百人一首いろいろ

水野琥珀



 寒い夜にふと思いついて庭に出てみました。良い天気の晩でしたのでまだ固い梅の蕾がほんのり月に照らされていました。
 心づけば吐く息が白いのですね。
 下に目をやれば一面に霜が降りています。
 冬の夜、というものはなんだかそんなものまで美しく見えます。
 そんなことを思っていたらこの歌を思い出しました。



 かささぎの わたせる橋に おく霜の
 しろきを見れば 夜ぞふけにける



 きんと冷えた夜の匂いがしませんか。
 詠み人は「万葉集」の選者の一人とされる大伴家持、百人一首では中納言家持、と表記されています。
 家持は不思議とも言える経歴の持ち主です。こんなことがありました。
 桓武天皇の頃、謀反が起きました。家持もその一派と言われ官位剥奪、都を追放されます。
 後に無実とわかったので東宮大夫に任ぜられますが、この時今度は奥州で乱が起こってしまうのですよ。そこで家持は陸奥の按察使鎮守将軍を命ぜられなどするのですが、程なく亡くなってしまいます。
 さらに家持の死後、早良親王が大伴継人らに命じて藤原種継を殺害する、という事件が起きました。このことで早良親王は皇太子位を剥奪されて淡路に流されます。
 問題は実行した者が大伴の者だった、ということなのですね。おかげで元々この事件は家持が策謀したものだったとされ、再び官位を奪われ、息子・永主までもが隠岐の国に流罪となります。
 このことは桓武天皇崩御のとき、その遺勅で決着がつきます。家持は無罪であった、と。そして亡くなっている彼の官位を元に復したという事が日本紀略に見えます。
 二度まで官を追われ、さらに両度ともに無実であり、しかも最後には官位を元に戻されている、というのは彼が生きた時代の、政戦ともの落ち着かなさということを表しているのかもしれません。
 ですが家持に関してくだくだしくこんなことを述べるより、ずっと素晴らしい評価が彼にはありますね。
 彼の歌は千年の後までも愛されています。
 ただこの一言で足りる、そんな気がします。
 そうそう、付け加えるならばたいそうな美男であった、ということですよ。



 冬の夜空に深々と星が輝いているではないか。
 星空、星々よ。あれに見えるのは牽牛星か、織女星か。
 七夕の夜にはかささぎが彼らの逢瀬に橋を渡す、と言う。
 天の川にかかる橋はこの地上から見れば白く高い、それは美しいものに違いないだろう。
 おぉ、ここにもかささぎの橋があるではないか。
 宮中の階に霜が置いている。これもまた白き橋。
 地上に降りる霜を見れば全く夜も早ふけたことだな。



 家持の歌は千年の後までも、と申しましたが、この歌は少し、疑問があります。
 実はこの歌の出典は「万葉集」ではなく「家持集」なのですね。
 しかも最後の句が「夜はふけにけり」として載っているのですよ。
 どうやら研究者の間では彼の歌かどうか断定はしにくい、とされているようです。
 ただ私は好きな歌ですよ。「かささぎの橋」が少しばかりわかりにくくはありますが。
 かささぎの橋、というのは元をただせば中国の故事からきています。淮南子に見える話ですね。
 七夕に烏が羽をあわせて橋を作っては織女を渡す、と言う話です。これが日本に入り、いつの間にかかささぎになったようです。
 かささぎ、と言う鳥は腹が白いものですから、確かに地上から見ればそれは白い橋、に見えるわけなのですよ。
 私は冬の夜に七夕の橋を思い出す家持、という人が面白いと思います。
 宮中での宿直の晩だったのでしょうか。
 冷え冷えとした宮中の庭から夜空を眺めれば、今よりきっともっとたくさんの星が彼の目には見えたことでしょう。
 あるいは彼は天の川にかかる七夕の橋さえも幻視していたのかもしれません。
 そしてふと、心が地上に戻ってくる。
 見れば宮中の階段に霜が。
 あぁここにも、と思ったときの家持の心はどんな思いで満たされたのでしょうか。
 そんなことを想像するのがたまらなく楽しいのですよ。



 家持の歌を庭で考えていたらずいぶん時間が経ってしまいました。
 少しばかり寒気がします。
 と、いつの間にか起きてきたのか篠原が広縁の、私が庭に下りてきたその雨戸の隙間からこちらを見ているではありませんか。
 驚いてしまいましたよ。生憎と彼は風邪を引いているのです。ようやく良くなりかけて来た所ですので、あまり体を冷やして欲しくはありません。
 なぜって、看病の苦労は私一人にかかってくるのですからね。
「風邪を引くぞ」
 と呼びに来てくれたらしいのですが、風引きに言われてもどうも今一歩ぴんと来ません。つい、笑ってしまいましたら、すっかり機嫌を損ねてしまいました。
「お前まで風邪を引いたらどうする。琥珀、私手製の雑炊が食べたいか」
 そうからかわれてぞっとしました。
 えぇ、心底ぞっとしましたとも。
 彼ほど家事に向かないお人はいないのです。私が転がり込む以前はいったいどうやって生きていたのだろう、と思うほど、それはそれはひどいものです。
 正直、彼の作ったものを食べるくらいならば私は病気をおしてでも自分で作りますね。
「嫌ならさっさと上がってくるんだね」
 笑った拍子にまだ咳が出ます。辛いのならば起きてこずとも良いのに、と思ったとき半纏が飛んできました。
 意外と優しい所もあるのです。
「白菊か、かささぎか」
 それだけ言ってにやりと笑い寝間に引っ込んでいきましたが、またぞっとしましたよ。
 今度は心地良いぞっと、でしたけれどね。
 私のしていること、考えていることをこれほどまでに正確に察してくれる理解者がいる、というのは本当に幸せなことです。
 半纏を羽織ればぬくもりがありました。温めておいてくれたのでしょうか。
 篠原と言う男はそういう男でも、あるのです。




モドル