百人一首いろいろ

水野琥珀



 今回と次回との二回にわたって、百人一首中で一二を争う有名な歌をご紹介しましょう。あるいは、私の最も好む情景である場面、の方が正しいかもしれません。
 華麗で美々しく、これぞ王朝の盛儀、と言うべきものです。さて、どの歌のことか、ご想像ください。
 前置きはこのくらいにしてまず歌をあげましょう。



 忍ぶれど 色にいでにけり 我が恋は
 ものや思ふと 人の問ふまで



 どうでしょう、当たりましたか。この歌を詠んだのは平兼盛。前回の赤染衛門の父と噂された男ですね。兼盛は光孝天皇の皇子であった是忠親王の曾孫にあたります。臣籍に下って平姓を名乗りました。
 幼い頃から和歌を巧みに作り、若くして大学寮に及第し、天皇の覚えもめでたく出世を遂げていきます。
 ご紹介した歌は、「拾遺集」に収められています。詞書によれば「天暦の御時の歌合」にて詠まれたということですが、この歌合せが天徳年間に村上天皇によって行われたことで「天徳内裏歌合」として知られていますね。天徳も天暦も村上天皇が治められた時代ですから、混乱したものでしょう。



 じっと堪えてきた。心の内に思いを秘めてじっと堪えてきた。誰にも知られないよう、何事もなかったのだ、と取り繕ってきたのに。
 けれどいつの間にか人は知っていたのだな。なぜだろう、顔色や雰囲気だろうか。
 秘め隠してきたつもりなのに「恋をしているね」など問われるほどになってしまった。



 なんと美しい歌でしょうか。この歌が詠まれたのは前述の通り歌合の場でした。村上天皇というのはご自身、優れた歌人です。その歌人天皇が行われた歌合せです。素晴らしくないはずがありませんね。また当時の朝廷には富がありました。大きな歌合せを実行するだけの実力もあったのです。二重三重の理由でこの歌合せは大変に豪華なものとなったのですよ。
 歌合せ、というのは一種のゲームです。右方、左方にわかれて歌人が詠んだ歌を一首ずつ読み上げ、勝敗を決めるのですね。勝敗定めがたい場合には持、といって引き分けになりました。
 詠まれる歌は実際にその場にいる貴族が詠んだもの、とは限りませんでした。身分は低いけれど和歌にかけては、といういわば職業歌人とでもいうような人たちがいたのですね。その歌人たちに依頼した歌が歌合せの場で読み上げられるということもしばしばでした。歌の題もはじめに決まっています。およそ一月前に発表された題に従って歌人たちは精魂こめた歌を作り上げてくるのですよ。
 夕方ごろ、天皇が現れます。殿上人は打ちそろい、庭には篝火がたかれ、左右にわかれた方人、味方、とでも言いましょうか、その頭には更衣をいただく、という華やかなものです。
 方人たちはそれぞれ右方左方で色をそろえ、更衣から女房、女童にいたるまでそれぞれ味方する方の色を身につけています。それはどんなに豪奢な光景であったでしょうか。
 番える歌はこのときは二十番。霞、鶯、柳に桜と進んでいきます。講師と呼ばれる人が左右に一人ずつ。それぞれの歌を読み上げる役目をします。
 勝敗を定める判者が少しでも考え込もうものなら、講師はさらに歌を読み上げ、方人はそれに唱和し、繰り返し繰り返し歌うのですよ。歌合せの間、酒がまわり肴がめぐった、といいますから、熱狂の度合いは時間と共に高まっていったことでしょうね。
 このときの判者は藤原実頼。歌人として有名、というわけではありませんが、温厚な知識人、として人々の信頼を得ていました。判者の役目というのは重いものですよ。判定の理由としては「左歌の心ばへいとおかし」や「歌の品同じほどなれば持にぞ定め申す」などがあげられています。私など、さぞ胃の痛む思いをしただろうと考えてしまいますよ。左右それぞれが狂乱して応援しているのですからね。
 それにこれは華やかなだけの遊びではありませんでした。左方には藤原氏が、右方には源氏がそれぞれ背後にいるのです。これは一種の政争でした。貴族の社会においては、権力を握ればそれで済む、というものではないのですね。文化的にも優位に立って、はじめて貴族社会での第一人者、第一党となることができました。
 そうしてついには最後がやってきます。最後の題は「恋」、これにつきます。恋の歌は五番勝負です。皆、錚々たる歌人が勢ぞろいしていました。兼盛の忍ぶれど、は右方の歌。番えられた左方の歌は次回ご紹介予定の壬生忠見の歌でした。
 左右の歌が読み上げられたとき、人々はどっと歓声をあげたことでしょう。どちらも素晴らしい、甲乙つけがたい歌でした。判者もこれには困ってしまいます。右方の方人が「忍ぶれど」と歌い上げれば左方も負けずに「恋すてふ」と声を張り上げます。判者はさらに困り――というところでこの話は次回に持ち越しましょう。



 この兼盛の歌は題を与えられての歌でしたが、これほどまでの長い年月、名歌との誉れも高いのはきっと誰しもこのような経験をしたことがあるせいではないでしょうか。
 秘めた恋をしているつもりなのに、周りに何かを言われてしまう、気づかれてしまう、そんなことが案外良くあるものです。
 私など、ずいぶん前になりますが、篠原が紹介してくれた雑誌の主宰に一目でそのときの恋を見抜かれましたからね。初対面だったのにもかかわらず、ですよ。私はそれほど隠し事が上手、というわけではないかもしれませんが、すぐにそれと見抜かれるほどあからさまではないつもりでしたので、驚いて卒倒しかねませんでしたよ。
「誰が隠し事が上手なんだか」
「ですから上手ではない、と言っていますよ」
「下手ではない、とは思っている」
「まぁ、その程度は」
 私が控えめにそう言いますと、いささか不満げな顔をしています。篠原はどうも納得しかねるのでしょう。
 私にしてみれば篠原の方がよほど隠し事は下手なのですよ。
「そんなことはない」
 と、強硬に言い張りますが、なに、実例をあげましょうか。
「篠原さん、昨日はどこにお出かけでした」
「なにを。どこにも出かけず机の前にいたさ。知ってるだろうが」
「午後に覗いたときにはいませんでしたよ」
「そりゃ、座りっぱなしというわけでは、な。手洗いということも」
「四時間もですか。お腹の具合でも」
「嘘をつけ、そんなには……」
「実際、三時間ほどでしょうね。大方どこぞで甘い物でもいただいてきたのでしょ」
「そんなことはない」
「では、夕食の箸が進まなかったのはなぜでしょうね。昨日はお好きなものだったはずですよ」
「……団子をな、ちょっと、その……な」
 このあたりでやめておきましょう。これで自分の方が隠し事が上手、と言い張るのですからまったく笑ってしまいますよ。篠原の言動など、私にはお見通し、と言うことが今もって彼には理解できていないのですね。ここまで書いて、なんだか夫婦喧嘩のようですっかり気が滅入ってしまいましたよ。




モドル