百人一首いろいろ

水野琥珀



 前回、中務の母のお話をいたしましたので、母娘の歌人の歌を取り上げることにいたしましょう。和泉式部は以前取り上げましたから、紫式部母娘の歌にしましょうか。まずは娘の歌を。



 有馬山 猪名の笹原 風吹けば
 いでそよ人の 忘れやはする



 紫式部の娘の大弐三位の歌です。面白いと思いませんか。紫式部と言うのは源氏物語という大作、しかも情念の絡み合った心理劇と言うべきものを成した作家です。
 その娘と言う人がこんなにも洒脱で機知に飛んだ歌を詠むというのが私は大変面白い、と思うのですよ。
 あるいは大弐三位は父親似なのかもしれませんね。父は能吏でありまた派手好きの洒落者で有名でもあった藤原宣孝です。明るい父と自分の中にこもりがちの母からこういう娘が生まれたのですから中々興味深いですね。
 大弐三位はこの時代の女性にしては珍しく名前がわかっています。賢子と言います。ごく幼い頃に父と死別し祖父・為時に養われますが、その後、母と共に宮仕えをすることになります。ですが直後と言っていいでしょう、その母が亡くなります。翌々年には育ての親ともいうべき祖父とも永久の別れをすることになる大弐三位ですが、そのときはまだ十四、五歳くらいでしょうか。
 若くして血縁の者もなく、頼るべき人もいない大弐三位はただ一人宮中で生きて行かざるを得なくなります。そして大弐三位はその大変な生き方に成功するのですよ。
 それは親の七光り、と言うものであったかもしれません。丁度その頃になってようやく紫式部の源氏物語が盛んに読まれるようになっていたのですから。



 有馬山のふもとの猪名って呼ばれるところに笹原があるのよ。風が吹き渡るとさやさや、そよそよと葉鳴りがするわ。
 私がなにを言ってるか、おわかりかしら。
 愛してないんじゃないか、ですって。猪名、よ。否って言ってるの。い・な、わかるでしょ。
 猪名はどこにあるって言ったか覚えてるでしょ。有馬山よ、あなたを拒んだことなんて「ありません」よ。
 笹は鳴るのよ、そよそよって。そうよ、そうよってね。愛してるわ、そうよって。
 さあそこだわ。私をお忘れになったのはあなた。私じゃないわ。私があなたを忘れられるはずが、あって。



 まったくもって訳しにくい歌です。技巧に技巧を重ねているものですから、長く翻訳すればそれでいいと言うものでもないのですね。
 上三句はいわば「そよ」の一言を呼び出すためだけの言葉なのですが、この三句が笹の音、そうよと言うささやき、有馬山の有、猪名の否、そういった男女の間の睦言めいた言葉をひきだし艶治この上ない歌に仕上がっていますね。
 この歌で大弐三位が言いたかったのはただ一言「人を忘れやはする」私があなたを忘れたりしましょうか、いいえ、お忘れになったのはあなたの方、とただこれだけなのですね。その一言の上にきらびやかな装飾が美々しく重なっている歌なのですよ。そうやって技巧を尽くすほど、大弐三位は怒っていたのかもしれませんね。勝手なことを言ってきた男、と言うものに対して。
 さて、と言うのもこの歌は「後拾遺集」に収められている歌なのですが、その詞書に「かれがれになる男のおぼつかなくなど言ひたりけるに詠める」とあります。最近訪れなくなった男が「あなたの気持ちが良くわからなくて」などと言ってきたのに対して詠んだ歌、と言うことですね。ですから私はよほど大弐三位は怒っていたのだろうな、など想像するのですよ。
 大弐三位は権門の貴公子ともたくさんの恋をしました。それは一方的に捨てられる、と言ったものではなく、自身も一時の恋を楽しんだ、と言えるものであったようです。
 藤原定頼、藤原兼隆、名を上げていくだけでもきらきらしい貴族の中の貴族が大弐三位との恋を楽しみました。
 その兼隆の子を産んだとき、偶然にも後に後冷泉天皇となられる御子がお生まれになりました。大弐三位はなんとその乳母に選ばれるのですよ。聡明で人の世の表も裏も知っていた大弐三位は正に乳母にふさわしい人選だったでしょう。もちろんそういう女性ですから御子へのお躾も大変によい評判を得ていた、と言い伝えられています。
 乳母と言うものは育ての君にたいそう重要に扱われるものですから、宮中でも彼女の権勢は高まっていきます。そしてついには三位の位を授けられるまでになるのですよ。
 その前後に高階成章と言う人物と結婚します。この人はずいぶんと蓄財の才に長けていた、と言われる人物ですが、さもあらん。太宰大弐、つまり大宰府の長官を勤めているいわば高級官僚だったのですね。
 それゆえに夫の官職によって大弐、自分の位から三位、つなげて大弐三位と呼ばれるようになったのです。それ以前は祖父の官が越後守だったので、越後の弁と呼ばれたようですよ。



 きらきらしい言葉の嫌味というのは誰がやっても美しいと言うわけではありませんね。大弐三位は幸いに機知に富んだ人ですからきっと相手の男も苦笑いをしてまた彼女の元に通ったのではないでしょうか。嫌味ばかりでは嫌がられますし、かと言って媚びるような嫌味というのはもっと虫唾の走るものですからね。
 大弐三位ではありませんが、さあそこですよ。明るく軽い嫌味を言い慣れていない人がどうも身近にいるような気がするではありませんか。
 なに、いつもの通り篠原のことなのですけれどね。
 篠原は徹底した生活無能力者ですから私が家中の用をすることになっているのですよ。私はどうもそういうことが好きな質であるらしいので決して苦にはしていないのですが面と向かって
「いつも楽しそうでいいことだ。なぁ」
 など家事の最中に言われるとなんだかむっとするではないですか。いま私が作っている食事はいったい誰の食事だと思っているのでしょうかね、あの男は。
 この前はこんなこともありましたよ。編集者が篠原の原稿を取りに家まで来たのですよ。丁度、私は庭で洗濯物を干していましてね。それを指して篠原は
「ああいう男に嫁は来ませんよ」
 など言って笑っているじゃないですか。嫁の来手がないのは篠原の方ですよ、まったく。誰の洗濯をしていたと思っているのだか。
 嫌味が上手に言えない人は言わないほうがずっとまし、口下手な篠原は黙っているのが良し、という話でした。
 ばらしちゃいましたからね、篠原さん。




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