百人一首いろいろ水野琥珀このところ定家に藤原良経などご紹介しましたから、このあたりでこの人の歌に参りましょうか。 後に詳しくお話しますが、この人がいなければ後鳥羽院がお出でであってもはたしてあの和歌の繁栄があったかどうか。そんな人の歌です。 世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿の鳴くなる 詠み人は皇太后宮大夫俊成。長々しい名ですね。わかりやすく言いましょう。藤原俊成、つまり定家の父親です。 一般的に「としなり」とは読まずに「しゅんぜい」と音で読みます。この人こそ道の上手、と万人に認められた人は特別に音読みされるようです。息子の定家も「ていか」と音で呼ばれていますね。 さてこの歌は「千載集」に収められている歌です。詞書に 「述懐の百首歌よみ侍りける時、鹿の歌として詠める」 とあります。述懐の百首歌、とはどうやら二十七歳くらいの時の作らしいのですね。 その割にはずいぶん寂しいことを詠むものです。 この世から、逃れる道はないのか。この世からは――。無常の世から逃れようとも、どんな手立てもありはしない。 すべてを捨てようと思いつめて山に入ったこの身の前に声が聞こえる。 あれは鹿の声。妻を慕って鳴く鹿の声が、この耳に。 哀れな鹿よ、この私よ。 心は千々に乱れて定まらず、遁世の難さに心が揺れる。 どうでしょう、とても若い男の詠む歌ではない、と感じませんか。 この時期に彼がこのような歌を詠んだのにはひとつ、理由があると思うのです。 彼の周りから友人が次々に去っていきました。彼を捨てたのではなく、この世を捨ててしまったのですね。 そうして出家した一人に佐藤義清という武士がいました。出家して円位と名乗ります。彼こそ後の西行その人でした。 さらに加えるならば時代の風潮、というものもあったでしょう。 彼自身、これからの自分の行く末に惑っていた時期の歌なのだ、と思います。 迷い、苦しみ、おそらくはのた打ち回るような思いさえもしたことでしょう。 彼の歌は絢爛ではありませんが、時に滋味あふれ、時に厳しい。それは彼が目指したものが自然と人の調和だったせいかもしません。 歌は心だけではない。自然だけでもない。 人が生きている、その生の舞台である自然を歌うのです。美しく、幽玄に。 そうして彼は千年の後まで名を留めました。息子の定家はもちろんのこと、良経や式子内親王といった新古今集を代表する歌人を育て上げ、現代でさえ稀な九十一歳という天寿を全うしました。 大和歌の担い手、としてあったせいでしょうか。色々な逸話に事欠きません。 ここでは私の好きな逸話をひとつ、ご紹介するに留めましょう。よく知られた話ですからご存知の方も多いはずです。 ある晩のこと、ほとほとと俊成の屋敷の門を叩く音がしました。時に俊成七十歳。すでに出家を遂げて釈阿と名乗っています。 不思議に思って見てみると、そこには物々しいいでたちをした侍五騎を連れた男が一人、いるではありませんか。 その男の名は平忠度。平家一門が都落ちするにあたって訪れたのでした。戦地に向かう忠度はすでに覚悟を決めています。 「勝ち目のない戦です。生きて戻ることはありますまい」 そう言って懐から一冊の歌集を取り出しました。 「生きた証にせめて、一首なりとも」 勅撰集撰進のことを知っていた忠度はそうして俊成に自身の歌を託したのでした。 晴れやかに、笑っていたでしょうか。 兵乱は終わりました。平家は滅び、やはり忠度の帰ってくることはありません。都からはるか遠い地で忠度は戦に果てました。 勅撰集の選者である俊成の手元にはその忠度の歌があります。目を閉じれば在りし日の忠度のあの晴れやかな顔さえ浮かんでくるような、その歌集。 俊成は勅撰集に入れてやりたい、そう願うのです。 しかし相手は武器をとって逆らった勅勘の人です。名を出すわけにはいきません。そうして忠度の歌は詠み人知らず、として勅撰集「千載集」に収められることになったのです。 さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山ざくらかな ある人の話しです。 ずいぶん昔のことになりますが、世の中を捨てたい、と願いました。さすがに私を連れて行こう、としたのは感心ですが、中々できるわけもありませんね。 すでに名を成していたその人は、自分の私生活にまつわるしがらみがすべて嫌になってしまったのですよ。 誰も知らない土地に行き、自分の理解者である私とともに生きていくことが出来ればそれで充分だ、そう思っていたようです。 夢のような話ですね。 それが実現すればどれほど心楽しい日々か、とも思いますが、知らない土地に行ったとて、生きている以上は新たなしがらみ、というものがすぐに生まれるものですし。 私の方がずっと年下なのですが、ずっと現実的なのかもしれません。 若い頃の衝動、というものもあるでしょう。 すべてを捨ててやり直すことのできる年齢の限界は、厳然としてありますもの。 ただ今でも少しだけ、夢に見ることがあります。 相手の気持ちが掌を指すように理解できる、いえ、それどころか己が半身とも思える人物としがらみなどなく生きることが出来れば、と。 私は俊成卿のようにはいかないようです。 俊成卿は世の中のすべてを捨てようとしましたが、私に半身を捨てることは出来そうにありませんから。 お互いの作り出すものを完全に理解できる、というのは一種の快楽に等しいことです。 何を考えて詠んだ歌か、その心の裏に何があるのか、完全に理解できるのはその人だけです。私も相手に同じことが言える、と断言できます。 これで煩わしいことなどなければ、どんなに幸福か、とも思うのですが。 「そういう誤解を招く表現は止せ」 苦々しげに声が聞こえますが、誰もあなたのことだとは言っていませんよ、篠原さん。 |