいのか。
 逢ってもいない、見てもいないのに川があふれるように思いが止まらない。
 こんな風に思いだしたのはいったいいつからだろうか。



 「分き」に「湧き」を掛け、その「湧き」が次の「泉川」の「泉」の縁語になっている、と言う技巧的な歌ですが、調べなだらかで口にのぼせやすく、技が嫌味ではありませんね。
 この「泉川」までが序詞でいずみ、がいつ、の言葉を引き出す役目をしています。内容として必要なのは下の句だけなのですが、この序詞があるがゆえにあふれて止まらない情景をかもし出すのに成功している、そんな気がしますね。
 なにより水があふれて止まらないように、なんていうのは素敵じゃないですか。
 そういえばこの歌、「新古今集」では恋一に収められているのですが、と言うことは新古今が編まれた時代、つまり定家の時代にはこの歌は恋の始まったばかりのころの歌、と解釈されていたことになります。
 そのせいでしょうか、昔から「いつみきとてか」には二通りの解釈がありまして、まだ一度も逢った事がない恋、とする説と、一度は逢ったが再び逢う事ができないでいる恋と、とする説があります。
 私自身は素直に一度も逢ったことのない恋、としたいですね。
 まだ一度も逢った事がないのに胸を震わせるほどの恋をしてしまった。
 いったいいつからこんな思いに、と我ながらいぶかしく思う、そんな恋。
 初々しく、恋のはじめの喜びと恐れが入り混じった、なにか懐かしいような思いに駆られる歌です。

 そんな思いをしたことが、ありはしませんか。
 恋人の腕に安らう時、あるいはそっとその名を唇にのぼせた時、胸が痛くなるほど愛おしい。
 そしてふっと、いつからこんなにこの人を愛しく思うようになったのだろう、といぶかしく思うのですよ。
 育った場所も環境も違う人間が二人、出会って恋をする。
 ありふれている表現ですが、それは奇跡的なことだと思うのです。
 ただ一人の、他の誰でもないその人だけが誰よりも愛しい。そんな風に思える人に出会えただけ、私は幸福なのかもしれませんね。
 それにしても恋というものはいつから始まるのでしょうね。不思議で仕方ないのですが篠原はどう考えるのでしょうか。尋ねてみました。
「いつから。なにを馬鹿な」
 ひどいことに失笑されました。いくらなんでも馬鹿扱いはひどいと思うのですが。
「いつから、とわかるものではないだろう。思い起こせば……はじめから惚れてたな、と思いこそすれ」
 おや、どうやら篠原は一目惚れする質だったようですね。
 確かにそういうものかもしれません。はじめからかは置くとしても「あのころには好きだったなぁ」と思うものなのでしょう
「かく言うお前はどうなのかね」
 意地の悪い顔をして問う篠原には
「さて」
 とだけ言ってはぐらかすことにいたしましょう。
 ですが私にだって明確にわかることではないのですけれどね。
 ただ、そう、思えば何年も詠んでなかった歌をあの人に逢ってからまた詠み始めたな、と。そうしてはじめて詠んだ歌はあの人への、恋歌だったな、と。私の場合、あふれて止まらなかったのはどうやら「歌」だったようです。




モドル