百人一首いろいろ

水野琥珀



 せっかくですから、俊頼の息子の話もしてしまいましょう。
 俊恵法師、といいます。前回の経信の孫になりますから、親子三代が百人一首にとられた、ということになりますね。
 正に歌道の家系、と言っていいのではないでしょうか。



 夜もすがら もの思ふころは 明けやらで
 閨のひまさへ つれなかりけり



 「千載集」に「恋の歌とてよめる」とありますから、これは題詠の歌です。
 それも男である俊恵法師が女の気持ちになって詠んだ、という体裁の歌ですね。
 この時代、といいますか、古来日本の男性歌人の歌には女性の気持ちになって歌う、というものが少なくありません。
 ご紹介がまだになっていますが、百人一首では二十一番の素性法師もそのうちの一人です。
 さて、この歌なのですが、ひとつ問題があるのですよ。
 百人一首では「明けやらで」になっていますが、千載集には「明けやらぬ」として載っているのです。
 しかも俊恵法師の家集である「林葉集」も後者ですし、困ったことに百人一首でも古い写本ではどうやら後者の方で載っているようなのですよ。
 ということはもしかしたら定家は「ぬ」の方をとっていたのかもしれない、ということなのです。
 ですが、近世以降「で」で親しまれている歌ですからここはもうそちらに従ってしまうことにいたしましょうか。



 一晩中、あなたのことを考えていたの。
 少しも私を気遣ってくれないあなた。冷たいあなたのことばかりをずっと考えていたわ。
 だからかしら、きっとそうね。
 なんて夜の長いこと。
 このままずっと夜明けなんて来ないんじゃないかと思うくらいだわ。
 夜が明けたらこの鬱々とした私の気持ちも少しは晴れるかしら、と思うのにちっとも明けないのね。
 早く朝になればいいのに。そうしたらこんなに冷たいあなたのことを考えないでいいのに。
 そんなことを思っていたら寝間の戸の隙間までもつれないように、思えてきたの。



 男を待って待ちくたびれて、几帳の影に打ち伏した女の姿、というものが浮かびませんか。
 濃く焚き染めた香の匂いや、涙と汗の入り混じった女の体臭、うっそりと重たい髪の匂い、そんなものまで感じさせる歌です。
 涙に濡れた冬の装束の重たい華やかさがかえって哀れを誘うような。
 冬の、と言いましたのは、この歌には本歌があるのですね。それが冬の歌なものですから、こちらもそれが漂っているのではないか、と思うのです。

  冬の夜に いくたびばかり ねざめして
  物思ふ宿の ひま白むらむ

 と言うのが本歌で、「後撰集」の中に増基法師の歌、として載っています。
 こちらの方があっさりとしている、と言いましょうか、物思いの苦悩と言う意味では俊恵法師の歌のほうが私は好きですね。
 輾転反側する気持ち、と言うのが良く現されているように思うのですよ。
 増基法師の歌は涼やかで「つい目覚めてしまった冬の夜」と言う印象が強いと感じます。
 ふ、と目覚めればまだ明けやらぬ闇の中、何度も眠りに落ちまた目覚め、そして気づけば戸の隙間にかすかな明るさ。
 それもまた、良いものです。

 三代続いた歌の上手の俊恵法師ですが、意外な弟子を持っています。
 「方丈記」の鴨長明は俊恵法師を師としているのですよ。なんだか少し、不思議な気がしますね。
 ただ、美しいものへの求道心めいた心を持っていた長明のことですからさほど不思議ではないのかもしれません。「無名抄」と言う歌論書というか随筆というか、そういう文章も残していますし。
 その中に俊恵法師の住まいは歌林苑と呼ばれて、毎月歌の会が開かれた、と言うことが記してあります。
 俊恵法師は人の歌を評するのに様々なたとえを持ってした、と言います。
 ごく一般的に良い歌、と言われているものは堅紋の織物のようだ、とか、その艶の素晴らしい歌は浮紋の織物のようにふうわりと情景が浮かび上がってくるようだ、とか。
 中々面白いたとえではありませんか。なんとなくそうか、とうなずけてしまう気がしませんか。
 そうして自分の後に続く者たちを教え諭していたのでしょうね。
 自分がいなくなった後にも、この世の美しいもの、人の心を歌う者は続いていくのだ、そんな情熱を抱いた人であったようです。



 俊恵法師の歌はおそらく冬の歌でしょうが、輾転反側するのは、やはり私など夏の気分です。
 ただでさえ寝苦しいのにまして心にかかる人のことなどあって御覧なさい。
 とても眠ってなどいられませんものね。
 私の言葉にあんな顔をした、だとか、逆になんの答えもなかった、だとか、そんなことが気にかかっては眠れないということがありませんか。
「お前は気にしすぎなんだ」
 とは篠原の言ですが、私は彼にだけは言われたくないのですよ。
「それはどういうことだ」
 ほらね、もうあちらで少しばかり不安そうな顔をしていますよ。
 確かに私は神経質ですが、篠原だって余程なものです。
 不思議な人です。
 あれほど大雑把でいい加減でどうしようもない男もいないと思うのですが、人の心の動きには非常に敏感なのです。
 きっと、だからこそ人間嫌いなのでしょう。
 そうでなければ他人の心に翻弄されて疲れてしまいますものね。
「買いかぶりすぎだ」
「おや、どこがです」
「私が人嫌いなのは人間が嫌なのであって、別にご大層な理由はないさ」
 私は、どうやら気に障ることを言ってしまったようです。
 口数の多い人ではありませんから、一見どこも変わっていないように見えるのですよ。
 ただ、なんと言ったらよいのでしょう。透明で冷たい壁が彼の周りにあるような、そんな気がしてしまうのです、こんなときには。
 と、珍しく篠原が茶を淹れてくれました。いつまでたっても上達しない茶の味です。ですが、私にはこの上なくおいしく感じられる茶の味です。




モドル