百人一首いろいろ水野琥珀さて今回は俊成の歌の師をご紹介することにいたしましょうか。 もうなんと言ったらいいのでしょうね、大変に愉快な人物ですよ。もっとも、同時代人にとってはこれほど不愉快な男もいなかったでしょうけれど。 契りおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめり なにか約束があったのにとうとうそれが果たされないうちに秋になってしまった、と言うことはわかるのですが、この歌だけではなにがなにやらさっぱりわかりません。 詠み人は藤原基俊といいます。この歌は「千載集」に収められている彼の歌で、その詞書にはこうあります。 彼の息子は光覚、と言って興福寺の僧都でした。その息子が維摩会の講師になりたがったのです。維摩会の講師になればいずれ禁中で最勝会の講師になることが出来る、という名誉なものですからやりたがったのも無理はないことでしょう。 そこで基俊は息子の頼みを聞き入れて講師の任命者である藤原忠通に「ぜひとも我が息子を」と願い出たのです。これに忠通は清水観音の歌とされる なほ頼め しめぢが原の させも草 我が世の中に あらむ限りは ――私を信じ続けなさい。たとえあなたがどれほど胸を焦がして悩もうとも私が一切衆生を救おうと大願を立てている限り、なんの心配も要らないのだから―― から一句を引いてただ「しめぢが原の」とだけ答えておいたのでした。忠通としては言葉にしない言葉で「頼りにしていていいよ」と答えたのでしょう。 ですが、しかし、その秋の講師の選に光覚は漏れてしまったのでした。 そこで基俊はこの歌を忠道に送った、ということです。 あなたはお約束くださったじゃありませんか。 大丈夫だ、任せておけ、なんの心配も要らん、と仰ったのに。 その恵みの露のようなお言葉を命とも頼んで待っていましたのに、なんと言うことでしょうか。 しめぢが原のさしも草に宿った露のようにはかなく、望みは消えてしまいました。 あぁ今年の秋もむなしく過ぎ行くようです。 子を思う親の情、とも言いますが、いささか善意に解釈したもののように感じます。 ずいぶんと愚痴っぽい、湿っぽい歌であまり評判の良くはない歌のひとつです。 詞書の背景があるからでしょうか。それを知らなければ、そうですね、私は嫌いな歌ではないかもしれません。 言葉の流麗さ、響きの美しさは素敵ですものね。 歌の技巧もまた素晴らしいですよ。 「契りおきし」の「おき」は「露」の縁語ですし、さしも草の言葉をおりこむ事で忠通が承諾したのに、ということも匂わせています。 百人一首を選んだ定家はあるいはこの技巧を好んだのかもしれない、とふと思いました。 さてこの基俊のことです。弟子であった俊成の息子、定家の評に寄れば「現在の俗で卑しい歌の姿を忌避し、堀川院の御時の昔に返そう」という、いわば古典主義な歌の道を選んだ人でした。 そのせいか、和歌に新風を吹き込んだ源俊頼を異常なほどに嫌っていたようです。 嫌う、というより張り合っていたのかもしれません。 ただこの俊頼と言う人は大変な人格者で人の悪口を言うということをしない人なのですね。ですからどうも基俊は分が悪いと言いますか、ほとんど一方的に世の人は基俊のほうが悪い、と言っていたようです。 そういう人はからかい甲斐があるものなのですね。よくぞここまで、と言いたくなるほどからかわれていますよ。 ある坊主がいました。この坊主もご他聞に漏れず基俊が嫌いです。ある時、からかってやれ、と「後撰集」の中からあまり人に知られていない二十首ばかりを選び出して、 「ある歌合の歌なんですがね、勝敗を知りたいから判じてくださいよ」 と基俊に差し出したのですよ。基俊はまさかそれが「後撰集」の歌だとは知りもせず「一丁、腕を振るってやるか」とばかりに思う様にけなしつけたのでした。 これを見た坊主の笑うこと笑うこと。 「基俊にかかっては後撰集の選者、あの名高い梨壷の五人も形無しじゃないか。ご自分のほうが偉いとでもお思いらしい」 そう吹聴したので基俊は腹が立つやらみっともないやら、情けなさにまた腹も立つ、という有様。 私としては面白い男だと思うのです。きっとまじめな人物なのでしょう。おそらく自分が目指す歌の道、というものが世に入れられなくなっている、その悲憤慷慨が少しばかりずれた形で噴出してしまった、とそんな男に見えます。 すでに老後、と言いますから出家する前後辺りのことでしょうか。ある顕官の屋敷に参ったとき、人々が「月の前に老いを歎く」という題で歌を詠んでいました。基俊も詠むように、と責められては逃れることも出来ず、するりと書き付けました。 昔見し 人は夢路に 入り果てて 月と我れとに なりにけるかな 年をとって丸くなったと言いましょうか。なんだかそれが私は少しばかり寂しく感じます。いつまでも自分の道をしっかと見定めて「なぜだ」と叫んでいる基俊であった欲しかった、とそう思うのですよ。 狷介な人物、というのは概して嫌われるものです。それはそうでしょうね。自分の意見に固執して人の話を聞かない、などというのは決して褒められた性格ではありませんから。 ただ、私はものを創りだす人間、というのはそういう人物であってもいっこうに構わない、と思っていますよ。 例えば篠原です。 篠原はまったく持って付き合いにくい、性格のゆがんだ男です。自分の身の回りのことすら出来ず、そもそもやる気がない。いつだったか私は彼に 「埃だらけの部屋の中、洗濯物に埋まって餓死しかねない」 と言ったことがありましたが、最近はさらにその感を強めています。 編集者の好き嫌いも激しいですし、気が乗らなければ筆を放り出すはおろか持ちもせずらふらりと出かけてしまいます。 挙句の果てにはいつまでたっても帰ってこない。その上、食事の支度ができていなかったりしよう物ならとたんに不機嫌になる。 どうです、このだめっぷり。これ以上どうしようもない男がいるのならばお目にかかってみたいと思うほどです。 ですがその篠原の書く小説の艶めかしさ。随筆の中の繊細なまでの感情。揺らぐ色や言葉の呼吸。 私はそれを愛してやみません。もしも真人間になってこの才能を失った篠原か、性格が破綻したまま才能を保った篠原か、と問われれば私はためらいなくいまの駄目篠原を選びます。 あれで中々いいところもある男ですしね。世話が焼けて仕方ないのが困り物ですが。 |