百人一首いろいろ

水野琥珀



 前々回の小式部内侍のご紹介の折に出てきた藤原定頼について、「なんて嫌な男でしょう」とのお手紙をいただきました。庇うわけではありませんが、中々面白い人物だと思うのですよ。
 ですから今回は彼の歌をご紹介することにいたしましょう。



 朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに
 あらはれわたる 瀬々の網代木



 百人一首では彼のことを権中納言定頼、と記しています。
 網代木というのは、川の中に魚を獲るために竹や木を編んだものを仕掛けるのですね、それを固定するための木のことです。
 獲るのは氷魚です。鮎の稚魚ですね。ですからこれは宇治川の冬の風物詩になるのですよ。
 なんとも美しい情景歌だと思いませんか。定頼はこういう歌を詠んだ男なのですよ。



 明け方、うっすらと東の空が紫がかってくる、そんな時間のこと。ほら、宇治川に霧がかかっているじゃないか。見ていてご覧、霧が晴れ始めた。
 霧の絶え間絶え間から仄かに覗く網代木。宇治の冬――。



 もしかしたら定頼の鼻につくような言動、というのは父譲りかもしれませんね。ある時のこと、定頼の父・公任は紫式部をさがしていて、
「失礼。このあたりで紫の上をご覧にならなかったかな」
 と声をかけたのだそうです。紫式部はそれを聞き
「光る君がいないのに紫の上がいるわけないじゃない」
 と自身の日記に書き残しているのですよ。結構、辛辣ですね。
 なんだかどこかで似たような振る舞いを見た気がしませんか。
 ですがここで大切なのは、公任がすでに源氏物語を知っていた、というところですね。
 父が知っていたのですから、息子である定頼はきっとそれを読んでいたことでしょう。茫漠としたこの歌の宇治川の情景、というのはおそらく源氏物語の最終部分、宇治十帖の世界を下敷きにしてのことだと思います。
 宇治十帖ではすでに源氏は亡く、華やかな貴公子たちの虚飾に満ちたとも言える世界は描かれません。宇治の地で隠隠滅滅と進行する誰もが満たされない恋が静かに描かれるのみです。定頼はその世界を踏まえたうえでまるで墨絵のようなこの歌を詠んだのではないでしょうか。
 もっともこの時代、宇治川の歌、というのは数多く詠まれているのですね。それも宇治十帖において宇治川が大変に印象的な書かれ方をしているせいでしょう。
 定頼が機知で切り抜けたと伝えられている話をひとつご紹介するとしましょうか。
 一条天皇が大堰川に御幸されたことがありました。まだほんの少年であった定頼も父と共に供奉の列に加わっています。
 さあ歌を詠進せよ、となったとき父は幼い定頼のことが心もとなくて手を揉んで祈らんばかりです。ついに定頼の番になりました。
  水もなく 見え渡るかな 大堰川
 もう、これを聞いただけで父親は冷や汗に衣がしたたらんばかりでしたでしょう。目の前に水を満々とたたえた大堰川があるのに水もなく、とはいったいなにを言い出すことか、不調法にもほどがある、と。
  ――峰の紅葉は 雨と降れども
 そう、詠み終わったとき父親はほっと一安心どころか満面の笑みでしたでしょうね。
 定頼はこんな風に子供の頃から人をあっと言わせることが好きだったのではないかと思います。あちこちによく気がつき、その状況にさっと合わせて人を驚かせる。それが出来たのもひとえに彼には機知があったからでしょう。
 ただ、あまり慎重、とは言いがたい所があったのまた事実です。お役目の途中、ある親王の従者と自分の従者の間に争いが起こり、頭に血が上ってしまった定頼は自分の従者に相手を打ち殺してしまえ、と命じてしまうのですよ。それで相手が命も危ないばかりになってしまいましたので親王は怒り狂って事の次第を天皇に申し上げてしまいました。これが天皇の逆鱗に触れてしまいお役目を何年の間も解かれてしまう、という事態になったのです。
 これ以外にもどうも彼にはいい加減な所があったようで、何度も解任の憂き目を見ています。当時に摂政であった頼通は彼を評して「才能のある男なんだが、どうにもいい加減でいけない」と言っています。
 また別の時には頼通公が仰せになったのだよ、とある男を嘲弄しています。これを聞き知った頼通は大変に怒りましてね、摂政という重い身分の者が軽々しく人を嘲ったりするものか、と言っています。これなど私にはなにか子供の喧嘩のようで可笑しいのですよ。ほら、ご経験はありませんか。「先生はかくかくしかじかって仰ったんだぞ」って級友をからかったことが。なにとなくそんな風に見えてしまいますね。



 定頼を少しばかり弁護しようかと思っていくつかの話をあげましたが、困りましたね。どうもあまり弁護できていないではありませんか。私としては、この子供のまま大きくなって人々を笑わせようとする男が決して嫌いではないのですが、いささか鼻につく冗談をすることが多いのも否定できませんし。
 きっと彼のことを面白がる人は面白がり、嫌う人はとことん嫌う、そんな人物ではなかったか、と思います。
 実際、篠原は定頼のことが大嫌いなのですよ。
「大嫌い、とは言っていない、虫が好かん、と言っている」
 それは同じことの言い換えだと、私は理解していますが、いかがなものでしょうね。
「だいたい、いい加減な男と言うのは理解の外だな」
「篠原さんだってあまり緻密、とは言いがたい性格……」
「……それはそれだ。与えられた仕事を全うできない男が嫌いだ、と言っている」
「では冗談はいいんですね」
「小式部内侍にしたような言動は冗談、とは言えない。ああいうのは悪ふざけ、だ」
「私は冗談好きでかっとし易く根に持たず、いい加減で明るい名門貴公子、と言うのは中々おもろい人物だと思うのですけどねぇ」
「そのすべてが好かん」
 にべもない一言で、つまり篠原はやはり定頼が嫌いなのですね。私としてもあまり行動を共にしたいような人物ではありませんが、友人の知人くらいの間柄でしたら話など聞いて面白がるのにな、など思います。




モドル