百人一首いろいろ水野琥珀さて今回はどの歌のお話をしましょうか。せっかく前回には定頼の話をしましたから、今度はその父の歌をご紹介するとしましょう。この人物も中々に面白い男なのですよ。 滝の音は たえて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ 詠み人は藤原公任、百人一首では大納言公任と紹介されています。小野宮太政大臣実頼の孫、三条太政大臣頼忠の長子、母は代明親王の娘、という飛び切りの貴公子です。何しろ元服の折には天皇ご自身が手ずから公任に冠を授け、正四位の位を授けた、といわれているほどですから。 その上この人にはとんでもない才能がありました。漢詩に優れ、和歌に長け、管弦の道に通ずる、などという天が二物も三物も与えたような人物です。 ですが、そのわりにこの歌はどうも魅力のない歌、として古来からあまり評判が良くないのですね。語調が整っていて良いだの、響きが素晴らしいだの、どうも歌自身の魅力というのを見つけ出せた人はまだいないようです。私もそうですね、後ほどご紹介する別の歌の方が好みではあります。なぜ定家がこの歌をいれると決めたのか、それを考えるのもまた、百人一首のひとつの楽しみ方でしょう。 いにしえには嵯峨天皇が憩われた、と聞く。この地には離宮があったのだ、と。そして素晴らしい滝があった、天皇はそれをご覧なるための滝殿まで作られたのだと、聞く。 いまはどうか。 もう、美しい離宮はない。数々の優雅な宮中行事をお始めになった嵯峨天皇も。 あの滝はどこに行った。典雅な人々が愛でた滝は、いまどこに。 枯れて久しい滝の音。けれどその名は流れ流れて今に伝わる。いまなお私たちの耳にその滝音が聞こえるように。 「拾遺集」の詞書によれば「大覚寺に人々あまたまかりたりけるにふるき滝をよみ侍りける」ということです。当時、大覚寺となっていた地ははるかな昔、嵯峨天皇が作った離宮がありました。公任の時代からはおおよそ百数十年の過去のことになります。 問題はこの滝なのですよ。ほぼ同時代の赤染衛門にも「大覚寺の滝殿を見てよみ侍りける」と詞書に記された歌があるのですが、彼女の歌ではまだ滝は細々とではありますが、流れているのですよ。滝に水はあったのでしょうか、なかったのでしょうか。あるいは訪れた時期の問題かもしれませんし、二人が目にした滝自体が違うのかもしれません。考えはじめると楽しいものですね。 前回は紫式部との小話をお話しましたが、今回はこの人と言えばこれ、という話をしましょう。 公任はとにかく多才な男です。出自も良いものですから、ありがちなことにいささか気が強く自己顕示欲も旺盛であったそうです。その彼の才能のことを一言で三船の才、と評することがあります。それはここから来ているのですね。また三船の才、という言葉自体、彼のこの小話から出た言葉です。 ある年のこと、かの有名な道長公が大堰川にて遊ぶことに相成りました。川には管弦の船、和歌の船、そして漢詩の船が浮かんでいます。それぞれ皆、その道の上手と言われた人が乗っているのですよ。道長は尋ねます、いずれの船にお乗りになるか、と。これはすごいことですよ。どの船に乗っても満足がいくだけの才能である、と褒められたに等しいのですからね。公任は答えて言います、では和歌の船にと。そしてその船にて詠んだ歌が をぐら山 嵐の風の 寒ければ もみぢの錦 着ぬ人ぞなき という歌です。これには人々も歓声を上げて感じ入りますが、当の公任は 「いや、これほどの漢詩を作っていればもっと名はあがっただろうに」 など言って大変に悔やんだ、ということです。どうですか、この自負と矜持。なんだか悔やんだ顔をして見せながら少しばかり口元が笑っていそうな、そんな気がしませんか。 ただこの話には異説があり詠んだ歌も 朝まだき 嵐の山の 寒ければ 紅葉の錦 着ぬ人ぞなき というものであった、とする説や、そもそも道長の遊覧ではなく円融院の時のこと、とする説もあり、「朝まだき」の方は家集にて嵐山の法輪寺に参詣した後の歌、として載せられてもいます。歌の言葉も諸説とりどりで定まりません。それがまた伝説の匂いを与えていて良いものだ、と私は思うのですよ。 この公任のようになにをやってもなんでもできる、というのはさぞ面白いでしょうね。私など三船のうちのひとつにどうやら指先ばかりはかけることができようか、という程度ですし、うらやましくもあります。それを言えば篠原が 「そんな、なんでもできるなど、どれほど面白くないことかと同情するがな」 など、言います。なぜでしょうね、時に応じて歌も詠め、漢詩も作り、つれづれに楽器も、だなんて楽しいことではありませんか。 「なにをやっても素晴らしいものができたら作る楽しみ、というものがないじゃないか」 「作る楽しみ、ですか」 「例えばな。書いている途中は大変だ。のた打ち回って頭抱えることもしばしばだ。だからこそ、出来上がったときの喜びもひとしお、というものなんだが……」 「わからなくはないですが」 「お前にはわかるまいよ」 釈然としない顔をしていたのでしょう、私に苦笑いをして、そうあっさり突き放されてしまいしまた。いったいなんだというのでしょう。 「それじゃあ、ちっともわかりませんって」 むくれたままわざと猫舌の篠原に熱い、それは熱い茶を淹れたりしてみます。 「お前には、わからん……」 よ、は言えなかったようですね。どうやら熱い茶で火傷ををした模様です。 「ちゃんと確かめてから飲んだほうがいいですよ、熱いですからね」 「……先に言え」 「先に言ったらつまりませんから」 「だからな……お前にはわからん、と言うのはな」 どうやらささやかな意地悪の原因に思い当たってやっと言う気になったようですね。こういう駆け引きが楽しいのですよ。なにせ相手は家主様。普段はそうそう逆らえませんものね。また篠原が何度やってもこの手には引っかかるのですよ。可笑しいものです。もう何年と同じ意地悪をしているのに、本当に一度として引っかからなかったためしはないのですから。少しは学習したほうが――いえいえ、このままの篠原でいて欲しいものです、是非とも、ね。 「お前のような吸う息吐く息が歌になるような男には、わからん。そういう話さ」 「なんですかそれは」 「言いたいことを歌の形にするのに苦労したことはないだろう」 「なくはないですって」 「ほら、なくはない、という程度なんだよ、お前はね」 自分など見てみろ、と相変わらず白紙のままの原稿用紙をひらひらと振っています。それはそれで困ったものではないですか。 呆れ顔の私の前で再び湯飲みに口をつけ……盛大に取り落としました。やはり学習はしていただきたい。濡れた原稿用紙を乾かすのも掃除をするのも私の仕事なんですからね、篠原さん。 「幸い原稿用紙は白紙で良かったですね」 「……そんな幸いはいらん」 |