百人一首いろいろ

水野琥珀



 前回は調べのすんなりして、かつ意味のわかりやすい歌をご紹介いたしましたから、今回は少し技巧が勝ったものをご紹介するといたしましょう。
 やはり恋の歌です。
 恋の歌、というのはやはり良いものですね。つらい恋の歌、会えない恋の、幸福なそれの。どれをとっても私達に強く訴えかけてくる、そんな気がします。



 難波潟 みじかき芦の ふしの間も
 逢はでこの世を すぐしてよとや



 詠み手は伊勢。父が伊勢守藤原継蔭でしたので、それにちなんで伊勢、と呼ばれる女性です。
 伊勢は宇多天皇の中宮・温子に仕えました。
 丁度その頃です。伊勢の下に通う男がありました。男の名は藤原仲平。時の権力者であった基経の次男ですから大変な貴公子です。一介の女房に過ぎない伊勢とは月と大地ほどの身分の隔たりがありました。
 そのような伊勢のどこに仲平は惹かれたのでしょうか。伝わるところによれば伊勢は類まれな美貌と、何より美しい心ばせを持った女性だった、ということです。歌の才は言うに及びません。何しろその時代に名の高かった貫之、あるいは躬恒などの歌人と並び称されていたのですから。



 難波潟に生い茂る芦が水面に映っているわ。まるで恋焦がれているのにあなたにお会いできない私みたい。
 それでも首を垂れたりしないのよ、芦は。だって私ですもの。
 あなた、ご存知かしら。
 あそこには、ことに短い芦があるって。その芦の節と節の間がどれほど短いか、ご存知。
 その短い節の間ほどの時間さえ作ってくださらないあなた。
 このまま人生を過ごせ、と言うの。私達はこれっきりだと、言うの。



 そう歌った伊勢のこの恋ですが、結局は破綻に終わってしまいます。仲平は権門の娘と縁を結び伊勢を捨てました。その傷心の伊勢に心を寄せたのが宇多天皇でした。
 伊勢は悩みます。伊勢はその天皇の中宮にお仕えする女房です。ですが、天皇のお召しを拒めるはずもありません。つらい決断を強いられた伊勢ですが、中宮こそ心ばえ美しいお人であられたのでしょう。伊勢に変わらぬ信頼をお寄せになり、伊勢もまた心からの敬愛を捧げ続けた、ということです。
 伊勢の歌集である「伊勢集」には「后の宮の御心かぎりなくなまめき給ふて世にたとうべくもあらずおはしましける」とあります。
 伊勢は宇多天皇の御子を産みました。それより伊勢の名を貴んで伊勢御、伊勢御息所とも呼びます。
 それからしばらくの後、宇多天皇は御譲位し、法皇となられました。伊勢の産んだ皇子も亡くなります。中宮も薨去されました。
 この世をはかなんだ伊勢は実家に下がり、ひっそり暮らします。時折は禁中のあれこれなどを思い出しつつ、寂しく過ごしていたらしいのです。
 そんな時のことです。宇多天皇の御子であられる醍醐天皇が御子の袴着のお祝い――現代でしたらさしずめ七五三と言う所でしょうか――に屏風を作らせたのですね。色紙に当代の名手と呼ばれる歌人の歌を書き、美しい絵を描いた屏風です。筆を執ったのは小野道風。前回出てきましたね。あの道風です。
 そうして作るうち、桜の花の下、女車が山道を行く絵に歌に歌をつけさせるのを忘れてしまったのですね。これは困った、と醍醐天皇はしばし考えた挙句、実家に下がったままの伊勢のところにこれも前回出てきました敏行朝臣の息子、伊衡少将を遣わします。
 伊衡は醍醐天皇の仰せを伝え、はじめは困っていた伊勢も帰り際に紫の薄様の紙に歌を記し、同じ色の薄様に女装束を包んで伊衡に授けます。
 さて内裏では今か今かと伊衡の帰りを待っていたのですが、さあ帰ってきた、となると道風は筆を墨に濡らしてすぐに書かんとばかりの勢いで天皇の前に参ります。すると伊衡は伊勢に授けられた装束を美々しくかづいて来るではないですか。そして御前に装束を置き、伊勢の歌も奉るのです。
 その文を天皇がご覧になると、驚くことに道風が書いたにも劣らない美しい字ではないですか。歌も大変にすばらしくお気に召したようです。道風もまたその歌を何度も詠み、それからやっと色紙に記した、と言うことでした。
 遣いに行った伊衡は伊勢の気高く奥ゆかしい気品にほのかに接し、この世にはこんな女人もいるのか、と感じ入った、とは「今昔物語」に書かれていることです。



 そうして晴れの歌を詠んだ伊勢ですが、はたして伊勢は幸福だったのか、私は悩んでしまいます。
 伊勢は禁中から下がった後、宇多天皇の親王にも愛され一子を産みます。これがかの中務なのですが、なぜか物悲しい、そんな気がしてしまうのですよ。
 それはこの歌の美しさに起因しているのかもしれません。
 あまりに美しく、そして哀しい歌ではないですか。
 こんなに美しい歌でも離れていった男の心を呼び戻すことは出来ないのですよ。
 いささか口にはのぼせにくい歌、として敬遠するむきも多い歌ですが、何度も読んで御覧なさい。伊勢のほとばしる真情に涙せずにはいられない歌です。
 恋した相手とほんのわずかな間でも離れていたくない、そう思うのが人の情、と言うものでしょう。
 私など居るはずのときに居ない、ただそれだけでどれほど心騒がせるか、わかったものではありません。
「お前のそれはやきもち、と言うんだ」
 人の原稿を覗き込んで篠原が笑います。失礼なことを言う男ですね。
「なにが失礼なものか」
 大げさに驚いて見せるのですが、いったい私のどこがやきもち妬きなんだ、と言うのでしょうかね。
「ちょっと用もないのに外に出ていた、と言うので大騒ぎしていたのは、どこの誰だったかね」
「それは……」
「紛れもない事実で、つまりやきもち妬き、ということだな」
 ずいぶんな三段論法もあったものですが、篠原の言ったことが実際あったのですから私としてはぐうの音も出ません。
 ですがね、本当の所を言えばその当人が発熱していたのですよ。熱のある体でいったいどこをほっつき歩いているのか、と狂わんばかりに心配していた私のことをよくもまぁそんな風に言えるものです。
 それもまた、嫉妬なのでしょうかね。
 伊勢の離れていることに対しての悲しみが、こんな風にすぐに解消するものであったらよかったのに、わが身の幸福に引き比べてそんな詮無いことを考えてしまう歌です。




モドル