百人一首いろいろ

水野琥珀



 前回に引き続き、母娘の歌をご紹介します。前回は娘でしたから今回は母親の方、つまり紫式部を取り上げることにいたしましょう。
 紫式部のことはあまりにも有名ですのでくだくだしくご説明する用もないかと思いますがしばらくお付き合いください。



 めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に
 雲がくれにし 夜半の月かな



 「新古今集」に収められている歌です。詞書には「早くより童友達に侍りけるひとの年ごろ経てゆきあいたるほのかにて七月十日ごろ月にきほいて帰り侍りければ」とあります。幼い時分の友達、幼馴染と何年か経ってずいぶんしばらくぶりに再会したのですね。ですがそれはほんのつかの間のことで幼馴染は月と競うように早々に帰ってしまった、ということです。
 七月十日、と言えば旧暦のことですからもう秋の初め、という頃でしょう。虫の音など鳴いていたかもしれません。
 この幼馴染、というのはきっと女性でしょうね。おそらくは紫式部と同じ受領階級、中流の女性でしょう。各地に赴任していく父や男兄弟に従って彼女も都を後にするのにでしょうね。その赴任と赴任のわずかな間に紫式部に会いに来たのではないでしょうか。
 なんだか女学生のようで微笑ましいですね。紫式部の周りには女友達がたくさんいたのではないでしょうか。くすくすとした忍び笑いが、男がその場に現れた途端に止まる、そんな女学校のような友達です。ちょっと面白い想像だとは思いませんか。
 清少納言は明るく華やかで少々の間違いなど気にも留めないような性格ではなかったか、と想像します。男友達も多く、歌のやり取りをしては誇らしやかに笑ったでしょう。
 転じて紫式部はどうでしょうか。彼女は内向的でおとなしく、大勢の前に出るよりは気の置けない友達とのしっとりとした付き合いを好んだような気がします。



 紫式部の前に一人の女性が座ってます。扇で隠す、などという隔たりはあえてせず、ただ髪で頬の辺りを隠して恥じらいをあらわすばかり。
 少しばかり膨らんだ半月が天にかかっては雲間に隠れていこうとするそんな夜でした。
 話したいことはいくらでもあったのに、会えばあれも話そうこれも話そうと思っていたのに口から出るのは久方ぶりに友と会えた満足のため息ばかり。
「もう、そろそろ」
 彼女が庭に、空に目を向けます。静かに立ち上がって行ってしまった後、紫式部の前にはぽっかりと広い空間が開きました。ここはこんなに広かっただろうか、そういぶかしく思えるほど、彼女が行ってしまった寂寥感は強かったのです。
「何年ぶりだったかしら……」
 行ってしまって友のいた場所に目を向けつぶやきます。
「本当にあの人だったの。幼顔が残っていたような気もするし……」
 それを確かめるべく時間もなく行ってしまった幼馴染。今度はどこに行くのだろうか、また会えることがあるのだろうか。
 隠れていく夜半の月を眺める紫式部の耳にふと、虫の声が聞こえました。



 歌の訳だけをするとあまりにもそっけない、ただそのままの訳になってしまうので私の想像を含めて少しばかり文章にしてみました。
 紫式部は若い頃、女友達と物語をしたり歌を詠みあったり、いわば一種のサロンのようなものを作っていたのではないでしょうか。そこで彼女はあの大作を物する力をつつけていったのではないか、と思うのです。
 そもそも大変に鋭利な子供でした。彼女には一人の兄がありましたが、その兄に父が漢籍を教えているのをそばで聞いていて兄よりも早くすっかり覚えてしまった、と言うことです。父は「この子が男であったなら」とずいぶん惜しがったのだそうですよ。
 また夫を亡くしたあと、一人でいた紫式部はその夫の残した本などを読んでつれづれの慰めとし、過ごしたそうです。時代が時代ですから、そんな紫式部に対して周りの女たちは良くは言わなかったようですが。何しろ女は一、という漢字さえ知りません、という顔をしているのがたしなみであった時代です。
 さて、彼女はきっと寂しいばかりではなかった、とも思います。幼友達はどこかに赴任していく家族についていくのですから少なくとも男たちに任地があったわけです。新しいそれだったのでしょうか、また同じ所に行く途中だったのでしょうか。いずれにして任地がある、というのは受領には喜ばしいことです。
 彼女自身もかつて父の任国に共に下ったことがありました。越前の国がそれです。厳しい北国の生活に耐えかねたか、彼女は一年後には父を残して都に戻ります。
 こうも考えられますね。当時の都人にとって、都の外は別世界なのですよ。京の都から一歩でも外に出ればそれは雛の地、恐ろしい所、なのですね。ですから彼女は都恋しさに帰ったのかも、知れません。そしてこれが彼女の唯一の地方体験でした。
 そしてこの体験が源氏物語にも生かされているのでは、あるいはその途次に書かれた部分もあるのでは、と言われています。
 光る君は罪を得る前に自身の意思で須磨に隠棲します。須磨の巻の部分です。そこでちょっと考えてください。現在の地図で須磨を探して御覧なさい。そして京都を。あっと驚くほど、近いでしょう。光る君にとって須磨は「この世の果て」でしたが、我々にとってはそうではありませんね。当時の都人の感覚、と言うのはそういうものであったのですよ。



 幼馴染、というものを私は持ちませんので、なんだか少しばかりうらやましくなります。子供の頃からの友がいたならどんなに楽しいでしょう、と思うのですがこればかりはどうにもなりませんからね。
「案外、そうでもないぞ」
 とは篠原の言。
 篠原には今もってたいそう仲良くしている幼馴染が一人おります。幼馴染、と言うか血縁なのですがね。
「子供の頃の話など面白くもないことばかりだ」
「でもそれを話せる人がいるのはうらやましいですよ」
「わざわざそんな話しなどしやせんよ」
 ですからね、私はそうやって話さなくてもわかりあえるような古い友がいるというのはいいなあ、と言っているのです。どうも篠原はその辺がわかっていないようです。
「古い関係ばかりが必ずしも良い、と言うわけじゃないと、思うがね」
 あちらを向いてぼそりと言ったのは、どうやら私のことも多少は認めているのだ、と言う意思表示なのでしょうか。いまはそれで良し、といたしますか。




モドル