百人一首いろいろ

水野琥珀



 前回、ちらりと話題にいたしました歌人の話をすることにしましょう。昔の法師と言うものは面白いものだな、とつくづく思うようなお人ですよ。



 いま来むと 言ひしばかりに 長月の
 有明の月を 待ちいでつるかな



 するりと読んだ口ぶりが艶かしいのですが、詠み人は男性です。それも最前に記しましたように法師、お坊さんなのですね。
 素性法師、といいます。いつの生まれかは知られていませんが、だいたい九世紀後半から十世紀初頭のころの歌人です。三十六歌仙の一人とも数えられている、当時の名高い歌詠みなのですよ。
 なだらかな詠みぶりの、いかにも「古今調」と言うべき歌を残しています。平明で口にのぼせやすいので、今もたくさんの人に愛されていますね。
 この歌は、代詠の歌です。つまり、他の人に成り代わって素性法師が作った歌、ということになります。



 今から行くよって、仰ったじゃない。すぐに行くからって仰るから、私、ずっと待っていたのよ。
 それなのになんてことかしら。御覧なさいな、月が出ているわ。
 長月の月夜、秋の夜長よ。ずっとずっと待ち焦がれて、とうとう有明の月が出るまで待ち通してしまったの。
 夜明けの月を、一人で見ることになるなんて酷いわ、あなた。



 素性法師が誰の代作をしたのかはわかりませんが、なんとも艶な恨みぶりでこんな歌を送られた男は、ちょっと放って置けなかったのではないでしょうか。
 いささか補足をしますと、有明の月、と言うのは夜明けになっても空に残っている月のことを言うのですね。当時は太陰暦ですから、九月の半ば過ぎ、ということになりましょうか。秋も暮れてもの寂しくなっている景色の中、女が一人の男を待ち続けてついには朝になってしまう。そんな情景なのですよ。
 そして有明の月、と言うのは通常、男が朝まだきに帰って行く、それを女が見送る、そういうときにかかっている月、なのです。
 男が来てさえいれば、まだうっすらと明けたばかりの朝に見送ることができるのに、それさえできずただ一人待つだけ。
 寂しいものでしょうね。

 現代の僧侶、ということを考えると、この女性の気持ちになって詠うということがいささか不思議であるかもしれません。
 ですが、この時代には決して不思議でもなんでもなかったのですよ。むしろ「歌の虚構性」ということで喜ばれた手法でもあります。
 ありのままを素直に詠むことから、一度歌人の持つ心を通して。そのためにはいっそ現実を作り変えてしまってもかまわない、と言うのが当時の歌人たちの気概でもありましょうか。
 とは言え、素性法師と言うお人。僧侶というよりは何といいますか、たまたま歌人が僧侶になってしまった、と言ったほうが良いような人なのです。
 父親は僧正遍昭です。父が出家したとき、素性法師はまだ少年で、当然俗世におりました。ある時、成人してから後のことのようですが、父に会いに行ったのですね。そうしたら、なんと言うことでしょう。
「法師の子は法師がいいのだ」
 父はそう言って、息子を出家させてしまったのですよ。母親はさぞ驚いたでしょうねぇ。
 素性法師は後に石上の良因院の住持となりました。そのころ、法皇が滝をご覧になるために、供回りもそろえて遊び興じられたことがありました。法皇は素性法師が良因院にいる、ということをお聞きになって道の途中でお召しになったのですよ。
 そうしましたら、取るものとりあえずに素性法師は馬に乗って参上したのです。そして素性法師は笠を脱いで鞭をあげてはあちこちとご案内申し上げ、それを法皇はたいそうお喜びになったのだそうですよ。
 その日に随行していたのは皆俗世の人でしたから、素性の名を仮に俗に改めて呼ぼう、ということで良因院に住んでいましたことから、良因の字を訓で読み、よしより朝臣とした、ということです。
 この話を聞くからに、どうも洒脱で面白い人物だったようではありませんか。法師の子は法師、と出家させられてしまいましたが、彼にとっては良い機会、だったのかも知れません。
 そうでなければこんな生臭いような主題でありながらさっぱりとした歌を、しかも艶に詠む、などということは難しいのではないでしょうか。
 世俗の道を遠く離れ、在俗ではありえない場所から人の世を見て詠った歌人、そんな気がするのですよ。



 法師、で思い出したというわけではないのですが、先日ちょっとした知り人の法要があって一人で出かけたのですね。
 そのときのことなのですが、法要ですから当然お経を上げていただくわけです。本堂にかしこまって聞いていたのですがね、その僧侶のなんとまぁ……下手なこと。
 時折つっかえるお経などというものは聞いていられませんね。私も俗人ですから経を上げろと言われたとてできはしないのでそう非難するのは、いささか心苦しくはあるのですよ。ですがあちらは言わば「本職」ですからね。
 なんと言うか腰が落ち着かないと言うか、気持ちが悪いと言うか。困ったものでしたよ。
 ですがお話は大変ありがたいもので、心に染みました。それに、お経は下手でしたが、声は良かったのですよ。僧侶の声、と言うものは独特のものがありますね。発声法なのでしょうか、良い声の持ち主が多い気がします。
 そんな話を帰ってから、篠原にしていたのですよ。
「お前、なにしに行ったんだ」
「ですから、法要に」
 私としては至極真面目に答えているつもりです。が、篠原はもう、大笑いですよ。なにがそんなにおかしいのだか。
「お前も清少納言のくちだったとはな」
 ひとしきり笑い終えてから、言うに事欠いてそれですもの、嫌になってしまう。
 嫌になる、と思ったものの、実は反論できないことに気づきました。私は清少納言より真面目に法要に行ったつもりなのですが、確かに彼女が枕草子の中で書いている「法師は声がいいのがいい」だの「若くなくちゃ」だのとたいして差がないですものね。
 あんまり悔しいのでなんとか言い返そうとしたのですが。
「法師の声より聞きたい声、と言うのが、あるのですけれどね」
 せいぜいそれくらいしか言えない自分というものが情けなくもあり。案の定、篠原に
「そりゃ誰のことかね」
 あっさり言い返されて終わりです。あの男は私が「誰」と口にできないことを知っていて、そういう酷いことを言うのですからね、まったく。




モドル